madameYy

主婦能力がかなり低いことを確信しました。うすうすそうではないかとは思っていたのですが。

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主婦能力がかなり低いことを確信しました。うすうすそうではないかとは思っていたのですが。

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最近の記事

わたしは好き。字を書くこと。でも。

一、二年生の漢字のお手本を書かせていただいていた。かなりじっくりゆっくり、真剣に。そして、たまにわざわざ子供達の前で書いたりしていた。 「丁寧に書いてね」って、どれだけ口で言ったところで、実際にどういう風なのか見せないとわかってもらえないから。字を書くそんなわたしの姿を、子どもたちは興味津々で見ている。わたしも、インスタなどで『文字を綺麗に書く動画』などを見るのが好きだけど、きっと彼らも同じ感覚なのではないかな。 まぁわたしは素人だから、ちょっとでも気に入らない線があったらす

    • 『枯れ葉』というタイトルのフィンランド映画

      1/21 結婚する前まで、わたしは前情報なくマイナーなヨーロッパ映画を見るのが好きだった。もちろん内容も覚えてない。結婚してからは、夫の趣味?にともないハリウッド映画を主に観ていたように思う。もちろん、ハリウッド映画も良い。でもわたしにとっては映画ってワクワクドキドキより、発見、驚き、そして感じるものだったから。 今日久々に、その頃の気持ちが蘇ってきた。 へー。 こんなふうなテンポで喋るのか。 へー。 こんなふうにゴミ捨てちゃうの? へー。 こんなに直接的に思いを伝える

      • 2024の日常はじまる⭐︎

        いろいろあって長く感じた年末年始の休みが終わり、今日から日常が戻ってきた。なんだかまだ、現実に馴染んでないような気がするが、明日になればもう、そんなことも言っていられない気分になるのだろう。 振り返ってみるに、2023年は極々私的に変容の年、生まれ変わりの年だった。この年になって、内面的にまだまだ変わるなどとは思ってもいなかったけど、もしかするとまだ先のある(だろう)人生、また何度か変わるのかもしれない。 どのように変わったか、とても乱暴な言葉でざっくり表現すると、「こん

        • 次々に心に湧いてきた問いの文。

          仏像は、空気を司り建物を支える。 今日も偶然、素晴らしい空間に身を置いた。 書写山圓教寺。 釈迦三尊像と、四天王像を、大講堂で。 私は自分に戻れますか。 優しくなれますか。 強くなれますか。 正しくなれますか。 こんな私でいいのですか。 生きていてもいいのですか。 お釈迦さまを前に手を合わせたら、突然、心の中にたくさんの問いが浮かんできた。こんなことは初めてだ。 少し脇に寄り、正座をしながら答えを待った。 優しい、強い、正しい。それらは基準がないから自分で考えることだ

        わたしは好き。字を書くこと。でも。

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        • 原稿
          0本

        記事

          ものの捉え方なのかな。

          お坊さんがしてたんだよ、という話を友達から聞いた。 人間は「他人(ひと)のために生きる」らしい。 「他人のために生きる」ということはもちろん今までも聞いたことがある言葉だったけれど、今までどうしても偽善に思えていた。だから自分の身に染み込んできたことがなかった。人間突き詰めたら自分だけでの精神世界。 ただ。だとしても、自分のために生きようと思っても、自分は空っぽで、突き詰めるところ何もない。そして、何もないもののために生きる、その意味がわからないから、それはきっと行き詰まる

          ものの捉え方なのかな。

          時の流れに身を任せ…なんてね。

          時が過ぎるためだけに時が過ぎる。 先の見えない道を目的もなく。巨大なローラーのようなものに追い立てられて進んでいく。 少し先にかりそめの目標を置きながら、ある時は元気よく、ある時はぼんやりと、ある時はよろよろと。 とにかく、進むためだけに進んでいる。 立ち止まりたいなら、あらかじめ少し先に進んでおく必要がある。 わたしはいつもローラーギリギリだ。 それでも立ち止まりたいとしたら、どうすればいい? 時が経つって、一体なんなんだろう。 なんなんだろう?いったい。

          時の流れに身を任せ…なんてね。

          ぎんこん。ですって。

          つい三ヶ月ほど前、私の若い頃の日記を掘り出してきた。大学一年からOLまで、断続的に続く私の気持ちが、そのまま氷漬けになって閉じ込められている文字の羅列だ。こんなものを私の死後発見されたら、成仏できないから破棄しようと突然思い立ったのだ。笑 やめておけばいいのに捨てる前に読み返す。あまりにもそのまんま綴られた感情に、情けないやら愛おしいやら。過ぎた時間は巻き戻せない。なるほどコレが私の人生だったのか。そうだったよね。と、そう思った。 結婚してからは、何も書いていない。 そう、

          ぎんこん。ですって。

          「読み聞かせ」で味わうものは。

          本を読んでもらう、というそういった素朴な楽しみを子どもに味わってもらうという活動の読み聞かせ。 でも、ボランティアの人も少なくなり、いろんな話を読む人も出てきた。子供に食いつきが良いネットで拾った話や、子供が喜びそうな生き物を持ってきて、そのまま(本を読まずに)話をしたり。 元々、楽しい本を楽しく読むことのできないわたしは、地味な本を地味に読むタイプ。だから、きっとわたしに当たってしまう学年の子は「ハズレ」って思ってるに違いないと、ここのところどうしても足が重く…。 しかも

          「読み聞かせ」で味わうものは。

          初めての一年間の終わりに

          今まで小さな宝物を子供達から受け取って来た。 そして、最後に思いもかけないような胸の詰まる贈りものを受け取った。贈りものって、今までのような小さなプレゼントではないのですよ。 三学期から、漢字と算数の宿題を見ていた。最後の日は「なおし(書き直しの字)」をなくし、全員はなまるにしたくて、あらかじめ「最後にきれいな字を先生に見せてね♡」と全員にコメントで書いておいた。 すると‼︎ 最後に、びっくりするほどきれいに書かれた全員のページが‼︎ 何度も何度も書き直しの跡が残る、丁寧な

          初めての一年間の終わりに

          やまのさくら

          田舎に越してきてしばらくは、山桜の美しさがよくわからなかった。咲く時期もバラバラだし、花と葉っぱが一緒に出るし、わたしの思う桜の美と、少し違っていた。 でも今はむしろ、公園に花見に行くより、山の桜を眺めていたい。それぞれの命の強さに癒される。美しさを前提としない美しさ。野山の花々は、そこがいちばんの魅力なのではないだろうか。山桜だけではなく、山は名も知らぬ強く美しい花で溢れている。 (いや、もちろん花壇の花だって、「咲き誇る」なんて言葉を勝手に使っているのは人間で、花自身はそ

          やまのさくら

          子供たちの心の中に降りていった先に。

          国語の授業で「ずうっとずっと、大好きだよ」という単元があった。 天邪鬼なわたしは、そういう感動系はあまり好きではなくて、それを6歳の子供に教材として読ませるのもちょっとね…ぐらいに思っていた。 しかし今回、授業を進めるにつれて子供たちの心が段階を経て開いていくのを目の当たりにした。 ・エルフが変わっていく様子の箇所に、横線をつけましょう。 ・主人公がエルフのことを大好きだとわかる箇所に線を引きましょう。 ・何故主人公は、エルフが死んでも少しは気が楽だったのでしょう? ・隣

          子供たちの心の中に降りていった先に。

          静物と生物と

          寒い日は美しいものに満ちている。夏の暑い日も、そういう視点で見れば美しさが見つかるのだろうか。 体育の時間、子供たちと雪で遊ぶ。 手で固めることのできない、さらさらの粉雪の表面には、無数の宝石が虹色にキラキラ輝く。写真で見る標本のような完璧な雪の結晶だ。繊細なガラスのようなその平らな表面に、午前中の太陽の光が優しく反射する。その美しさは例えようもなく、まるで眺めている自分までもが命のない人形になったような気がするのだ。 そのように眺めている端から、子供たちが新雪を踏み散ら

          静物と生物と

          日々老いていくわたし

          みうらじゅんさんの言葉を借りて、 「老いるショック、Yyの2023年ver.」 手の痺れで整形外科に行き、頚椎間板ヘルニアと言われたのが8月。これを皮切りに足首の捻挫2回、更に腰の椎間板症と関節痛のデパートのような状態。膝の痛み、外反母趾はもう長年の付き合い。 足首は骨折じゃないからと放っておいたら固まってしまい、今まで痛みの出なかった左の外反母趾に痛みが出始めた。 老化現象が表に出てくるのがちょっと早過ぎない?と思ったけれども、遅かれ早かれこの状態になるわけですから、ま

          日々老いていくわたし

          黙って食べる給食は美味しい。

          食事は楽しくするべきだ。 楽しい会話は、おいしい食事の最高のスパイス。 これを前提とするのは当然のこととして、それでもなおかつ、敢えて書いてみる。実際に教室で感じていることだから。 我々が小学校の頃は、4、5人で机をグループにまとめつつ、ワイワイガヤガヤ給食を食べていた。食べられないおかずを男の子が食べてくれたり、牛乳を飲んでいる子を笑かし合うのも日常茶飯事だった。 そんな記憶を持っている我々からすると、「黙食給食」というのは、大人が子供に強いる虐待に近い行為だと思う人も多

          黙って食べる給食は美味しい。

          ロードオブザリングをIMAXで。

          好きで何度も観ている。 個々の存在についての概念を変えさせてくれたこの映画を。 初めはとにかくサムの力強さにひたすら惹かれていた。 しかし、我が子が小学生に成長するにつれ、新たな視点で捉えるようになった。 本当にもう、余計なことばかりしちゃう人、という認識でしかなかったピピンのことだったけれど、次第にこの物語にならなくてはならない人だということが分かってきたのだ。それは取りも直さず、我が子がこのピピンと重なる部分が多かったからなのだけど…。 彼がいなければ先に進まない物語

          ロードオブザリングをIMAXで。

          余生は気楽に

          今年の自分の誕生日は実家で過ごすことにした。 「産んでくれてありがとう」と、この日に直接母にこう言えたのは、もしかして初めてなのかもしれない。 そもそも若い時にはこんなこと思うはずもなく、誕生日とは、自分が生まれた日ではなくて母が自分を産んだ日だとしみじみ思うようになったのは、産んだ子供がある程度大きくなったのちのこと。その時はもう、こちらの家族で過ごしていたから、メールでしかその気持ちを伝える手段はなかった。 日付変わってすぐのわたしの言葉に、特に返事はなかったけど、母は

          余生は気楽に