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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 58 原本

陸奥介が陸奥権守に昇格してから初めての地方官の除目(じもく)において、彼はその任を解かれるとされたのであった。

この報に、国府内部では官人達の怒りと言うか、憤りが沸騰した。

一方で、これを知り、“ああ、そうだったのか”と得心する者達も少なからずあった。

現陸奥権守と入れ替りで“やって来る”陸奥守、及び、陸奥介は、ともに権門、藤原北家嫡流の流れである者、そして、それに縁(ゆかり)のある者であったわけである。

今や、陸奥国は“最良の草刈り場である”と、中央には認識され出したのであった。



陸奥権守は今回の辞令を知り、まず現下自らの主導において国府が執り行っている施策が、“彼”以後どのように推移して行くのか不安に思ったのであった。

特に「農地の拡大」ということに。

と言うのも、実際に鎮守府の元兵員を帰農させはしたものの、彼らは自らの手で原野を開墾せねばならない宿命にあって、はなから分かってはいたが、それは相当な年数を要し、それから、地味の現実を知って、ようやくそれに適した最も実入りの良い作物を試行錯誤しながら栽培の緒につかせる、つまり、一連の過程は非常に息の長い事業であって、間断ない国府の後ろ見抜きには成り立たないであろうと目されるもので、目先の利益に、公の判断ではなく、私心により目をぎらつかせるがごとき大変な慮外者どもが国府の上に立つという事態は、“目下のこの施策を易々と崩しかねない”と、陸奥権守には思われたからであった。

彼は、取りあえず、新任者達との引き継ぎにおいて彼らの心証を極力害さぬようにして、当地における農地拡大の意義、そして、その“重要性”を彼らの心胆にどう刷り込ませるべきか、今から入念に考えあぐねる必要性をひしひしと実感するのであった。

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