私のお隣同居のリアル10年史。
私は、旦那の両親とお隣同居をはじめて10年がたつ。
玄関でたら1分で、義理の両親の家に行けてしまう距離。
今の時代、自分の両親と同居している人は結構聞いるとおもうけど
義理の両親との同居は、かなり珍しいと思う。
だからと言って、私が特別「良いひと」だとか「いい嫁」っていうわけでもないことをここで伝えておきたくて・・・。
お隣同居のリアルな10年史を
ここにサラッと書いておこうと思います(笑)
同居1年目のときの私は、義理の両親に対して
すべからずのことに対して「分かりました、いいですよ^^」って
なにもかも相手に合わせて「いい嫁風」で過ごしてて。
そしたら、私の携帯電話が「舅」から、、毎日、かかってくるようになり
「今すぐ来て!」とか、無茶なことをどんどん要求してくるようになってしまった・・・
私が携帯でないようになると、今度は、インターフォンがなって、玄関の扉をドンドンたたかれるように・・・(車をみたら、家にいるか、いないがバレてしまうから。(笑))
あるとき、私は、舅の声が聞こえただけで、怖くなって、ストレスで動悸がするようになってしまった。(-.-)
おまけに、姑は姑で、孫の子育てへの、口出し手出しがエスカレートとし・・・
私が子ども達の母親なのに、子育ての主導権を握られてしまってることがストレスで、おまけに自分は何も尊重されることもなく、全否定されてる現実に耐えられなくなって・・・
そこで、私の同居の怒りは、すべて夫へ・・・
人生初、ボンバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(笑)
こんなに自分は怒りの感情を持っていたんだなって・・・気づかされた。
誰かの言いなりになって、イエスマンとなり生き続けることは
自分に「嘘」をつき続ける選択をすることで
自分にとてつもなく失礼な生き方をしていたと思う。
義理の両親との出来事は、ただの「きっかけ」に過ぎなかったと思ってて
私は、随分と、自分に嘘をついて生きてきたんだなって痛感したし
自分に失礼すぎて、自分にもすごくすごく腹がっ立った。
同居がきっかけで、私が怒りボンバーしてしまった出来事は
私の人生の「膿だし」になってくれて・・・
優しさや愛ってなんだろう??
すごくすごく考えさせられた時期だった。
自分が犠牲になったまま(嫌われたくないからとか、怒られたくないからとか、かわいそうだからとか、関係性を崩したくないからとか・・・)
たとえ、目の前の相手の気持ちや欲求を埋めてあげられたとしても
それでは愛の循環も、調和の関係性も、生まれてはいかない。
それは豊かな人間関係じゃあない・・・
って思う。
お隣同居は、10年かけて
試行錯誤、お互いにとっての「適度な距離感」と言うものが徐々にみつかり
今はとてつもなく平穏で、義理の両親のことも、
「好きな人」でいられてます。(笑)
家族だからこそ
かえって「遠慮」という気持ちをお互いにもって
接したほうがうまくいくことも多い。^^
心理学で、人間関係で一番大事なのは「バウンダリー」
「境界線」って言われてるくらいだから・・・^^
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