オンマがキンパを作る理由
5歳の息子が通う韓国の幼稚園では、1年に2回だけ弁当持参の日がある。春と秋、バスで遠足に出かける時だ。幼稚園からのお便りには、毎回変わらずこう書いてある。
最初にこの文を読んだ時、私はちょっと複雑な気持ちになった。「なんでわざわざ“お母さん”って書くんやろう?」と。お父さんが作る家だってあるだろうし、おじいちゃん、おばあちゃんが作る場合もある。それに、のっぴきならない事情で買った物をもたせることだってあるじゃない?
こんな風に、韓国で暮らしていると「子どもに関することはオンマ(お母さん)の仕事」というメッセージを強く感じることがある。幼稚園や保育園からの連絡はまずオンマである私の携帯にかかってくるし、夫婦二人で挨拶や相談に行っても、先生の視線は常にオンマ。母親である私に語りかけてくるのだ。
義実家に親戚が集まった時も同じである。食事の支度をするのも、子どもたちの口にご飯を運ぶのも、みんな「オンマ」と呼ばれる立場の女性たちがやっているし、それが当たり前という雰囲気。「アッパ(お父さん)」と呼ばれる男性たちは、ごくたまに皿を洗ったり、コーヒーを入れたり、肉を焼いてくれたりはするけれど、子どもにご飯を食べさせたり、子どもの歯を磨いたりする人は誰もいない。
女性たちがまだ台所に立っているのに、男性たちは先に座って酒を交わしながらアツアツのご飯を食べ始める。遅れて席についた女性たちは、冷めかけたご飯をゆっくり味わう暇もなく、先に子どもたちの食事の面倒をみる。そして、みんなが食べ散らかした後は、山のような食器を黙々と洗うのだ。結婚し、特に子どもができてからというものの、義実家へ行くたびに目にするその光景が私にはとてもおかしなものに見えた。
なので、2~3年ほど前からだろうか。おかしいなと思ってきたことを自分からやめることにした。例えば、子どもの横に座ってご飯を食べさせること。子どもの歯を磨くこと。子どもをお風呂に入れて寝かしつけること。これらは毎日私が一人で担っていたので、週末は夫の担当にし、義実家に行ってもいつも通り役割分担をして過ごすことにしたのだ。義両親や親戚に「え、オンマじゃなくても大丈夫なの?」と言われても、「週末は夫の担当なんです」と微笑んで終わり。
そうやって夫がかいがいしく息子の世話をし始めると、同じ嫁同士である義弟の妻は、時々みんなの前でこう漏らすようになった。「うちの人は子どもたちの歯磨きや寝かしつけなんて頼んでもやってくれないんですよ。毎日ご飯食べたらスマホ片手にドラマ見て、ひとりで勝手に寝ちゃうんです。私は家政婦のおばさんみたい」と。義弟はその声を右から左に聞き流し、冗談交じりに「ヨボ、サランへ(お前、愛してるよ)」と言って、隣に座る妻の機嫌をとり始める。
毎回繰り広げられるそんなやりとりを見ながら口を開くのは義母だ。「あんたたちはまだマシな方だよ。ハラボジ(義父のこと)はオムツのひとつも変えてくれたことがなかったし、今だってお皿を洗うこともないよ。年とってだいぶ丸くなったし、いろいろやってくれることも増えたけど、昔はねえ…。ほんと時代は変わったわ」。そう言って笑う義母の横で、義父はいつも黙ったまま、ご飯をモグモグと噛みしめているのだった。
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幼稚園からのお便りを眺めながら、そんな風に過去のあれこれに思いを巡らせた遠足の日の朝。いつもより1時間早く起きた私は、眠い目をこすりながらお弁当に入れるキンパ(海苔巻き)を作り始めた。
たくあん、ゴボウ、カニカマ、ハムはキンパ用に売られている物を使い、子どもが噛みきりやすい細さに縦切り。キュウリ、スライスチーズも細長くカット。ニンジンはせん切りにしたものを軽く炒め塩をふり、焼いた卵も冷めたら細長く切っておく。皿に材料をすべて並べ、ご飯にゴマ油と塩を混ぜたら、さあ準備完了だ。
子どものキンパは、直径3センチのペットボトルの蓋くらいのサイズが食べやすいみたいだ。いつもはキンパ用の大きな海苔を切って使っていたけれど、マートで子どものキンパ用の海苔を見つけたので、今回はそれを使うことにした。中の具が太すぎたり多すぎたりすると綺麗に巻けないので、具はできるだけ細くして、多くても6種類までにする。ご飯もたくさん乗せるべからず。これは今までで何度も失敗し、学んだことだった。
海苔の上にご飯を薄く広げ、ハム、キュウリ、カニカマなどを順に乗せていく。巻く時は一気にくるっと回し、海苔の縁にいくつか付けておいたご飯粒の力を借りて、最後にぎゅっと封をする。完成したキンパは一口サイズに切り、ポケットモンスターのキャラクターが描かれたお弁当箱に詰めていく。キンパの準備と同時進行で揚げておいた恐竜チキン(冷凍食品)も一緒に。その後、余った材料で大人用のキンパも何本か巻いておいた。
包丁で切ってもひとつも崩れることなく、弁当箱にぴったりとおさまったキンパを見て、私は「やっとまともな一口キンパが作れるようになった!」と嬉しくなった。最初の頃は包丁で切るとすぐ崩れ、ぐちゃぐちゃになってばかりだったのだ。不器用な人間でも失敗を繰り返す内に少しずつできるようになるんだと、自分の成長を実感した瞬間でもあった。
ところが、その数時間後。キンパは無惨な姿で息子の前に現れたらしい。リュックサックから弁当箱を取り出す時にひっくり返してしまったようで、幼稚園から送られてきた写真には、ぐちゃぐちゃになったキンパを食べる息子の姿があった。その写真を見ながら彼が「悲しかった」と言うので、「悲しかったよね。でも、きれいなキンパも口に入れたら全部ぐちゃぐちゃになっちゃうわけだし、味は一緒だから!」と励まし、また作る約束をした。
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私がキンパを巻いている間、朝ごはんを用意して息子に食べさせる仕事は夫に丸投げした。夫はパンにクリームチーズを塗り、コップに牛乳をついで食卓に並べたものの、息子に「シリアルがいい」と文句を言われ、しかしそれに応じることなくこう言い放った。
「アッパはこれを食べる。嫌なら食べなくていいよ。お腹空かせていったら、後でお弁当おいしく食べられるんじゃない?」
私だったら朝からごちゃごちゃ言われるのが嫌なのでさっさとシリアルを出すか、または「文句言わずに今日はパンを食べなさい!」と苛立ってしまいそうなシーンである。結局息子は、ちょっとだけパンをかじり「お腹空かせて行くー!」と跳び跳ねていた。
基本的に自分主体で生きている夫と、子どもや夫の都合を優先してはイライラしがちな私。本当は朝も苦手だし、できれば家族の誰よりも遅く起きたい願望がある人間なので、これを機に朝ごはんは夫に任せたいなあ。けどあの人も朝全然起きてこんよな、息子がもう少し大きくなったら朝ごはんは絶対セルフにしよう、などとグルグル考えながらキンパを巻き続けた。
こうやって少しずつ、オンマがやるのが当たり前に思われがちなことをアッパにもやってもらって、オンマがやろうがアッパがやろうがどっちでもよくなってきて、それが全家庭に広がっていったら、いつの日か幼稚園のお便りから「お母さんの手を感じられるように」という一文は消えるだろうか?
私にできるのは、まず「オンマはこうあるべき」と刷り込まれてきたイメージをひとつずつぶち壊し、オンマだからと全部を引き受けず、家族の都合に合わせすぎず、家のことはみんなで分担してやるように仕向けること。ご飯を作りたくない時は「今日は作れません」と笑顔で高らかに宣言し、できないことは家族や人に任せてみる。できそうなことはトライ&エラーでやってみて、きのうの自分よりちょっとずつ成長していく。そんな姿を息子に見せ続けることができたらきっと、彼のオンマ像やアッパ像は、私たちが植え付けられてきたものとは随分違うものになるんじゃないかと思うのだ。
今日のキンパは今まで作った中で一番ちゃんと巻けたけれど、塩気がちょっと足りなかった。次はもうちょっと味付けをしっかりして、ツナマヨやエビフライ、トンカツなんかも一緒に巻いてみたい。オンマだから作るんじゃなくて、私がいろんなキンパを食べてみたいから。今日のキンパより少しでもおいしく作れるようになったら嬉しいから。そして、作ったものを大切な人たちと分かち合って食べるのは、楽しくて、とっても幸せなことだなと思うから。
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