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204.どんなことの中にも喜びのタネがあるのよ!みんな「喜びの遊び」しませんか?
1.喜びの遊び
全国ではかなりの大雪でしたが、この東京でもわずかでしたが雪が降りました。
数年前には、戦後最大かと思われる大雪が東京を襲いました。
雪が降るたびに雪の美しさとともに、そのたびに思い出す出来事があります。東京はわずかな雪でも、雪慣れはありませんが、それでも交通麻痺やスリップ事故が起こります。毎年、雪は私たちに何を語りかけようとしているのでしょう。
そして、雪が降るたびに思い出す事件があります。それは、北海道内での悲しい出来事でした。その悲しい出来事を覚えている方も多いと思いますが、2月20日全国の新聞が次の少女の手紙を掲載しました。(原文のまま)
応援してくれた全国のみなさまへ。
今わたしはとても元気です。
毎日、30分位かかる雪道を、友達と2人で学校へ行き、勉強、スポーツと、毎日楽しく学校生活を送っています。学校では、友達とボードゲームをしたりします。
今育ててもらっているおじさんやおばさんに温泉や旭山動物園に連れて行ってもらいました。動物園では、ペンギンのお散歩を見ました。
昨年の3月、ふぶきでわたしのお父さんと2人、道にまよって気がついたら病院にいました。お父さんがふぶきの中、わたしを守って亡くなったと聞いて、とても悲しくなみだがポロポロ流れました。
3月22日に退院してからたくさんの人達から、はげましのお手紙がたくさんとどき、おばさんに聞くと、わたしが一人ぼっちになってしまったことをかわいそうに思い、全国のみなさんが応援してくれているのではと言われ、とてもびっくりし、心からうれしく思いました。
とてもやさしかったお父さんの事も夜ベットに入ると、ときどき思い出します。わたしを思っていろいろと注意してくれたのに、わたしはあまえて、お父さんの言う事を何も聞かなかったので、お父さんの気持ちもわからないできた事を、「お父さん、ごめんなさい」と思い、なみだがでたりします。
これからは、おじさん、おばさんの言う事をよく聞き、たくさんの人達からの応援があることをわすれず、お父さんが遠くから安心して見守ってくれるよう、人を想える大人になれるようがんばります。
全国のみなさま、わたしはもうだいじょうぶです。
本当にありがとうございました。
岡田夏音(おかだ なつね)
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それは、平成25年の3月の暴風雪で遭難し、父親が最期まで守り続けたオホーック管内湧別町の岡田夏音さんのメッセージでした。お父さんが亡くなる2年前にはお母さんを亡くし、わずか9歳で夏音ちゃんは両親を失ってしまいました。
みなさんは覚えているでしょうか?
平成25年3月4日、当時、北海道東部を襲った激しい雪と風は、3月の春の足音が聞こえる時期に九名の尊い命を失いました。この大きな原因は、ホワイトアウトと呼ばれる現象で強風により雪が巻き上げられて視界がまったく見えなくなる状態の事をいいます。
父の岡田さんはこの暴風雪の中、夏音ちゃんを学童保育に迎えに行った帰り道の出来事でした。建物までわずか300メートルの場所でした。
お父さんの岡田幹男さん(53歳)の働き盛り、お母さんを失った後、毎日の食事や洗濯をし、料理は夏音ちゃんと2人で作っていた子煩悩なお父さんだったといわれていました。
岡田さんの死因は凍死ですが、夏音ちゃんの体の下に両手を回し、娘の体を守るように覆いかぶさりした状態で発見されました。
父親が10時間以上もの間、暴風雪から守り、夏音ちゃんが苦しくないよう、呼吸する隙間を残しながら、わずかな体温で温めたことが夏音ちゃんの命を救うことになったのです。さらに自分の来ていたジャンバーを脱ぎ着せたのです。岡田さんは雪に埋もれながらも、窒息させぬよう、小さな空気穴を作り、夏音ちゃんだけは守ろうと埋もれた雪の中で戦ったあとが残されていたといいます(消防隊員の話より)。
まさに父の命と引き換えに夏音ちゃんは奇跡の生還を遂げたのでした。
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このニュースをテレビで見たわたしは、コメントをする夏音ちゃんがあまりにも明るく、楽しそうに振る舞っていた映像を見てただ驚いていました。
お父さんの死というものが信じられなかったのか?
信じたくなかったのか?
悲しすぎてわざとそう振る舞っていたのか?
それとも強い子なのか?
その姿が9歳の女の子には見えませんでした。ただ、日本全国から膨大な励ましの手紙が夏音ちゃんの所に届き、多くの人たちの優しさを知ったことも大きな影響を与えたことは、この手紙文を読んで感じます。
私はこの手紙を読んで一人安堵感を持ちました。
わたしはこの手紙を読んでいたら、もうひとつの出来事を思い出しました。
2.少女ポリアンナ
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※注 「エレナ・エミリー・ホグマン・ポーター」(Eleanor Emily Hodgman Porter、)は、アメリカ合衆国の小説家。多くの恋愛小説・家族小説・ギャグ小説を手がけ、中でも「ポリアンナ」シリーズは最大のヒット作しました。
それは、エレナ・ホータ著「少女ポリアンナ」です。
この物語は、著者のエレナ・ポータ自身の物語のようです。
少女ポリアンナは11歳のときに愛する両親を亡くし、孤児になってしまいます。
その後、裕福ですが、意地悪な叔母のポリーに引き取れられ、使われていなかった鏡ひとつない屋根裏部屋を与えられ驚きます。
ポリアンナは「鏡のないのも嬉しいわ。鏡が無ければ、ソバカスも見えないものね」と、不便な生活の中であっても必ず喜びのタネを探し出します。どんなことの中にも喜びのタネがあり、見つけたら感謝に結びつけるのです。それを彼女は「喜びの遊び」と名付けます。
ある時は、叔母から罰を与えられてわずかなパンとスープしか与えられないときもありました。すると、「嬉しいわ、パンが食べられる」と喜びを見つけます。
屋根裏には網戸がないため虫が入ります。そこで怒られ、暑い夏に窓を閉めて、屋根の上で寝ることにします。
「ああ、夜空がきれい、涼しい風、とても幸せ・・」。意地悪な叔母さんに対していつも感謝を忘れません。
叔母さんにしてみれば、不思議なおかしい子どもぐらいにしか感じません。しかし、村では人気者のポリアンナでした。
これは、大好きなお父さんから教わったゲームで、苦しいことでも、悲しいことでも、つらいことでも喜びに転化する努力をする遊びです。
叔母の意地悪なども、時にはくじけそうになりながらも、喜びに変えていきます。ポリアンナは村人たちにもこの「喜びの遊び」の仲間にして一人ずつ広がっていきます。
しかし、ある時、ポリアンナは交通事故にあい、全身麻痺となり動くこと、歩くこともできなくなります。もう、「喜び遊び」ができなくなりました。失意のどん底に沈みます。
そんな時、ポリアンナが教えた村人たちがみな「喜び遊び」をするようになり、村中が驚くほど幸せになり、それが伝わり、ポリアンナは「ああ、嬉しい。これほどの喜びはないわ・・」と喜びの涙を流します。
意地悪な叔母ポリーも村人たちが幸せになっている姿を目の当たりにして、叔母自身も仲間入りします。そして、ポリアンナに感謝を込めて「喜びの遊び」を始めます。第一号はポリアンナでした。ポリアンナが一番うれしかったのは意地悪な叔母が一緒に「喜び遊び」を初めてくれたことで、元気が出てきました。
「そう、わたし嬉しい・・。今のわたしでも喜べることがあったわ!とにかく前には足があって大好きな野原や、山々を駆け巡っていたんだわ。想い出がいっぱいあるわ・・」
このように、ポリアンナはすべての物事の中から、喜びのタネを見つけ、感謝に結び付けていきます。これが「喜びの遊び」なのです。
ポリアンナは「ゲームはね、なんでも喜ぶことなのよ。喜ぶことをなんの中からでも探すのよ・・なんであってもなの」「喜ぶことを考えると、いやなほうは忘れてしまうのよ・・」
ポリアンナは村人たちの幸せに喜び、「喜び遊び」を不自由のまま復活することにしました。
「呼吸ができる」「美しい空が見えた」「空気が美味しい」「少しだけ動けた」「起き上がれた」「立てた」「二歩歩けた」「六歩歩けた」「今日は八歩も歩いたのよ・・・」
ポリアンナは最後に手紙を書きました。
大好きなおじさま、おばさま、あたし、歩けるようになりました。
今日は、ベッドから窓まで歩きました。6歩です。歩けるって、なんてうれしいことでしょう。お医者さまたちは、みんなわらって見ていました。
看護婦さんたちは、お医者さまのそばに立って泣いていました。
ついこのあいだから歩きはじめたかたも、もうすぐ歩けるようになるかたも、手をたたいて喜んでくれました。
おそうじのおばさんまでが、ろうかの窓からのぞきこんで、
「おじょうさん、よかったですね。」
といって泣いてくれました。
どうして、みんな泣くのかしら。あたしは、うたいだしたいの。そして、ばんざーいって、大きな声で叫びたいの。だって、だって、あたし、歩けるんですもの。ね、ね、すてきでしょう。あたし、歩けるの、歩けるのよ。
こちらにきて、もう10か月にもなるけど、あたしは、ちっともたいくつなんてしていません。それに、ポリーおばさまの結婚式も見られたので、とてもうれしいの。あたしのベッドのそばで、結婚式をしてくださるなんて、思いもしなかったの。おばさまの考えることって、うれしいことばかり。
近いうちに、帰れるんですって。あたし、こちらから家まで歩いて帰りたいわ。もう乗り物になんて乗りたくありません。
だって、歩くのって、とっても楽しいんですもの。
ああ、うれしくって、うれしくって、胸がわくわくします。
だって、だって、あたしは、歩ける足があるんですもの。
あしたは8歩、歩きます。
ナンシー、トムおじさん、ベンデルトンさん、ジミー、それからほかのみなさんにもどうぞよろしく。
ポリアンナ
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この「少女ポリアンナ」の小説は今から101年前(1913年)に発表されたもので、作者はアメリカ人でニューハンプシャー州リトルトン出身で多くの小説を残したエレナ・ホグマン・ポーターといいます。
この「少女ポリアンナ」はその中でも最大のヒット作品です。日本でも様々な出版社から翻訳され、「愛少女ポリアンナ物語」としてアニメ化されました。1920年にマサチューセッツ州ケンブリッジの自宅でエレナは51歳でこの世を去ります。マウント・オーバン墓地に埋葬され、墓石には『著作を通して幾百万の人々に光をもたらした人』と刻まれています。
エレナは生まれながらにして病弱で、学校にも行けず、一時は歌手を目指しますが挫折します。24歳で結婚し、それから小説を書き始めます。
36歳になってこの「ポリアンナシリーズ」が生まれ、児童小説として空前の大ヒットとな映画、日本ではアニメ映画になりました。
その後、ミュージカルやテレビドラマ、ウォルトディズニーで実写化され映画となりました。主人公の「ポリアンナ(pollyanna)」は当時アメリカ中のホテルや店の名前になるくらいのブームとなりました。英語の教科書などでは「喜悦」という意味の言葉として掲載され、心理学用語にもなります。
タイトルとして「ポリアンナ」と「パレアナ」の2種類が混在していますが、日本語の発音上からなっておりどちらも誤りではないといわれています。
このように「岡田夏音ちゃん」の手紙よって、私の子供の頃に呼んだ「少女ポリアンナ」の手紙を思い出しました。共通する何かを感じるのは私だけでしょうか?「喜びの遊びは」多くの人たちにお役に立つ考え(ゲーム)のように思えます。「喜びの遊びは」感謝の実践で、現代に不足している《思いやり》といえるかもしれません。
これから、あなたも「喜び遊び」をしてみませんか。
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小さなことに感謝しなさい
大きなものを得るでしょう
足りない時に感謝しなさい
あふれ満たされるでしょう
苦しい中で感謝しなさい
問題が解決されるでしょう
持っているもので感謝しなさい
楽しみながら生きることができるでしょう
愛読書『一生感謝365日』ジョン・クゥアン著より
日本医学界に大きな足跡を残された杉靖三郎氏の著書の中で、カナダヘ出向いたとき、ストレス学説で有名なハンス・セリエ博士を訪問しました。杉先生はセリエ博士に、
「現代人をストレスから救う良い方法はないでしょうか」
と質問したところ、されたところ、ハンス博士は、
「その原理は、東洋にありますよ。それはプリンシプル・オブ・グラティテュード(感謝の原理)です。」
と答えました。
そうですね、やはり感謝、ありがとうが人を救うのですね。
coucouでした。みなさんごきげんよう!
みんな、感謝しています、心からね!
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