雪と月

受けてきた性的虐待について、主に書いていきたいと思います。 【フラッシュバック注意⚠】

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    フラバ注意⚠︎

最近の記事

話しても無駄、話すのが辛い

精神科通院とカウンセリングを勝手に辞めて2ヶ月くらい…。 日々辛いことは沢山あるし、親との拗れにこじれた関係も全く良くならないし(それどころか悪化してる気もする)相変わらず寝付きが悪い上に睡眠リズムも乱れまくっている…。 相談したいことは沢山あって、話したい・聞いてほしい・発散したい気持ちはあるのに、話すと苦しくなるから話したくないとも思う。病院に行くと、辛いことを話してしまいたくなるから、勝手に辞めた…って感じです。 苦しくても、「どうせ話しても無駄」「話したあとに苦し

    • 居なくなりたい。 探されたくない。 放っといてほしい。 愛されたかった。

      • 苦しいなぁ。

        家族を壊したくない、って性虐待を言うか言わないか迷っていた頃がありました。 迷う必要なんてなかった。 あれほど壊したくなかったのに、自分を傷付けて耐えてたのに。 耐えきれなくて、性虐待を受けてると言ったら、親には家族を壊す病気だと言われました。 この腕の傷には、何の意味もなかった。 黙って消えればよかった。 私が壊したくなかった家族って何。

        • 実母「性虐待は嘘だ」

          Twitterを消してしまったので、思っていることを書ける場所がなくて…。noteが残っていたのを思い出したので久しぶりに書きます。分かりやすい文にするつもりも、言葉を選んで書くつもりも無いです。 私は、幼い頃からずっと性的虐待を受けていました。されていることの意味を知って、私を愛してくれる優しい父親とのギャップに辛くなって、自傷も未遂もしました。学校も辛いことが度々あって、家にも学校にも自分の居場所がないと感じて苦しかった。 でも、運良く児童相談所に一時保護されて…。父

        話しても無駄、話すのが辛い

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          4本

        記事

          自立する。

          今は、高3の冬。もうそろそろ春です。 高3の3月って、一般的にも慌ただしい時期ですけど、児童養護施設に入所している子どもも慌ただしいし、否応無しに自立して出ていかなきゃいけないし、本当に大変です。 もうすぐ、3年間暮らした"うち"を出なきゃいけないなんて…一人暮らしを想像してワクワクもするけど、寂しいし不安のほうが勝ります。 私は措置延長という制度を使って、大学在学中は、施設に帰省したり相談したりできるけれども、就職する子はその制度は使えません。 18歳はもう大人だか

          自立する。

          1番大切なもの。

          今、とても辛い。 高3になって、具体的に自分の将来を考える中で、お金の事とか家族の事とか、たくさん考えて苦しくなってます。 施設にいる/いた他の子も、やっぱり施設を出るタイミングで、過去の事と未来の事を考えて辛くなる/なったのかな? ーーーーーーーーーーーーーー タイトルにあるけど、 私は、家族を1番大切に思っていました。 だからこそ、今、家族に分かってもらえないことが何よりも辛い。 それに、今後も信じてもらえないことが目に見えてるから、自分も家族との関係は覚悟

          1番大切なもの。

          自分の記憶

          毎日のように考えることがあります。 私の記憶は正確なんだろうか 私の言う記憶とは、性的虐待に関する記憶です。私がこんな事を考えるのは、自分の被害を家族が信じてくれないから…。 被害記憶は匂いも味も感情も伴って再現されます。それでも私の記憶は「私の作った嘘」だと言えるのでしょうか。 ただし、家族が私の被害を嘘だと言うのには、それなりの理由があります。 学校での悪口のせいで私が不安定だったこと▶だから話を信用出来ない。 アダルトサイトを大量に見た履歴があること▶性被害

          自分の記憶

          精神科に入院してた話

          僕は1年弱、精神科に入院していました。虐待によるPTSDが理由です。 最初は長くても半年と言われていたのに、どんどん伸びていって、退院したのは高校生になる直前でした。 自殺未遂があったり、自傷行為も激しかったので、保護室までは行かなかったけれど、カメラの付いた個室に入っていました。他の子と揉めた事もあったので(相手も自分も悪いけど、きっかけは相手。)、特別に安静タイムが作られて、自由時間も部屋に居させられることがあったかな。 入院中、1番嫌だったのは、土日や長期休暇です

          精神科に入院してた話

          ②小学校

          ※前回の記事【①幼少期】では「である・だ」を語尾に使っていましたが、どうしても固い文章になってしまうので「です・ます」に直す事にしました。 性的虐待の内容【フラバ注意】小学校時代には、幼少期に行われたものに加えて、膣に指を入れられること(寝ている時やお風呂で)もありました。実際の性行為(セックスのこと)は小学校時代(後半)からあったのか、それとも中学校からなのかはあまりはっきりと覚えていません。(以前、ある人に聞かれた時は『中学校から』と答えたのですが、もしかしたら高学年の

          ②小学校

          今に至るまで

          はじめに僕は今、ある施設(どんな施設とはここでは書きませんが…)に住んでいます。施設に入るまでは、精神科専門の病院に入院していました。さらにその前は、自分の意思で一時保護を受けています。ここでは、それぞれについて書いていきたいと思います。 一時保護僕が一時保護されようと考えたのは、父親の性的虐待に耐えられなくなったからです。保護の前日には、ODや自傷行為をして死のうとしました。結局僕は死にきれなかったのですが、翌日、フラフラの状態だった僕に気づき、話を聞いてくれた大人がいま

          今に至るまで

          ①幼少期

          僕は父と仲良しだった。小さい頃から、膝に乗って甘えたり、2人で一緒に出かけたり…唯一の女の子だから可愛がってくれていたのだと思う。家の中でもベタベタしていた。 幼少期は、寝室とお風呂で性的虐待を受けていた。内容は確か、股を舐められる・触られる、父の性器を咥えさせられる・触らされる、が主だったと思う。まだ挿入される事は無かったのかな…? ただ、正直僕は、あまりはっきりと覚えていないので、幼少期のことで書けることはほぼ無い。なぜなら、僕にとっては、性的虐待は日常で、父と仲良

          ①幼少期

          性虐待の始まり

          最初の性虐待は、両親の寝室で行われた。 ハッキリとは分からないが、当時は幼稚園児くらいだと思う。 その日、僕は父と遊びたかったので、寝室の隣にある書斎に行った。 最初は普通に遊んでいたはずだった。父にお馬さんをしてもらったり、飛行機をしてもらったり…仲良く遊んでいた。 父が僕に手を出したのは、「狼ごっこ」を始めてからだ。父はまず、僕を仰向けに寝かせて、僕のズボンを脱がせた。そして、僕の足を持って開き、僕の股をいきなり舐め始めたのだ。 僕は、その時の父の視線が忘れられ

          性虐待の始まり