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意識は傍観者である~前編~

いよいよ紅葉🍁も深まり、季節は読書の秋になって来ましたね。

私がその季節になると言うことは、他の人も同じということで、よく行く喫茶店☕は、同じような人でいっぱいです💦仕方ないので、自宅や釣り場🎣で読みましたが…あ、だから最近釣れないのかな?w

で、今回の読書感想文📖👓はこちら👇

「意識は傍観者である」
ディヴィッド・イーグルマン著

サブタイトルは、~脳の知られざる営み~となっていて、帯には「あなたの頭にある脳は、実はほとんどあなたのものじゃない」と書かれています。

どういう意味なんでしょうか?確かに洗脳系の宗教にドはまりしている人は、そうかも知れませんが、普通の人は違うと思うのですが…

読み始めると、「なるほどなるほど、これは冗談の本📙ではなく、確かに科学の本📙だ」と納得します。

前半では脳の器質的な説明から始まり、「普段、人の意識がどれ程、脳の活動に関与するのか?」という話しに入って行きます。

もちろん、それは題名が示す通り、全く脳への自由なアクセス権限のない傍観者であると言うのですが、では意識の役割は何か?という問いが生まれます。

その回答として本書は、自転車🚲に乗り始めた頃の体験や、自動車運転の初心者🔰を例に出して説明します。

すなわち、不安定な状態や危険な状況下でのみ、意識は脳にアクセスできると言うのです。それ以外は、意識はただの傍観者でしかないと…

よくスポーツの練習で、コーチやトレーナーなどが、「考えてやれ!」など言いますが、実は考えてやっている間は、行動は未だ意識下にあり、全く安定しておらず、「考えなくてもできる」状態になって始めて「よい結果が出せる(安定する)」ようになり、無意識(脳)で活動できるようになります。ここで意識は脳と切り離され、意識は脳へのアクセス権が失われます。もちろん、再度危険な状況や不安定な状態になればアクセス権は意識に戻りますが、考えて考えてやり込んだ結果、考えてやらなくなることを目指すのです。何か不思議な感覚ですね💦

仕事の場面ですと、パソコン💻のキーボードのタイピングなんてどうでしょう?意識して叩いている人と無意識(脳)で叩けている人(タッチタイピング)のスピードの違いは圧倒的ですね💧

ちなみに私は現在、仕事の効率化の為に、タッチタイピングが出来るようになることを目指しているのですが…

時々こちらでタイピングを練習
お手軽コースでもこれが限界💦最近叩き出したベストスコア💦ちなみにタッチタイピングは、普通のコースで5000位以上の実力がいるとか?💦

私は、まだまだ脳に行動を委託(タッチタイピング)出来ないようですね💧ひたすら叩き続ける(やり込む)しかありません💦

また本書は、大リーグを例にだして、「そのスピードから考えて、実際ピッチャーが投げるのを見て、どうするか考えていては、打者は打てるはずがない」として、速い球をそれより早く動く事で、打者は始めて打つ事ができると言います。

もはや、未来予知に近い領域なのでしょうか?ちなみに、球技の再現ドラマなどでよく見られる決定的な場面のスローモーションは、現実では起こっていない(スローモーションで選手が、球を見る事はできない)と本書は言います。どうやら動体視力の問題ではなさそうです💦

無意識(脳)の領域は奥が深そうですが、クンフーの達人ブルース・リーの「考えるな感じろ」って言う教えを思い出しますね。(何の映画🎦でしたかね?)

指導するブルース・リー

確かに子どもの頃、マンガ「北斗の拳」でも、人間の潜在能力の残り70%を引き出せる主人公と、その主人公の技(秘孔)を真似るだけの悪役では、技(秘孔)の出し方が全然違いましたね💧

人間の潜在能力の残り70%を引き出せる北斗神拳
無意識では出来ないアミバ(悪役)
無意識に技(秘孔)を繰り出す主人公

内容が本書📙からかなり逸脱しましたが、言わんとしていることは伝わったと思います。

実は本書前半は、穏やかな流れなのですが、後半は一変してシリアスで難しい内容に雰囲気が変わります。

特に脳機能(器質性含む)の異常と触法問題(犯罪関係)について、脳科学の側面からアプローチされ、精神科医療や看護に携わる人間、また治療中の方や、犯罪などの更正保護に関わっている方にとっても、考えさせられる内容となっています。

よろしければ、後編も是非、ご一読いただけますよう、よろしくお願い致します。

終わり


※この記事には、直接引用の箇所はありません。引用部は、全て加筆しております。「ブルース・リー」も「北斗の拳」も本書には登場致しません💦内容を端的に表現する為に紹介しております。

☝️よろしければ後編もどうぞ!

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