見出し画像

感情は自分と世界のフィルターである


写真を撮るとき、茶色がかったレトロなフィルターを使うのが好きだった。インスタグラムの投稿をそのなんだかエキゾチックな吸い込まれるような色に統一したくて、こだわっていた時期があった。

数年経つと、好みは移り変わる。今はフィルターなしでも高画質で鮮明に映された景色が好きだ。最新のiPhoneが出るたびにその進化した高画質技術に驚かされる。その景色には嘘偽りがなく、その瞬間の風景描写がありのままに映し出され、皮肉なことに肌の不調すらも隠せないほどの鮮やかさだとしても、その真の美しさが魅力的に感じる。


フィルターは良くも悪くも、世界をその一色に染める

感情は自分と世界を移すフィルターだ。例えば、怒りという感情でカメラを覗き込むと、世界がまるで脅威いっぱいな、音で表すならピリピリとした世界に映る。

それが反対に、幸せという感情なら、ゆっくりとした時間のなかに小さな喜びや感謝を感じ取ることができ、人々の表情までもが輝いて見える。色で例えるなら、温かみのあるサーモンピンクが景色一帯に霞がかっている感じ、だ。

つまり、私たちが抱く感情によって、一分一秒変わらないはずの同じ世界が、全く別物に見える。怒りや、悲しみ、不安という負の感情を通してみる世界と、喜びや幸福感を通してみる世界。後者の世界だけが見えるようになったら本当の幸せに出会えるの? その答えは、NO。それが現実だ。負の感情があるからこそ、私たちは幸福を幸福だと感じることができる。

大切なのは、感情との付き合い方

感情というフィルターを初期設定化することは、難しい。それは私たちの成長過程に生まれたあらゆる体験やトラウマから生み出され、自然とマインドに染み付いたものだから。                               でも、もし、感情というフィルターが世界の見え方を錯覚させているなら。   それらの感情を手放し、新たに前進していくことはできる。    

私たちの人生は何度もリセット可能。そして選択は無限にある

年齢、家庭、身の回りの環境という制限のフィルターによってその選択を時に間違ったものだと錯覚しやすいけれど、そうではないこと。「私たち人間は皆、生まれながらにクリエイターだ。」という言葉を何かの小説で目にした。スッと心に入ってきた。

フォトグラファーは何種類ものフィルターを、陽の入り方や部屋の明るさ、作品のイメージによって効果的に使い分け、いちばん魅力的に映る方法で写すことができる。それと同様に、私たちも何種類もの感情というフィルターを通しながら人生を彩ることができるのだ。


私にとってそれは、結局のところ、フィルターなし=ありのままの自分でいられる瞬間がなによりも、そしていちばん心地良い。だから今日も瞑想を取り入れる。


END



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?