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#エッセイ 記事まとめ

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2023年8月の記事一覧

生まれて初めてメガネを買った私、その姿を見た友人が私に放ったひと言

私は幼少期からずっと視力がいい。学校の視力検査ではずっと両目1.5をキープし続け、大人になってからも裸眼のままで視界は良好。そのため、メガネをかける必要がなかった。がしかし・・・ 実はひそかに憧れていた。 メガネをかけることに。 頭が良さそうに見えるし、もしかしたらなんかビミョーな私でも少しぐらいはカッコよく見えるかも、などといった淡い期待を抱いたりしていたからだ。 日常的にメガネをしなければならない人からすれば、極めてワガママで贅沢な願望なのだが、そこはまさ

紙一重だと知った

タイ・バンコクに滞在中、せっかくだからちょっと遠出してみないかとタイ在住の友人に誘われ、出かけることとなった。 目的地はパタヤのラン島。パタヤはバンコクから車で2時間ほどの人気リゾート地、ラン島には青い海と白い砂浜の、こじんまりしたビーチがあるそうな。 パタヤでは、マリンリゾートを楽しもうという海外からの観光客が大勢歩いていた。日本人と思しきグループもいる。車を降りると、日除け帽子売り・サングラス売り、そしてラン島までの水上タクシーの客引きがドッと押し寄せてくる。慌てて帽子

あの時言えなかったありがとうを、「ハッピーターン」に。

「ありがとう」という言葉は、簡単そうで意外と難しい、と大人になった今でも思う。 難しいという表現が正しいかはわからないけれど、伝えすぎると胡散臭く聞こえるし、言葉にしなければ全く伝わらない。 不思議なことに、仕事でお世話になった人や街で親切にしてくれた人など、一定の距離がある相手には素直に伝えられるのに、いつも一緒にいる家族や当たり前に側にいてくれる人には、心の中で一方的に伝えておしまい、にしてしまうことも多い。天邪鬼な言葉だなと思う。 けれど、最近思うのだ。 そういう相

とある海沿いの町の新盆メモ。

母方の実家は紀伊半島の某海沿いの町だが、そこでのお盆の様子をスケッチしたのを置いておきます。また海辺の町ならではのお盆の昔の風習も聞けたので、これもメモしておきます。 ⑥について追記。 昔は初盆の時、親戚が一つ一ついろんな灯籠を持って初盆の家に参りに行った。私が小学校の時の記憶でも、もう少しいくつか灯籠があった気がする。その時の灯籠は、浜辺へ持って行って、皆で焼いた記憶がある(今はしていない)。 しかしもう一昔前は、焼かずに流していたという。 新盆の家の人は、小さな木

「まごわやさしいご飯」を作ってみた話

 【まごわやさしい】  この言葉を初めて聞いたのは、当時、まだ現役の野球選手だった工藤公康さんのドキュメンタリーを見たときのことだ。  テレビカメラは工藤氏の自宅キッチンを映し出し、そこで奥さまの雅子夫人が手際よく料理をしている。大きな冷蔵庫を開けると、そこにはたくさんのタッパーが並んでいた。中身はすべて、下処理された食材や、夫人手作りのお惣菜だ。きちんとラベリングされ、整理された冷蔵庫は、なかなか壮観なものだった。 「やはり、食事はかなり気にされているんですか?」  デ

【自立とは。】社会人になる一歩手前の私が考える自立。

一人で色んなことができるようになる。 一人で考えて決断ができる。 一人で生きていける。 自立って、「自分で立つ」って書くから、一人でしっかり生きていけることだと思っていました。 親に、周りの人に沢山支えられて、甘やかされて、ご飯を作ってもらって、悩みを聞いてもらって、 そういうことから少しずつ離れて、一人でできることが増えることが「自立」なのだと思っていました。 でも、成人して、社会人まであと半年ほどの私が今考える「自立」とは、 ”自分の力で頼れる人を作っていく”

食べ頃のアボカドを売ってくれるスーパーは天才

日本の夏。人の居なくなる日中の賃貸アパートのなんと暑いことか。 これにはアボカドもバナナもお手上げである。 アボカドとバナナ。この子らは二大「追熟が美味しさの要となる食べもの」だ。というか要どころか、すべてだ。 彼らはスーパーではたいてい、食べ頃より少し前、まだ熟し切っていない状態で売られている。遠い国で収穫・出荷され、輸入されて日本にやってきてスーパーに並ぶまでの時間の考慮や、売り場に並べることの出来る日数もできるだけ長くなるようにということだろう。(最近知ったのだが、

「サイフを忘れて、愉快なサザエさん」は本当だろうか。

 妻が支度をきちんと整えて、太陽の日差しが強いので、帽子も持った、という話を玄関でして、道路を歩いていく姿を見送ってから、玄関に戻った。  持っていくはずのサイフと、腕時計が、靴箱の上にキレイに並べて置いてあった。  あわてて、外へ出て、まだ30メートルくらい先をスタスタ歩いている妻に声をかけた。 「〇〇○。サイフ」。  緊急事態なので、大きな声を久しぶりに出した。珍しく大声で呼ばれたせいか、妻は、ちょっとビクッとしたようだったけれど、すぐに方向を変えて、戻ってきた。

弁舌の技術よりも大切なもの。

ぼくはフランス語ができない。 と書くと、英語がペラペラであるかのように思われるかもしれない。しかしながら当然、英語もできない。それでもまあ、中学高校の教育課程で学んだのだから、フランス語に比べたら多少マシだろう。はじめてフランスを訪れたとき、書かれたことばや語られることばの記号感に、笑ってしまったのを憶えている。なにひとつわからないのだ。 しかしながら「わからない」で済ませられないのが個人旅行というものである。たとえば安宿に泊まる。受付でのんきにテレビを見ているおじさんと

何かを生み出すこと、変化すること。

今朝の、ささやかな楽しみ。 パンのためのバターを買った。 と言っても、高級品とかではなく、ふつうにどこのスーパーにも並んでいるもの。 ほぼ毎朝パンだったころは、すぐになくなるので、バター入りマーガリン、くらいを買っていたのだけれど。 たまに食べるパンなら、美味しいバターでもいいんじゃないか、と思って。 焼いたバゲットに、何度も冷たい薄いバターの塊をすくってのせて口に運び、至福のひとときを味わっていた。 すると長男が、バターを食べるためにパン食べてるよね、と言う。 そ

「真剣に」取り組んでいいですか?

プロゲーマーの梅原大吾が、ある日「格闘ゲームで勝てるようになったときのこと」を話していたことがある。ちょっと抽象的な話だったのだが、「『格闘ゲームでここまで真剣に取り組んでいいんだ』と気づいたから」というのだ。 最初に聞いたときは「?」だったのだけれど、最近、なんとなく言わんとすることがわかってきた。要は、「単なる遊び」だったら友達と楽しく対戦するだけだが、本格的に「研究」をしてもいいんだ、ということを言っているのだと思う。単なる「遊び」ではなく、格闘ゲームを「競技」として