「自分の人生をどうしたいのか」。もう何度も考えたような気がする問いを、最近、また考えている。 そのきっかけは、八木仁平さんという方をYouTubeで知り、ものすごく心を動かされたことだ。 八木さんの考え方(と人生に対する熱意)が私の中にインストールされ、そういう思考回路で自分のこれからの人生について考えるとき、私は明らかに、自分の気持ちが生き生きとしていることを感じる。 ■自分の価値観に従って生きる そこで知ったのは、他人の価値観や社会の価値観、名前もない誰かの価値観で
やりたいことを仕事にして生きていきたい、と最近強く思う。 今の仕事も、仕事それ自体について言えば、私にとってできないことではないんだろう、と思う。自分の得意なことを活かせていると思うこともあるし、決してこの仕事に向いていないわけではない。 でも、常にうっすら仕事が嫌だ。 その理由として思い当たることは色々あるが、ここでは大きく2つにまとめてみる。 ひとつは「会社」という場の居心地の悪さ。そしてもう1つは、仕事をしていてまったくときめかない・生き生きすることがない、ということ
日本の夏。人の居なくなる日中の賃貸アパートのなんと暑いことか。 これにはアボカドもバナナもお手上げである。 アボカドとバナナ。この子らは二大「追熟が美味しさの要となる食べもの」だ。というか要どころか、すべてだ。 彼らはスーパーではたいてい、食べ頃より少し前、まだ熟し切っていない状態で売られている。遠い国で収穫・出荷され、輸入されて日本にやってきてスーパーに並ぶまでの時間の考慮や、売り場に並べることの出来る日数もできるだけ長くなるようにということだろう。(最近知ったのだが、
久しぶりにnoteを書こう。 最近のわたしは、大学3年・4年と経てきて(ちょうどコロナ禍の重なる時期だ)、自分のなかではかなり大きな変化をしてきたと思っている。その変化をあらためて、きちんと振り返ってまとめたいし、この文章を読んでくれるくらいいつも私の近くにいてくれる人たちに(あるいは顔も名前も知らない人も読んでくれているのかもしれない。それはそれですごく嬉しい)、それを知ってほしいなぁと思う。 コロナ禍になって、以前よりも確実に、「友達と気軽に会って何時間でも話し込んで
東京から地元に帰るとき、ほっとする。癒される。でも地元から東京にもどるときにも、どこかほっとする自分がいる。それは誰にも頼らずに、自分ひとりでどこへでも行けるからだと思う。そしてそれを誰かに言ってもいいし、誰にも言わないこともできるからだと思う。
心の声を聞いているようで、心の声を偽造してたな。
変わっていくんだなぁ。 寂しい。しがみつきたくなる。 これからはもうなくなってしまう、愛しかった空間や時間。 いつまでも心の柔らかな部分にいてほしい。それらを思い出して慈しむ私で居続けたい。それらが私にとって、すごく大切なもので幸せだったことを、忘れたくない。
育ってきた街の朝って なんでこんなに染みるんだろう。 ぜんぶ私のなかにあるってことを、 思い出すからかな。
はやく他の人を許す事で自分を許したい
言葉が好き。言葉は思考の結晶だ。
面白く生きていきたいよなあ
自分を安定させるための時期は終わったんだなあと思う。 今は、新しいもの、新しい人、新しい関係性、とか、それらに触れながら、自分で自分を切り開いていく段階にまで登ってこれたような気がしていて、嬉しい。
文章を書くことが楽しいって思うひとつの要素は、言葉にすることではじめて、自分はこう思ってたのかってわかるからだと思う。 この言葉で今の私の気持ちにしっくりはまってるかな、この表現で読む人が誤解なく受け取ってくれるかな、って考えて、納得できるまで読み直して自分の感情を精査して、そうして出来上がったわたしの文章が好き。 「思う」って、心の中でしゃべったりなにか文字列を言うのとはちがう。 本当の「思う」は、「感じる」だと思う。自分の中になにか感じている感覚があって、その感覚に
私の無意識の声なき主張を丁寧に汲み取っていきたい。
向き合わなきゃいけないものがあって、それは意識の上に浮上していなかったとしても心の中の無意識の部分ではわかっていて、それがある状態なのに、さも無いものかのように過ごしていくのはストレスなんだと思う。 または、それを放置して他のことをやらなきゃいけない状態になってるとき。 たぶん私は、いくつかの「大事だと思われること」を同時進行で集中してやることは無理なんだ。大事なことはそんなに一度にいくつも抱えられない。だとしたら今は何の優先順位が高くて、逆に何を切り捨てる(捨てると言わず
寄せては返す波のように病んだり浮ついたり。どうしてしまったんだ私は。