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『魔女の宅急便』のキキが双子の母になっていた

 子育てをしていると、すっかり忘れていたはずの子どもの頃の気持ちが、ふと蘇ってくることがある。

 例えば、木からポトンとドングリが落ちてきた時。そのドングリを1つずつ集めている時。落ちている枝を拾い、砂に絵を描く時。ナツメを収穫し、籠にポイっと放り投げる時。

 そうやって夢中になっている息子の背中に、幼い頃の自分を重ねながら、一緒になってワクワクしていると、ハッとする瞬間があるのだ。私は今日までたくさんのことを知ってきたつもりだったのに、同じくらいたくさんのことを置き忘れてきてしまったのかもしれない、と。

 息子のおかげで、子どもの頃に好きだった映画を観返すことも増えた。先週末に観たのはジブリ映画『魔女の宅急便』。旧暦のお盆である秋夕(チュソク)の5連休後半、体調不良で機嫌が悪い夫と、暇を持て余している2歳前のやんちゃ息子の世話に疲れ果てた私は、「そうだ、ジブリに助けてもらおう」と、すがる思いで『魔女の宅急便』を再生したのだった。

 幸い、息子はこの映画の主人公———魔女見習いの13歳の少女・キキや黒猫のジジが気に入ったようで、「キキ、キキ」と20分くらい夢中になって観てくれた。その後、すぐ飽きて他の遊びを始めてしまったものの、割とおとなしくいてくれたので、私は久々に、昔好きだったジブリ映画を最後まで観ることができたのだった。

 幼い頃には全く気づかなかったけれど、大人になって観返すと、この映画には、少女が大人の女性になるために必要なことが、すべて描かれている気がした。

 どんな時も笑顔を忘れないこと。自分が持っている力を知り、それを人のために生かすこと。うまくいかなくても諦めないこと。素直になって心を開くこと。そして、自分ではどうしようもない時に、人生には「他者」が必要であるということ。

 この映画の中ではそれが、初対面のキキに部屋を提供したパン屋のおソノさんであり、魔法が弱くなって落ち込むキキに「家に泊まりにきなよ」と声をかけた絵描きの少女・ウルスラであり、出会った時から「空が飛べるなんて、君すごいよ!」とキキを尊敬し続ける少年・トンボの存在だった。

 中でも圧倒されたのは、いつもアハハと豪快に笑う妊婦、おソノさんの姿だ。人生の中で彼女のような人に出会えることは、すごくラッキーな天からの贈り物ではないだろうか?

 もちろん、キキが最初に、自分にできること———パン屋に忘れていった赤ちゃんのおしゃぶりをお客さんに届けたことがきっかけで、おソノさんに気に入られ、住む場所まで貸してもらえることになったわけだが、出会ってすぐ「あんたのこと気に入ったよ」と言って無条件に応援してくれる他者に恵まれることが、どれほどありがたく勇気づけられることか。

 子どもの頃観た時には、キキのように「おソノさんっていい人ね」くらいの気持ちだったけれど、これまで行く先々でたくさんの人に助けられ、今日まで何とかやって来られた私には、身重のおソノさんの姿にお世話になった人たちの姿が重なって見え、じんと来た。

 絵描きの少女・ウルスラの存在感もなかなかのものだ。生きていると親や兄弟、恋人や夫ではなく、「友達」を必要とする瞬間があることを彼女が教えてくれる。

 さらに、彼女は表現者だ。絵が描けなくても描き続ける。それでもだめなら辞めてみる。違うことをして、また描きたくなったら描く。そうやってスランプを乗り越えていくのだとキキに語るシーンは、今、自分の表現の形を模索している私にも大きな力をくれた。

 結局、息子より私がこの映画に夢中になり、飽きもせず3日間、観続けた日の夜。私は初めて『魔女の宅急便』の原作が児童文学であり、角野栄子さん(85歳)という作家の作品であることを知ったのだった。

 しかも、映画で描かれた話には続きがあった。角野さんは1985〜2009年にかけて『魔女の宅急便』シリーズを6巻も書いていたのだ。1巻では13歳だったキキが、6巻では30代半ばの双子のお母さんになっていた。

 私はキキのその後の人生に興味がわき、これから全巻読んでみようとワクワクしているのだが、それ以上に心ひかれたのは、作家・角野栄子さんの歩んでこられた人生についてだった。

 いくつかのインタビューを読んでみると、角野さんは幼い頃から作家になりたかったわけではなかった。大学で英文学を学び、出版社に就職後、23歳で結婚。翌年、夫と共に2年間ブラジルで移民生活を送っている。35歳の時、大学の恩師の勧めでブラジルの経験をもとに児童書を1冊書いたものの、その後7年間は子育てをしながらひとりコツコツと作品を書き続け、一度も発表することはなかったそうだ。

 作家としてデビューしたのは42歳の頃。1985年に書いた『魔女の宅急便』が89年に映画化された時は、すでに54歳になっていた。そして85歳になる今も、物語やエッセイを書き続けている。そんな角野さんのインタビューの中で、印象的だった言葉がある。

昔は「もっと若い時から書いていれば、その年代らしい文章でもっと素晴らしい作品が書けたのかな」とも思いました。でも、今はそう思わない。作家が一生のうちに書ける文章の量は、そんなに変わりません。遅く出発したからこそ、まだまだ書けます。私はもっと冒険して、いろいろな作品を書いていきたいと思っているんですよ。
42歳でプロの作家に『魔女宅』角野栄子が「生きがい」に気付いた瞬間 『早稲田ウィークリー』2019年7月3日掲載記事より引用

 今の時代、1歳でも若い時に何者かにならないと、何らかの結果を残さないと、「負け組」の烙印を押されたように感じる若者は多いかもしれない。20年ほど前、私が大学生だった頃から、世間の空気が少しずつそのような方向に変わり始めていたように思う。

 しかし、年を重ねていくうちに、角野栄子さんのようないわゆる「遅咲き」の人たちに出会うことが増え、人生は自分の考え方やとらえ方次第で、何通りにも道が広がっていくのだということを教わった。そして、何かを始めるのに遅すぎることはない、ということも。

 私が出会った遅咲きの人たちは、口を揃えて「遅くスタートしたのだから、みんながリタイアした後も、私はずっとやりたい仕事ができるのよ」と言って笑っていた。

 高校や大学を卒業と同時に希望の職に就き、輝かしいキャリアを積んでいく人もいる一方で、若い頃、思い通りにはいかなかったけれど、その回り道があったおかげで自分のやりたいことに出会えたという人もたくさんいる。私は今、そういった人たちが残してくれた作品や物語、数々の言葉にたくさん励まされている。

 最後にもう1つ、角野栄子さんのインタビューで印象的だった言葉を紹介したい。7年間子育てをしながら、書くことが楽しくて、毎日作品をコツコツと書いていた時のお話だ。

(作家として生きていく覚悟なんて)そんなのないの。でも、一生書いていこうと思った。書いたものが本になるとか、プロの作家になるとかそういう問題じゃなくて、「自分が書きたいものを一生書いていけば、毎日いきいきとしていられる」と思いました。子どもを育てることも喜びだけれども、案外母親って孤独を感じたりするので。 だから、自分の生きがいを見つけられたことが、すごくうれしかったの。———『早稲田ウィークリー』2019年7月3日掲載記事より引用

 自分の生きがいや人生の目的とは、意外に、そうやって孤独と向き合っている時に見つけられるものなのかもしれない。『魔女の宅急便』のキキも、魔法が弱くなって飛べなくなり、相棒の黒猫・ジジの声まで聞こえなくなった時、孤独感にさいなまれて初めて「自分の魔法は何のためにあるの?」と考え始めたのだから。

 私にとっての子育ては、幸せと孤独が背中合わせだけれども、息子のおかげで置き忘れてきたものに気づいたり、新たな発見があったりもする。この秋は『魔女の宅急便』のキキと再会し、彼女も年をとって双子のお母さんになっていたのだと知ることができて本当に良かった。

 「私たちまだまだこれからよ」。大人になったキキに、そう言われた気がした。そうだ、まだこれからだ。それぞれの場所で今できることを積み重ね、きっと、またいつか、再会しようね。

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