18分の3 ~6月編~

慌ただしさと共に文化祭は走り去って行った。振り返ればずっと教室にいた。
茶道部のお茶会展示での担当時間以外は教室にいた気がする。友達のギターも聞きに行った。
お茶会展示の時の衣装は浴衣で、本当は着たくなかったけど仕方なく着た。衣装だから仕方がない。私の選択じゃない。
写真撮るって担任に言われるがままに写真を撮った。すっかりマスク姿の写真がデフォルトなったことに安心感と月日が経つのを感じた。
体育祭の日、私の出番は午後の綱引きだけ。団Tシャツはジャージの下に隠れたまま、緑のハチマキはリボンの形が綺麗に保たれたまま、お昼を迎えた。
机の下でこっそりおにぎりを食べた。前を向いて友達と食べるのは怖かった。朝スーパーで買ったおにぎり。周りから聞こえてくる笑い声が羨ましくも怖かった。
綱引きも終わって、最後の結果発表。
団全員が思っていた通り。競技だけじゃなく、団旗も表情圏外だった。当たり前のことだ。
帰る前に担任からお菓子をもらって帰った。
私のクラスメイトが1人、体調不良で保健室送りになったらしい。重度の貧血の子。正直、なんであそこまでして学校に来てるのか分からない。階段だってまともに登れてないのに。

2年生になると3つの類型に分かれる私の学校では、類型説明会が開かれた。文系コース、理系コース、医療看護コース。私は看護師になることが将来の夢であり看護学校に行くつもりだったが、理系コースへの希望を持っていた。
医療看護コースは看護学校入学に必要な科目だけ勉強する。そのため、ほかの勉強をすることが出来ない。それでは教育的に不十分ではないかというのが私の意見だ。
その気持ちは類型説明会を終えた後でも変わらなかった。寧ろ医療看護コースに対する気持ちはマイナスにまで下がっていた。
その日、私は当たり前のように理系コースと書いた進路希望調査書を提出した。

そんな毎日を過ごしていると、期末考査週間が見えてくる。期末考査のための土曜授業が開かれたが欠席した。土曜日まで授業を受けたい人がどこにいるのだろうか。あくまでも任意だと言うのに、9割が参加していることが信じられなかった。

この月、ある歌い手グループを推してちょうど100日を迎えた月だった。
推し中心の生活を送っていた。高校に入り環境の変化や人間関係に精神的にも肉体的にも疲れを感じていたが、推しの力のおかげで何とか生活を成り立たせていた。

写真フォルダーは空の写真で埋め尽くされていった。夕焼けの空を何枚も取り続けた。

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