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就活で考えたこと(2021/3/6 15:31)

就活をしていて、自分について気づいたことがある。私が一番大切にしたいのは、生命体としての本来の自分なのだと。

「生命体としての本来の自分」とはどういうことか。まず、私なりの言葉の定義を説明したい。

ここで私が使っている「生命体」という言葉の意味・イメージは、地球に生きる命としての個体、である。すなわち、私(を含めたすべての人間)は、地球・自然の一部としての存在である、ということこそが、私が底の部分で思っていたことらしかった。

ではその本来の姿とはどういうものか。なるべく自然のなかで生きること、ではないだろうか。(そうは言っても、ジャングルの中でムラを成し、自給自足する生活には戻れないのが人間の愚かなところなのかもしれない。しかし、今の私たちの文明や文化、生活は、先人たちが汗と涙と知恵をつむぎ、命をつむいできてくれたことで成り立っている。これはけっして忘れてはいけないことだ。)

今、私の生命体としての力は衰えているような気がする。便利な生活への変化は、私たち人間が、自分でできることを減らしていくことでもある。生命力を失っていくように思えてならない。

私は、山や川、海、空、星、雲、風、太陽がすごく好きだ。それはエネルギーにあふれていると思う。そういう自然を日常の中でも感じているとき、私は一番穏やかな状態でいられる。

そしてもう一つ、それと近いもので大切にしたいことが、五感で知覚するものごとだ。そしてそれらに対して正常な反応が起こる私の身体(しんたい)、そして心である。ご飯を食べること、音楽を聴くこと、水の冷たさや、春の空気の心地よさ。涙を流すこと、お風呂に入ること、帰り道の、どこかの家の晩ごはんのにおい。気持ちがイライラもやもや、ざわざわすること。直感、こだわり、どうしても考え込んでしまうものごと。そういうことをないがしろにしたくないし、大切にしたい。そういうことの全部を、100%の鮮度で、生々しく繰り返して生きていたい。これらは言わば、「私に起こる自然現象」だ。もしかしたら、末端の末端で起こっている地球のいとなみの一部なんじゃないか、とすら思う。

こういう考えが私の奥底にはあって、これが前提になっているからこそ、就活がしんどいことが多いのだと思う。企業は経済的な利潤を生み出し、その企業が存続し続けること、そして利潤を再生産し続けることが大きな目的の一つである。しかし、そういう利潤を生み続けるというシステムのなかに飛び込んだとき、自然のサイクルを無視して、不自然な行動パターンを外部から植えつけられて生活が回っていくような気がしてならないのだ。

これが、私にとって就活の初期に抱いていた悩みの種だと思う。

(2021/3/6 15:31 画像未設定)
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