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健康でも幸福ない、それ以上の何か。

今日ふとこんなことを感じました。
「健康とか幸福とかちょっと聞き飽きたな。世間が幸福だの健康だのと発信する間に健康や幸福がゴールかのように感じるな。」と。

かくいう自分も、作業療法が幸福と健康を謳っている以上、健康と幸福に関する情報を発信していました。

でも、自分が健康や幸福になりたいかと聞かれると、そりゃなりたいけどなんのために?となりました。

● 健康になりましょう。幸福になりましょう。

今の時代の流れでしょうか。
テレビでもネットでもSNSでも幸福になりましょう!幸福になるには〇〇!あなたも幸福になっていいのです!
健康になるには〇〇しましょう!健康になるには〇〇がいいです!
自分らしく生きて幸福・健康になりましょう!

などという言葉が飛び交うようになっています。

● 健康や幸福はただの状態

 健康や幸福とは、健康である、幸福であるという状態を指す言葉なので、私幸福になりました!健康になりました!といっても、「幸福な状態になりました、健康な状態になりました!」と言っていると思うのです。

 でもそれってなんのために?その先の未来はどのような姿なの?と思うようになりました。

・運動をします→健康な状態になります
・食生活を整えます→健康な状態になります
・睡眠をしっかりと取ります→健康な状態になります
・感謝の気持ちを表現します→幸福な状態になります。
・自分がやりたい仕事をします→幸福な状態になります。

このように、なんらかの手段で、健康であったり幸福になることはできます。
ただ、なんのための健康であり、幸福なのかはしっかりと考えておく必要があります。

● 健康・幸福 ⇄ 未来の行動

健康な身体や幸福な状態があるから、
自分のやりたい事ができる、人と関われる、仕事ができる、運動ができる。
確かにこれは間違いではありません。

でも、裏を返せば健康でなく幸福でなかったら、何もできないと言っているようなものです。

一方で、「自分はこうなりたい」そのために〇〇をする。結果的に、健康だし、幸福感を感じる。
活動ベースにするとどうか。
自分が目指すものに対しての行動をとった結果、幸福を感じ、健康でいられている。
これが本当のあるべき姿なのではないかなと思いました。

 そう考えると、作業療法の「作業をすることで人は元気になれる」というスローガンは正しいんだなと思いました。
 なんらかのdoingがあるからこそ、そこに幸福感が生まれ、生活が整うことで健康になるのだと思います。


 以上のように考えると、幸せになりたいとか健康になりたいと願っている人たちの本心は健康や幸福といった状態になりたいわけではなくそうなるために何を表現したら良いのかがわからない。今のままでは幸福にも健康にも遠く感じるけど、自分が何者なのかわからない、何をしたら自分がそういう状態になれるのかそれがわからないといった状況でしょうか。

だからこそ、健康にいいですよ、幸福になりますよといった言葉に乗っかってみて色々と試しくて行くことになるのではないでしょうか。

でもそこには、答えはないのだと思います。

だってそれは、一般的な健康や幸福な状態を作る方法であって、長期的にその人らしい健康や幸福を感じられる活動をするわけではないから。

あなたの幸福や健康を作るには、あなたが今まで紡いできた作業、これから紡いでいく作業を続けること。

そうすることでしかあなたらしい幸福と健康ってないのではないかなと思います。
そしてすでにその域に達している人は、幸福とか健康とか以上の何かに出会っているのではないかな、なんて思ったり、、、。

そんなことをふと感じた瞬間でした。

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