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網戸と板チョコだった頃。

エアコンが壊れた。

先日のガスコンロにつづき、今度はおまえもか。。さすがに今回は、たたいて直るとは思えない。

お風呂上がり、なかなか冷えないなーと思いながら晩酌をしていた。
ビールが終わってハイボールに入っても、まだ部屋が暑い。エアコンの前に手をのばしてみると、風は出ているが冷たくない。外気よりはやや低温のぼんやりした風が吐き出され、それを扇風機がかきまわしているだけ。どうりで涼しくならないわけだ。

連日の酷暑、炎暑、熱帯夜にクーラー無しで立ち向かうのはキツい。命の危険を感じて、急に不安になる。焦るとよけいに汗が出てくる。修理に来てもらうにしても、とりあえず今夜の暑さをしのがなければ。

家中の保冷剤を冷凍庫に入れる。半袖からタンクトップに着替える。窓を開けて網戸にし、板状の保冷剤を氷枕のようにして寝ることにした。後頭部がひんやりしてかなり助かるが、いかんせん固くて座りが悪い。結局あまり深く眠れず、明け方に寝汗びっしょりで目が覚めた。


一晩たってエアコンの機嫌も直ってるんでは?と思ったが、 調子は変わらず、ただの送風状態。よし、とりあえず掃除をしてみよう。私はまた、ガスコンロの時と同じ思考回路になっていた。
床に新聞紙を敷き、電源プラグを抜いてカバーを開け、フィルターを外してほこりを取る。買い置きしてあったエアコンクリーナーのスプレーを吹きつけ、送風口の汚れを拭きとる。ついでにリモコンも拭く。

乾かしているあいだにメーカーのホームページで調べてみると、修理サービスを頼めるらしい。ただし、製造から10年以上たっていると、修理用部品が製造中止になっている場合があるとのこと。うちのエアコンは2008年製。おそらくアウトだろう。2000年代なんてつい最近、ほんの少し前くらいの感覚なのに。

日が高くなるにつれ、室温が上がってくる。開けられる窓はすべて開けたが、網戸の外は無風。首に保冷剤をあててタオルを巻いた格好で、エアコンを元の状態に戻し、祈るような気持ちで電源を入れた。

今度は風さえ出てこない。そして、見たことないランプが点滅している。なんだろう。数回光って、しばらく消えて、また数回光ってを繰り返している。ふたたびホームページで調べると、ランプの色と点滅回数から、内部の基板故障を知らせるエラー表示だとわかった。絶体絶命。もうだめだ。天は我を見放した!

やけくそになった私は設定温度を思い切り下げ、風量を最大にして、そしてリモコンを放り投げた。ええい、もう知らん! 怒りと絶望をぶつけるように冷蔵庫を開け、上がりきった体温のなかに冷たい缶ビールを流しこんだ。

暑い。もうやだ。暑い。なにも考えられずソファに沈んでいると、急に頭上から、涼しい風がぶわっと出てきた。
ちゃんと冷たい。勢いもある。え、まさか直ったの?!

エラーのランプは点滅したままだが、この際もうどうでもいい。光りたきゃ光っとけ。部屋が冷えればそれでいい。
しばらく様子を見ていたが、その後も冷風は出続けている。ランプはいつのまにか消えた。理由はわからないが、我が家のエアコンは息を吹き返した。やった、助かった!


家にクーラーが無かった子どもの頃は、当たり前のように網戸にして寝ていた。親がうちわで仰いでくれて。蚊取り線香のにおいがして。
たまに手持ち花火をしたな。終わってバケツに入れたときの「ジュッ」という音が好きだった。
いま思うと、あの時の両親は、今の私よりもずっと若かったんだな。

そういえば、夏休みの読書感想文を、私はきょうだいのぶんも書いていた。親はそれを容認していて、というか、親から発注されて、やっていた。
母は教育熱心だったが、とても合理的な面があり、「どんなにがんばっても、できないことはできないから」と言い切る人でもあった。
そのおかげで、きょうだいは読書感想文を、私は鉄棒の逆上がりを、泣きながらがんばらされることもなく、克服しないまま大人になった。裁縫が不得意な私が授業時間内で終わらず、放課後も居残りになると知ると、そんなことする必要はないと言って一晩で仕上げてくれた。嫌いなしいたけを無理に食べさせようともしなかったし、苦手な友人とは無理して一緒に居なくていいとも言ってくれた。

そんな割り切った育て方のせいか、私ときょうだいは、「努力すればなんでもできる」ではなく、「がんばったからといって必ず報われるわけではない」という世間の真理のほうを、割と早いうちから受け入れて生きることになった。もちろん、目標に向かってがんばることの楽しさや大切さはわかっていたが、「努力すれば叶う」と信じすぎることはなかった。特に、運動神経や芸術的なセンスは、どんなに努力しても限界があり、生まれつき才能がある人には決して叶わない。人には、どうがんばっても無理なことがある、それが普通なんだ、ということを感じとりながら育った。

だからだろうか、なにか失敗したり、結果が出せなかったりしても、「これが自分だ」と割と平常心で受け止めてこれた気がする。自己肯定感をひどく下げずに済んだのは、母の影響だろうか。
自分に夢を見すぎることなく、できること、向いていることを冷静に判断し、そのなかで小さな達成感や満足を重ねながら、それなりに楽しく生きている。これはこれで、けっこういい生き方なんじゃないかと、自分では思ったりしている。


ガスコンロにつづきエアコンが壊れて、今回もなぜか直って、あぶら汗と冷や汗をたくさんかいた週末。子どもの頃とは比べものにならない暑さの中、昔のいろいろな経験や思い出が今の自分につながっていることを再認識しながら、クーラーの有り難さに改めて感謝した日になった。
振り返ってみると母の教育方針に思うところが無くもないが、いま私がこうしておだやかに暮らせているのだから、まあ、結果オーライだったのだろう。


きょうだいの読書感想文を代筆してお駄賃をもらい、お菓子を買いに行こうとした私に母がかけた言葉を思い出した。
「みんなで分けられるものを買いなさいね」
自分だけでなく、その場にいる人たちと一緒に食べられるものを買うようにと、必ず言う人だった。
だから私はいつも、板チョコを買っていた。一口ずつ割って、まわりの家族や友達にあげていた。本当はカラフルな指輪型のキャンディが食べたくて、でもそれを選べなかったあの時の気持ちも、何十年ぶりに思い出した。

あの時はちょっと嫌だったけれど、でも今は、母が大事なことを教えてくれていたのだとわかる。少しほろ苦い板チョコの記憶は、おとなになった私のかなり根っこに近い部分に、しっかり残っているとわかっているのだから。


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