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服と記憶は結び付く── モッズコートと俺の十年史



 服を選ぶ手間を省くのは、手っ取り早いストレス軽減策の一つだ。その点モッズコートは楽で助かる。近所を出歩くだけなら、羽織って部屋着を覆い隠せば済んでしまうから。そんな“モッズコート”を購入してから、もう十年余りの時間が経つ。
 ふと考えた。もし服にも記憶が宿っているとしたら、俺たちはどのような思い出を共有しているのだろう…?
 これは彼を約十年間も着続けた俺の、取るに足らない思い出の話だ。





 薄手の生地に淡い緑色、膝頭を隠すほどに長い丈をした彼との出会いは…そう、2010年:大学一年生の冬。
 “秋・冬・春と着回せそう”という利便性重視の考えをもとに、俺は量販店GAPのセール品陳列棚に掛けられていた彼を手に取った。値段は一万円にも満たないが、赤貧に喘ぐ大学一年生にとっては覚悟が必要な買い物だった。
 それ以降、大学へ行く服装に悩んだ日には、迷うことなく彼を着ていった覚えがある。暑い日にはシンプルな白シャツ、寒い日には厚手のスウェットやパーカーを覆い隠して、俺は彼をヘビーローテーションしていた。
 彼と過ごした学生生活はかけがえのない日々だった…はずだが、毎日の出来事はほとんど思い出せない。いつどこで誰と語らい、どんな講義を受けたかなんて情報は、もはや忘却の彼方。俺は覚えておらずとも、彼はその日々を覚えてくれているだろうか。




 彼に結び付いた学生時代の記憶で、忘れたくても忘れられないエピソードがある。
 ある時、サークルの部室に集った四人ほどが全員モッズコートを着ていた。勿論モノ自体は違うので、話題は自ずから“何処で、幾らで買ったものか”というものに移った。それぞれが値段を披露していった結果、俺がダントツの最下位となった。五万円もするコートを着ていた後輩のことは、今でも忘れられやしない。大学生のオシャレ格差を突きつけられた、そんな出来事だった。
大事なのはブランドや値段じゃない。自分で気に入ってるんだからそれでいいんだ。そう俺はうそぶいた。こうして悔しさを感じる一方で、かえって彼への愛着が強まるきっかけとなったのもまた事実である。
 なお、三十歳を迎えた今でも、俺は五万円する服など買ったことがない。





 時は流れ、俺は院生になっても相変わらず彼を酷使していた。その時期には、こんな輝かしい思い出もある。
 修士課程=下っ端の俺には、忘年会の二次会で余興を振られる運命が待ち受けていた。開催数日前、先輩がこっそりと俺に下した通告は、“カラオケで先陣を切って「Dragon Night」を歌え”というものだった。



 2014年秋にSEKAI NO OWARIがリリースした「Dragon Night」。キャッチーなメロディとユニークな歌詞・PVが話題となり、スマッシュヒットを叩き出したことは今なお記憶に新しい。一方でこのPVの印象があまりにも強烈だったため、モッズコート=SEKAI NO OWARI、或いは「Dragon Night」という世間的なイメージが強まった時期でもあったのではないか。
 季節を問わずモッズコートに身を包む俺を見て、きっと先輩も同様の印象を抱いたのだろう。
「旗は用意しとくから」
先輩は俺の肩を叩いた。




 こうして俺は彼を羽織り(ファーの有無は大した問題ではない)、マイクを“トランシーバー持ち”し、旗(という建前のホウキ)を肩に掛け「Dragon Night」を熱唱した。自分で言うのも何だが、こっそり練習した甲斐もあり、完璧な音程とパフォーマンスを決めることが出来たと思う。
 決して歌唱力に自惚れるつもりはない。しかし、一つ確実に言えることがある。ウケを狙いに行ってはスベる事に定評がある俺だが、この瞬間、間違いなく人生史上最大の喝采を浴びることができたのだ。「hey!」の合いの手でカラオケルームが震えた奇妙な感覚は、どうしても忘れ難い。
 先輩たち同様に相当酔いが回っていたのか、それとも脳内に溢れ出ていたエンドルフィンやアドレナリンの影響か。とにかく俺も楽しくて可笑しくて仕方がなかった。とっておきの見せ場を演出してくれた彼には、今でも忘れず感謝している。もちろん、丁寧なお膳立てをしてくれた先輩にも。




残念ながら、思い出とは決して栄光ばかりではなく…。
 修士課程も終わりを迎えようとしていた頃。彼と、そして当時交際していた彼女と共に、箱根へ日帰りの温泉旅行に出掛けたことがある。
 待ち合わせ場所は新宿駅の小田急線ホーム。その出会い頭から、彼女はいつもより口数が少なかった。何か粗相をしたか…?気まずい空気が続く。焦る俺。乗ったロマンスカーが小田原駅を過ぎた頃、彼女は口を開き、不機嫌な理由を述べ始めた。かいつまんで言うと、
「その服装が気に食わない」
というのである。自分が服装や化粧等の準備に時間をかけているのに、その適当っぷりは何だ。ダサい適当な服装で現れるな。それが彼女の言い分だった。
異性が放つ「ダサい」の一言は目に見えぬ凶器。反論をする気も起きないほど心身を滅多刺しにされた俺は、彼を基本的に知人と会わない時用の服、いわば“準部屋着”へと二軍落ちさせることを決めた。着続けるたびに強まっていたはずの愛着が、途端に薄らいでしまったのである。




 やがて社会人となった俺は、彼となあなあな関係を続けていた。処分するほどの痛みもなく、かと言って堂々と着るほどの愛着もない。俺の中で、彼は多少雑に扱っても心が痛まない“服を選ぶ手間を省くための服”程度の存在になっていた。




 こうして訪れた2020年の歳末頃。
 ある朝突然、俺の腹と腰を激しい鈍痛が襲った。心当たりはある。尿管結石だ。高校時代に患ったものが再発したらしい。慣れない痛みを堪えつつ部屋着の上に彼を羽織り、タクシーを拾って大学病院へ急いだ。
 どうにか総合診療科を受診するも、緊急性のない患者の順番が簡単に回ってくるはずもない。あまりの痛さに疲弊し、目先のソファーに座ることすら億劫になり、ロビーの床にしゃがみ込んで耐えた。




 …やがて気付いた。俺は無意識に、裾を地面に付かせぬようにしまい込み、スカートを覆い隠すような体勢をとっていたことに。
 俺は彼に汚れてほしくない。雑に扱っても心が痛まないなんて嘘だ。十年間も苦楽を共にし、今現在もこうして苦を分かち合っている彼を、どうして粗末にすることができようか?




 それから一年以上経った今でも、俺は彼を愛用し続けている。
 この約十年間に購入し手放した服は数知れないが、処分せずに着続けているものは彼しかいない。流石に少し色あせてきた気がするが、汚れやほつれはみられない。体型が変化がしない限りは、このまま次の十年後も着続けるつもりだ。
 きっと、ほとんどが文章に残すほどでもない、大した事件もない平穏な日々。でも確かに俺の人生を構成する一部となる記憶を、これからも俺は彼と共に紡いでいくのだろう。




 これからもよろしく頼むよ、相棒。

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