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私の"西の魔女が死んだ"

※梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』のネタバレを含みます。

何歳になっても、誰にとっても簡単ではない「死」。私が死というものを初めて知ったのは、小学2年のとき、祖母の姉が亡くなった時だった。
その時に死とは何なのか知ったが、同時に、それはできれば遠避けておきたい、関わりたくないものの一つになった。

小学生4年のときのこと。母が、人気なんだと買ってきた本を見せてくれた。その本には、『西の魔女が死んだ』というタイトルが書かれていた。
私はこんな風に思った。

西の魔女…死んだ...西の魔女って、『オズの魔法使い』に出てくる?でも「死んだ」って、なんだかとても乱暴で、冷たくて、粗雑な印象を受ける。
おばあさんと女の子のお話なのか、そしたらこのおばあちゃんが死んでしまう話なのかな。というか、このおばあちゃん魔女なのかな?

有名な作品なので、ストーリーをご存知の方も多いだろう。中学に入ったばかりの主人公まいは、クラスメートと馴染めず、ゴールデンウィーク明けから学校に行くことができなくなる。そこで、田舎に住むおばあちゃんの元で過ごすことになる。
1994年に出版されたこの作品は100万部を突破し、2008年に映画化された。

小学校には朝読書の時間があるが、私はこの『西の魔女〜』を読むことにした。読み終わった時、初めて"本を読んで泣く"という経験をした。
本を持って涙を流す私を見て、周りのみんなはさぞ驚いただろう。
担任の先生がやってきて、「本を読んで涙を流すという体験は素晴らしい」と褒めてくれた。
(よく覚えてるなわたし、、)
以来、わたしが読書で号泣したというのはネタになってしまった。
今でも同時の同級生に会うと話に出されることがある。。まあ、全ては私の感受性が豊かだからだ。haha

さて、やっと本題に入れるが、私はこの作品を長いこと読み直さなかった。なんでだろう。読み終わって泣いた当時の自分と同じように、読了後涙を流せるか不安だったからだろうか。単に作品のことを忘れていただけなのか。それとも主人公のおばあちゃんが亡くなるシーンが寂しいから、避けていたのだろうか。

それでも、2021年12月、この本を手に取った。

去年の冬至の日、わたしの大好きな母方の祖母が亡くなった。
おばあちゃんがもう危ないかもしれない。
母からLINEで連絡をもらったとき、仕事中だった私は息がつまりそうだった。
もう、大好きなおばあちゃんに会えないかもしれない。
わたしはたまらなく苦しくて、悲しくて、寂しかった。

おばあちゃんが亡くなったことを受け入れるのを助けてほしい。手伝って欲しい。ひとりじゃ勇気がなくてできない。おばあちゃんとの思い出に触れたい。
そう思って、この作品を手に取った。この作品しかないと思った。

10年ぶりに読む今作。

こんなことが書いてあったのか。

当時小学生のわたしには、とうてい理解し得なかったであろうことの数々。
難しい漢字や言葉、思春期の悩み、外国とか日本とか、都会とか田舎とか。学校の残酷さ、仕事の厳しさ。
人間関係の難しさ。
死への恐怖。
思春期に入り、気まずくなっていく母や父との関係。
大好きなおばあちゃんだけど、素直になれないような、なんだか強がってしまうような気持ち。
苦手な人たちとの付き合い。

この10年であったこと。私は中学、高校、大学と進み、途中吹奏楽部での部活動、進学に際して実家を出ること、アルバイトや留学を経験した。嫌だったけど身内の死も経験した。そして現在、社会人になって3年が経った。相変わらずだがコロナ生活がはじまり、丸2年が経った。

確かに、私は10年前の私よりも受け取れるものが、共感できるものが増えた。
そこには確かに、私の10年があった。

物語は、パパがまいを尋ねてくるところで大きく「転」を迎える。
自然の中でおおらかに暮らすおばあちゃんと対照的に、まいのパパは、いわば「社会」そのもののような存在だ。
普通が一番みたいな考え方を持った、いわゆる「大人」なのだ。
まいが新しい家事スキルを習得したところを見て、パパはおばあちゃんにお金を払わなければと言っているが、なんだかおばあちゃんと孫の愛情がわかっていないようで、悔しくて泣きたくなった。
違うんだってば、なんでわからないの。お金でどうこうとか、そういうんじゃないんだってば。

パパ(社会)は、まいにおばあちゃんのところ(楽園)を出て、自分たちと暮らさないかと提案する。考えたまいはパパたちと暮らすことを選ぶのだが、なぜまいは楽園から出て社会に戻ることを選んだのだろう。
まいは自分の課題を解決しなくては、と選んだのかもしれない。

私も、大学からは家族のいる地元を出た。地元は楽園なのかと言われると、必ずしも全てそうではなかったけど、家族がいるという点では楽園なんだ。
私はなぜ地元を出たのかと聞かれると、得られる学びを得たかったからだ。
英語が好き。英語を学べる大学に合格できた。大学は第一志望ではなかったけどね。それでも浪人はしたくなかった。

まいのおばあちゃんも、私のおばあちゃんも、孫が自分の近くを離れて、背中を見送って行くとき、同じ気持ちだったのかな。
愛する孫を応援する気持ち。
幸せを願い、案ずる気持ち。
寂しいけど、自分がわがままばかりを言ってられないと自制する気持ち。
mixed feelingだけど、孫への愛というのが根底にあるだろう。

そして、今日読み終わった。
最後のシーン。
おばあちゃんの元を去ってから、おばあちゃんと会うことはなかったまい。
まいはおばあちゃんの死を受けて、気まずさと後悔から、自分の感情を抑えてしまっているようだった。
そこに、おばあちゃんからまいにメッセージが届く。

ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ へ
オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ

梨木香歩著『西の魔女が死んだ』(新潮社、2001年)

このページから溢れる、おばあちゃんの愛情という名の光、輝き。
気まずさとか、後悔とか、そんなものもうどうでも良いという、赦しのような、無償の愛。真実の愛。
その愛が、私の目元を熱くした。
気づくと、もう涙でいっぱいだった。やっぱり2回目も泣いてしまった。泣けたのだった。

大好きなおばあちゃん。世界にひとりのおばあちゃん。

おばあちゃんとは、たくさんの思い出がある。

保育所の帰り道。一緒に行った近所のスーパーとか、農具市やお祭り。海も近いのでしょっちゅう連れて行ったもらった。ジャスコやそごうへの買い物。ディズニーや三日月ホテルをはじめとした旅行。毎年楽しみにしていた誕生日、クリスマス、こどもの日。ケーキを買ってみんなでお祝いした。
親戚が集まるときはお寿司を頼んでくれた。
学校の行事にも来てくれた。共働きの両親の代わって来てくれた授業参観。運動会、吹奏楽部の演奏会、卒業式。税の作文の表彰式、成人式にも来てくれたね。
でも一番好きだったのは、やっぱりおばあちゃんが作ってくれたご飯をみんなで食べる時間かな。カレーやハンバーグやチャーハンやラーメン、おばあちゃんは調理師免許を持ってると後で知ったけど、すごく料理が上手だったよね。トマトが嫌いな私は、食べないでいたらものすごく怒られた。ソースをかけると食べやすいよと言われて、それから我慢してたら残さず食べられるようになった。
風邪のときは、おばあちゃんのお家で看病してもらった。わたしが寝ながらテレビを見やすいようにと、見やすい位置にお布団をしいてくれたり。
小さい頃、手に怪我をしたことがあった。夜だったけどおばあちゃんは私を病院に連れて行こうとしてくれた。(途中まで歩いたところで、母が帰ってきたので、車で病院に連れて行ってもらった。怪我は無事に治った。)

おばあちゃんに怒られたこともあった。雨の中、家を出されて、裸足で玄関の前で泣いてたことがあったっけ。とても怖かった。
私が大好きなリトルマーメイドのアリエル。女の子の遊びが好きで、周りから嫌な言葉を言われたこともあったけど、わたしを受け入れて、沢山おもちゃをくれた。おジャ魔女どれみちゃんの魔法の道具とか、ちゃおを、姉の分と二つ、買ってくれていた。

おばあちゃんはいつも目一杯の愛情と優しさで、私を、私たち家族を包んで、大切にしてくれた。
世界に一人だけ。わたしの大好きな、自慢のおばあちゃん。

* * *


作中に出てくるゲンジさんという人物。まいとおばあちゃんの暮らしの中で対極的な、異質な人物だ。
私もまいと同じように彼には友好的な気持ちを抱かなかったが、おばあちゃんが亡くなったとき、これを飾ってあげて欲しいと銀龍草を持ってきてくれた。
それまでの彼の粗野な振る舞いと対照的に、飾り気のない優しさが描かれ、この場面でも涙が出てきた。いいとこあるじゃん。ていうか、そもそも見た目とか振る舞いだけでjudgeしてしまっていたのかも。きっとゲンジさんがおばあちゃんのこと助けたり、守ったりしてくれたことも多かったよね。

そして、まいが喘息を抱えているという点。以前、喘息というのはスピリチュアル的な意味だと、母との関係につながりがあると占い師に聞いたことがある。母から十分なサポートを受けていないと感じると発症するんだとか。
まいと、まいの母の関係。作品を読む限り、二人の関係は少しcomplecatedだし、著者の梨木さんがこれをご存知なのかは分からないが、ヒロインが喘息を患っていることも意味があるように思えた。

そして、文庫版に収録された『渡りの一日』という作品。なんと、『西の魔女〜』にはその後のストーリーがあるのだ。
この作品は、まいと彼女の友人と、その周辺人物の間で描かれる話だ。まいは、おそらく中学3年生だろう。ショウコ、藤沢くんなどそれまで知ることなかった彼女の学校生活が伺えるような人物が出てくる。バスや市立競技場、美術館やダンプカーなど、おばあちゃんとの暮らしとは対照的なT市での生活が伺える。
中学生が出てくる話だからだろうか、『西の魔女〜』の静謐な雰囲気とは対照的に、明るくポップな印象を受けた。また、この作品からはフェミニズムさえ感じる。まいが目指したい、新しい女性像、新しい選択肢、新しい可能性が描かれている。
感情の描かれ方は、モダニズムの文豪ウルフに代表される自由間接話法のようですらある。一つの視点だけでないのが面白い。

まいは、これからどんな空を飛び立っていくだろう。
どんな風に飛んでいくだろう。
でも、こんな素敵なおばあちゃんのお孫さんなら、愛に溢れた輝く人生を送るだろう。

おばあちゃん、大好き。
私にも、私の"西の魔女"の「アイ・ノウ」が聞こえる。

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