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【エッセイ】「趣味:星野源」ということ。

前置きをしておくと、
私は「星野源」について、特に好きなわけでも嫌いなわけでもない。

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英語の授業で、チームに分かれて「自己紹介をする」というものがあった。
どの学校でもありそうな授業。

そこで同じチームにいた男子が、
自己紹介をして趣味についても話した。

My favorite is
「ガンダム」「バイク」「ギター」『星野源』

私は少し唖然としてしまった。
趣味が「星野源」なのである。

その事については突っ込んで聞かなかったので、どのくらいの熱量で「星野源」が好きなのかはわからないが、趣味に書くほどなのだから「それなり以上」には好きという事なのか。

もちろん、あれだけの有名人だから、男女問わず「星野源」が好きな人は、山ほどいる。

中には、この男子のように
「趣味:星野源」と書く人もいるだろう。

私に関して言えば、
「星野源」の曲は何度も聞いたし、
良い曲だなと思う事は多い。

そして他人が「趣味:星野源」と書こうが、
何の問題もない、はず。

しかし、いざ「趣味:星野源」と目の当たりにすると、私の小さな頭では全く理解ができなかったのだ。

これは何故かと考えた。

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私には趣味がいくつかある。
「読書」「スポーツ」「カフェ巡り」「ネイル」「ファッション」など。

興味のないものも沢山ある。
「車」「バイク」「ロボット」など。

私は、自分が興味ないものについても、他人がそのことが好きという気持ちはわかる。
それらの事に熱中する理由もわかる。
理解はしているつもりだ。

しかし趣味が「星野源」について、
私にはまるで分からない。

この事について、授業中も家でも考えた。
そして、一つの結論らしきものが思い浮かんだ。

それは
「当たり障りないもの」という事。

どうやら私にとっては、
「星野源」=「当たり障りないもの」
と認識しているようだ。

--
自分の趣味を話すときに、
「読書」「スポーツ」というのは「当たり障りない回答」と思われる。

それは無難であり、誰にでも悪く思われない回答だ。そもそも実際にそれらが好きな人は多い。
私もそのうちの1人。

しかしこの場合の「当たり障りない」とは意味合いが違う。

「星野源」そのものが「当たり障りない存在」という意味だ。

ちなみにこの「当たり障りない」というのは、
「普遍的」といった類のものではない。

この「当たり障りないもの」について、
他に例がないかと頭を「ぐるぐる」と回してみたが、中々出てこない。

すごく抽象的で曖昧な例を挙げると、
誰かに「星野源」が好きと言う。
相手が「ああ、良いよね」と答える。

この「ああ、良いよね」というのが、
「当たり障りない」という事。

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誰からも「ああ、良いよね」と言われる存在は中々いないと思っている。

本当に良いのか悪いのかはともかく、
それは一つの存在であり「アイデンティティ」

この表現は「星野源」本人が言ったわけでもないし、誰かが言ったわけでもない。

ただ、私自身が「星野源」をメディアで見て、ほんの僅かだが彼を取り巻く周りの環境も見ていて、そのように感じた。

私はこの先、大なり小なり一つの
「アイデンティティ」
を築くことは、果たしてできるのか。

つづく。


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