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文体の舵をとる─ 『文体の舵をとれ』第六章+お知らせ


 小説のトレーニング本『文体の舵をとれ』を基にした習作です。過去記事は以下のマガジンにて。



●問題 人称と時制


第6章 動詞:人称と時制
<練習問題⑥ 老女>

 今回は全体で一ページほどの長さにすること。短めにして、やりすぎないように。というのも、同じ物語を二回書いてもらう予定だからだ。

 テーマはこちら。ひとりの老女がせわしなく何かをしている──食器洗い、庭仕事・畑仕事、数学の博士論文の校正など、何でも好きなものでいい──そのさなか、若いころにあった出来事を思い出している。
 ふたつの時間を越えて場面挿入(インターカット)すること。〈今〉は彼女のいるところ、彼女のやっていること。〈かつて〉は、彼女が、若かったころに起こったなにかの記憶。その語りは、〈今〉と〈かつて〉のあいだを行ったり来たりすることになる。
 この移動、つまり時間跳躍を少なくとも二回行うこと。

一作品目:人称──  一人称(わたし)か三人称(彼女)のどちらかを選ぶこと。時制── 全体を過去時制か現在時制のどちらかで語りきること。彼女の心のなかで起こる〈今〉と〈かつて〉の移動は、読者にも明確にすること。時制の併用で読者を混乱させてはいけないが、可能なら工夫してもよい。

二作品目:一作品目と同じ物語を執筆すること。人称── 一作品目で用いなかった動詞の人称を使うこと。時制── ①〈今〉を現在時制で、〈かつて〉を過去時制、②〈今〉を過去時制で、〈かつて〉を現在時制、のどちらかを選ぶこと。

『文体の舵をとれ』P.114-115


●パターン1 三人称・現在時制



 笹本雪枝ささもとゆきえが半世紀振りにランニングを始めたのは、医者の一言がきっかけだった。
(健康長寿のためですから)
 命を盾に取られては、大人しく従うしかなかった。

 静かな秋晴れの日。焦茶色に立ち枯れた蓮にも目をくれず、彼女は不忍池を走っていた。鼓動と汗が身体を伝った。皺枯れた額を拭うと、白髪が手の甲にへばりついた。寿命まで抜け落ちたような気がして、彼女は少し眉を下げた。

「雪枝さん、前島まえじま雪枝さん」

 声に向けて振り返ると、隣に若い女性が並走していた。溌剌はつらつとした表情が眩しかった。

「はい」

 駆け足のまま応えた。今は笹本です……と付け加えようとしたが、余計な一言だ、と思い止まった。

「やっぱり!まさか、本物の魔女に会えるなんて」

 そう呼ばれるのも、半世紀振りの出来事だった。
 笹本雪枝──旧姓:前島雪枝。かつて、彼女は魔女と呼ばれていた。ほんの一瞬だけ。

 風が吹きすさぶコートを、大歓声が包んでいた。
 女子世界王者とのエキシビジョンマッチで勝利ジャイアントキリングを収めた彼女へ、盛大な祝福が贈られる。木製のラケットを高く天に掲げ、彼女は声援に応えた。
 1960年代。第一次テニスブームが落ち着いた頃に、彼女は颯爽と現れた。炎のような気迫。水の如くしなやかな動き。雷を思わせるストローク。そして、風を味方に付ける強運……。そんな彼女を、メディアは“魔女”と持てはやした。
 彼女が表舞台から姿を消したのは、その試合の直後だった。

「よく知ってるのね」

 外見は老いさらばえ、業界との縁も絶えた自分は、とうに忘れ去られた存在。彼女はそう思っていた。

あの・・試合、見てましたから」

 見ていた?中継のマスターテープは上書きされたはず。一般家庭の録画映像が偶然残っていたのだろうか?驚きと困惑が、彼女の心を突いた。

 続いて放たれた一言は、そんな彼女を更に驚愕させるものだった。

「同じ風を浴びてるんですよ、あの日から」
 
 再び、心に風が吹いた。

●パターン2  一人称・時制①


①〈今〉を現在時制で、〈かつて〉を過去時制 を採用

 私が半世紀振りにランニングを始めたきっかけは、医者せんせいの一言だった。
(健康長寿のためですから)
 命を盾に取られては、大人しく従うしかない。

 静かな秋晴れの日。焦茶色に立ち枯れた蓮にも目をくれず、私は不忍池を走る。鼓動と汗が身体を伝う。皺枯れた額を拭うと、白髪が手の甲にへばりつく。寿命まで抜け落ちた気がして、少し気が滅入る。

「雪枝さん、前島まえじま雪枝さん」

 声に向けて振り返ると、隣に若い女性が走っている。溌剌はつらつとした表情が眩しい。

「はい」

 駆け足のまま応える。今は笹本ささもとです……と付け加えようとしたけれど、余計な一言だ、と思い止まる。

「やっぱり!まさか、本物の魔女に会えるなんて」

 そう呼ばれるのも、半世紀振りの出来事になる。
 かつて、私は魔女と呼ばれていた。ほんの一瞬だけ。



 風が吹きすさコートを、大歓声が包んでいた。
 女子世界王者とのエキシビジョンマッチ。勝利への祝福。木製のラケットを高く天に掲げて、私は声援に応えた。
 1960年代。第一次テニスブームが落ち着いた頃、私はコートに立っていた。
 炎のような気迫。水の如くしなやかな動き。雷を思わせるストローク。そして、風を味方に付ける強運……。メディアはそのように私を評し、やがて“魔女”と持てはやした。
 私が表舞台から去ったのは、その直後だった。



「よく知ってるのね」

 外見は老いさらばえ、業界との縁も絶えた私は、とうに忘れ去られた存在。そう思っていた。

あの・・試合、見てましたから」

 見ていた?中継のマスターテープは上書きされたはず。一般家庭の録画映像が偶然残っていたのだろうか?驚きと困惑が、私の心を突く。

 続く一言は、私を更に驚愕させる。

「同じ風を浴びてるんですよ、あの日から」

 私の心に、再び風が吹く。

●振り返り+お知らせ



 当然ながら、三人称→一人称への変換は、「彼女」を「私」に変えれば済むものではない。例えば「彼女は颯爽と現れた」を「私は颯爽と現れた」にすげ替えたら、大概の場合、性格的な違和感が発生するだろう。
 また、一人称で書く際は、キャラクターのボキャブラリーに相当気を遣わなくてはならない。それにはキャラクターへの解像度の高さ(この用例は正しいのか?“理解度”と言うべきか?)が必要不可欠となるだろう。俺はキャラクターを考えるのが苦手なので、どうにか上手くなりたいものだ。


 ……加えてお知らせです。


 先日「俺 VS 5年前の俺」で述べた新作ですが、その後無事に進みました。現在99%書き終えており、最後の校正中です。投稿までもう少々お待ち下さい。

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