自分の記憶
毎日のように考えることがあります。
私の記憶は正確なんだろうか
私の言う記憶とは、性的虐待に関する記憶です。私がこんな事を考えるのは、自分の被害を家族が信じてくれないから…。
被害記憶は匂いも味も感情も伴って再現されます。それでも私の記憶は「私の作った嘘」だと言えるのでしょうか。
ただし、家族が私の被害を嘘だと言うのには、それなりの理由があります。
学校での悪口のせいで私が不安定だったこと▶だから話を信用出来ない。
アダルトサイトを大量に見た履歴があること▶性被害にあってるなら見れるわけがない。サイトの見過ぎによって自分に起きた事だと勘違いしてるのではないか。
目立った外傷がない ▶性虐待で傷がないなんておかしい。性交までされていると言ってるのに有り得ない。
これだけ見ると、確かに私の被害証言は嘘なのかもしれない、と思わされます。
ですが、私が不安定だったり、アダルトサイトを大量に見ていたのには理由があるのです。
まず、当時の私の精神状態が不安定だった事は、学校での悪口も原因ではありますが、それ以上に幼い頃からの性的虐待の影響を受けていると、私自身は考えています。
この時期は、自分がされていた事を性的虐待だと強く認識し、辛く感じ始めた時期です。そこでたまたま、ネットなどで自傷を知ってしまった事で自分を傷つけるようになり、友達ともその事で疎遠になり、段々と不安定になっていったのだと思います。
また、サイトを見ていたのは、今考えてみれば被害の再体験・再演だと思えます。
性被害にあった時に、例えば、幼い子供が遊びの中で被害を演じたりすること(お人形遊びで演じるなど)があるそうですが、私の行動もこれに当てはまるのかな…と。
それ以外にも、サイトを見ることで、自分がされている事は楽しい事だと思えていたのかな…。そう思わないといけないくらい辛かったんだと思います。
あと、外傷がないことをおかしいと言われましたが、性的虐待の多くは乱暴なものではないため、傷が残らないことも多くあるそうです。(2枚目の写真10行目から)
こういう情報や分析によって、私は自分を信じることが出来ています。…そうでなかったら、大好きな家族に何年間も信じてもらえないのに、嘘じゃないと言い続けることは出来なかったと思います。
自分を信じるために、こんなに調べて分析しなければならないくらい、私は嘘なのか、本当なのか、という事に囚われているのかな…。
きっと、「嘘をつきました」って嘘をつけば、私の事を家族は迎え入れてくれるし、壊れた家族を元に戻せるかもしれない…。だから、きっとこれからも、
嘘だと言うのか、自分の記憶を信じるか
ずっと迷い続けて生きていくのだと思います。
でも、
私の記憶、本当は、信じて欲しいな。
長い文章ですが、最後まで読んでくれてありがとうございました。
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