キッチンの向こうから。
ガスコンロが壊れた。
スイッチを押しても火がつかない。チチチチ・・・の音もしない。
前日までは普通に使えていたのに、うんともすんとも言わなくなってしまった。
電池切れを知らせるランプは点いていない。念のため新しい電池に交換してみたが、やっぱりつかない。故障かなあ。
うちのガスコンロは、栓もホースも外から見えないビルトインタイプ。
この物件に引っ越してきた時から備え付けてあり、十年以上前の当時からすでにベテラン感があった。開栓に来たガス会社の人にも「けっこう古い型式ですねえ」と言われた記憶がある。
とはいえ火力も十分だし、変なにおいもしないし、ずっと問題なく使えていた。
それなのに、急にどうしたのさ。
私の今夜の枝豆が茹でられないじゃないか。
故障だとすると、修理に来てもらわなくてはならない。面倒だなあ。
とりあえず何かできることを、と考え、掃除することにした。
五徳を外し、点火部分のキャップとリングも外し、細かいゴミや汚れを落として水洗いする。いったん分解して元に戻したら調子よくなったりするんじゃないかしら、と期待しながらスイッチを押してみるが、相変わらず火はつかない。
ダメか・・・電気回路の故障かな。
ネットで調べると、コンロを覆っているパネルも取り外せることがわかった。この際、中も確認してみよう。慎重にネジを外し、ガバッと開けると、中の構造は意外とシンプル。部品が外れたり配線が切れたりといった異常はないようだ。
中を軽く水拭きし、パネルの両側も拭き、再び閉める。今度はいけるんじゃないかな。かすかな期待とともにスイッチを押してみるが、しかしやっぱり、火はつかない。だめか。。。
熱中症アラートが出ている休日の午後、暑い台所で汗をかきながら、ムダな作業をしただけだった。
がんばったのに報われない。虚しい。悲しい。急にものすごい徒労感に襲われ、そしてなんだかとても腹立たしくなり、ガスコンロとシンクの間の天板をバンッと叩いた。
大きな音が響いて、ハッと我に返る。いかんいかん、モノに当たってはいかん。ビールでも飲んで、一息つこう。冷蔵庫に向かいかけたところで、なんとなく向き直り、もう一度コンロのスイッチを押した。
チチチチ・・・・と音がして、火がついた。
何事もなかったように、ボッと力強く、火がついた!
えっ? 叩いたから直ったの?!
嘘でしょ、昭和のテレビじゃないんだからっ!
ぴかぴかになったガスコンロに一人つっこみを入れながら、安堵の気持ちで冷えたビールを飲み干した。訳が分からないけど、とりあえず助かった。私の今夜の枝豆は守られた!
テレビの映りが悪いと、とりあえず叩いてみてたのは何歳くらいまでだったろう。
アンテナを握っていないと聞き取れないラジオとか、つまみの回し方にちょっとしたコツがいる給湯器とか、昔っていろいろとアバウトで、雑で、でもなんとか使いこなしていたんだよな。
そういえば実家では、ちょっとした修理なら父が自分でやっていた。蛇口の水漏れ、網戸の穴、タイルの剥がれ、自転車のパンク、家具のがたつき、鍋の取っ手が取れた・・・何かあるたび、何種類もの工具やネジがごちゃごちゃに入った工具箱を出してきて、黙々と作業し、直してくれていた。
父がなんでもできること、それをずっと当たり前だと思っていたが、大人になった今の私は、そのどれひとつもできない。きっとこの先も、このままだろう。
自分でなんとかできる力、自分の手で解決できる力、そういったスキルを持っている人は、人間として強いと思う。父にはそれがあった。
趣味や特技がなくても、家であまりしゃべらなくても、私たち家族がどこか父をリスペクトしていたのは、そういう理由もあったのかもしれない。「頼れるお父さんが居る家で育った」という記憶があること、それがどれだけ素晴らしく有り難いことなのか、今ならよくわかるのだ。
器用だった父は、運転もうまかった。それに気づいたのは、成長して友人や同僚の車に乗せてもらう機会が増えてきた頃。ブレーキの踏み方、カーブの曲がり方、高速チケットの受け取り方、すべてにおいて父のほうが上手でスマートだったのだ。
大切な家族を乗せて丁寧に走ってくれていたのだと知ると同時に、世の中にはそういう運転ができない人がいることも知った。実際、運転中のちょっとしたことが気になって恋愛モードに進めなかったことも何度かあったっけ。
ガスコンロを引っぺがしたら、その向こう側から、昔に住んでいた家のこと、父のこと、一度ドライブデートしたきりになった名前も覚えていない男の人のこと、いろんな記憶が次から次へと出てきた。どれももう、ずっと昔の、二度と戻らない過去のこと。懐かしくて、少し切なくて、そのぜんぶが愛しく思えてくる。
父は、あの工具箱をまだ持っているだろうか。
家族で暮らした古い家のことを、時々思い出したりするんだろうか。
お盆休みに帰ったら、聞いてみよう。
おそらくは多くを語らず、静かに笑うだけかもしれないけれど、そんな時間を共有しておきたいと、今は強く思うのだ。
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