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ものの捉え方なのかな。

お坊さんがしてたんだよ、という話を友達から聞いた。
人間は「他人(ひと)のために生きる」らしい。

「他人のために生きる」ということはもちろん今までも聞いたことがある言葉だったけれど、今までどうしても偽善に思えていた。だから自分の身に染み込んできたことがなかった。人間突き詰めたら自分だけでの精神世界。
ただ。だとしても、自分のために生きようと思っても、自分は空っぽで、突き詰めるところ何もない。そして、何もないもののために生きる、その意味がわからないから、それはきっと行き詰まる。

なるほどそうか。他人のために生きる、ということを、一つの小さな行為に分解して考えればいいのか、と思いついた。「他人のためにする行為を積み重ねる」とするならば、それならわかる。だっていつもしていることだから。学校の仕事だって、家事だって、塾の仕事も私自身の勉強や楽しみが目的ではない。多くの人の仕事だって、きっと同じ。
けれどそこに、いまどきの流れで「自分らしく生きる」とか「自分軸」みたいなニュアンスをつけるから、ますます自分を見失うのだろう。それを考えてうまく行く人もいれば、逆にバランスを崩す人もいる。そもそも、自分ってなんだろう?って考えて、満足できる答えを見つけられる人の方が少数派なのではないだろうか。
だから一旦、目の前の行為に、「自分」を外して考える。そうしたら確かに楽な気がする。結果として帰ってくるものが、結局は自分の楽しみになっているのだから。

「人のために生きる」という言葉、そういう解釈でしばらく暮らしていこうと思う。

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