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40歳の終わりに始めたこと

 韓国・ソウル近郊の私が暮らす街では、例年より1週間ほどはやい4月2日(日)に桜が満開を迎えました。数日後に雨が降ったので、咲いたと同時に散ってしまいましたが、今年も公園で束の間のお花見を楽しめたことは、良き思い出です。

 この春は、ずっと会いたかった韓国人の友人と、6年ぶりに再会することもできました。11年前の韓国留学中に出会った頃から変わらず、映画の世界で頑張っている彼女。私は20歳の頃から小説や詩を書いたり、絵を描いたりすることに関心を持ち、休み休みだけれど少しずつ取り組んできたので、脚本を書いたり映像制作に携わっている彼女と話すのは、時間を忘れてしまうほど楽しかった!

 彼女と再会して気づいたのは「ああ、私はずっとこういう話がしたかったんだな。こんなにも話したいことがあったんだな」ということでした。国籍も年齢も家庭環境も仕事も、何もかも違う2人の間にある共通項は、「創作して生きていきたい」という気持ち。「10年後には、お互いいくつも作品を生み出せていたらいいね!」と語り合いながら、桜舞うソウルの街を並んで歩いたことは、これからもずっと忘れないと思います。

 久々に会えた友人のおかげで、この6年あまり見る気がしなかった韓国ドラマや映画を少しずつ見たくなったり、「いいよ!」とオススメしてくれたK-popのガールズグループ、New Jeansの音楽にすっかりハマったり。彼女に限らず、細く長く関係が続いている友人や人生の先輩たちは、会うたびに、話すたびに自分の世界をぐっと広げてくれて、本当にありがたい存在です。

 そしてやっぱり、人と直接会って話すって大事ですね。3年ぶりでしょうか?マスクを外して笑って話せる日が来たことが、とても嬉しくありがたい。そんな春です。

 さて、話は変わりまして。私は昨年の終わりから、「自分のことに集中する」という小さな目標を掲げて暮らしてきました。そのためにSNSや時間の使い方を変え、新しいことを始めてみたのですが、100日以上続けてこられたので、ここまでの歩みをエッセイにまとめてみました。

WEBマガジン『Stay Salty』不定期連載エッセイ
ーオンマと呼ばれる日々ー

第9回『40歳の終わりに始めたこと』

 20代の頃、たどり着きたい場所は明確にあるのだけれど、そこへ行くためにやるべきことを一つに絞りきれないと言う私に、ある人がこう言ってくれました。「何でも種を蒔いておけばいいんだよ。どこから芽が出るかわからないんだから」と。そこから、その時の状況に合わせていくつもの種を蒔き、少しずつ水を与え、大切に育ててきました。

他人から見ると数年単位であっちへ行ったりこっちへ行ったり、やることも一貫していないように見えたかもしれませんが、私は自分という土地のあちこちを耕し、ひとつずつ種を蒔いていたのです。

 韓国に来て出産してからは、半農生活も創作することも、人と会うことも何もかも、いったん諦めないといけなかったり、やろうとしてもうまくいかなかったり。「もう今まで蒔いてきた種のことは一切忘れて、新しく出直そう」と何度思ったかわかりません。でもそのたびに、昔蒔いた種たちが語りかけているような気がしました。「ぼくたち、まだ生きてるよ!諦めないで」と。

 人生には波があり、常に変化が伴います。蒔いた種も、すぐ芽を出すものもあれば、何年もかかるものもある。残念ながら、永遠に芽が出ないものもあるでしょう。だけど、種を蒔いておけば芽が出る可能性は十分にあるのです。

 「ずっとやってきたことがうまくいかないな」という時は、おもいきって違うことを始めてみる。つまり、新しい種を蒔いてみる。私は昨年からそれを100日以上、毎日続けてみて、見える世界がぐんと広がりました。春ですし、もし何か始めたいことがあるなら、1日でもいいからえいっとやってみるのはどうでしょう?種蒔きしておけば、いつか芽を出して花開く日が来るかもしれませんしね!

4歳児が幼稚園からもらってきた강낭콩(インゲン豆)。
種まきしたら数日で芽が出てきました


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