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60.あなたの愛する子どもが、余命を宣告されたら、どうするのでしょうか?

天使の約束

もし、あなたが余命数か月だと、
医師から宣告されたらどうするのでしょう?

しかし、もし、あなたではなく、
あなたの愛する子どもが余命を宣告されたらどうするのでしょうか?

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©NPО japan copyright association Hiroaki

余命などと聞くと、小説や映画の話のように他人事のように感じるかもしれませんが、現実には私たちの回りには数多くの人たちが存在しています。
自分のことならば諦めがつく場合はあるでしょうが、
これが我が愛する娘だったら、どうするのでしょう?

平成30年7月31日、身体の痛みを感じた女性が母と二人で病院を訪ね、МRIにより全身の検査をしたところ、骨のすべてに癌が転移していたことがわかりました。
同年5月に乳がん手術後の検査の時には一切の異常はありませんでしたので、担当医師は、わずか2か月で身体中に転移していることに驚きを隠せませんでした。

彼女の名前は、愛音(あい)ちゃん、三七歳。


昨年結婚を考えていた矢先に、乳がんがわかり全摘出手術をしました。
その後、義理の叔父が肺癌の手術ミスによりなくなり、同年の7月に祖母が急逝し、哀しみがあける間もなく家族たちは深い悲しみの中、どん底の日々を迎えていました。まだ祖母の喪があけていません。

彼女は、私の息子と同じ年に生まれ、両祖母からは互いに初孫として可愛がられており、私の大親友の一人娘です。アルバムを振り返ると二人の子どもたちが仲良く並んでいる写真がたくさん残っていました。

小学校6年生のときの卒業記念文集には「私はおじいちゃん、おばあちゃんの面倒を見る仕事がしたい、人に役に立つ仕事をしたい…」と書かれ、その夢を果たし、介護福祉士として老人を扱う仕事に従事していました。

彼女が中学1年生のとき、両親は傍におらず、おばあちゃんとおじいちゃんと3人で暮らしていました。お父さんは私と同じように会社が潰れ、多額の借金をかかえたまま、逃亡しました。逃亡させたのは私です。時代はあまりにも理不尽でバブル真っ盛りのとき。彼や家族の資産を狙うものまで現れて厳しい取り立てが続いていたからです。あの時代、そうしなければ生きることができませんでした。

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残された家族

親友の残された家族は、身動きできないおじいちゃんと、おばあちゃんと愛音ちゃんの三人だけでした。厳しい取り立ての中で、身動きできない彼のおじいちゃんは、自力では立ち上がれないのに、お婆ちゃんと孫を守ろうと起き上ろうとします。おばあちゃんは一人娘を抱きかかえながら取立人と闘い続けます。

それでも、容赦なく、
脅かし、ゆすり、威嚇、怒号が近所中に響きます。
家には張り紙までされました。
近所の人たちは誰も助けてはくれません…。

あるとき、私は債権者の集まる席に同席することになりました、それは、誰が見ても仲良しの親友であった私が、彼の行方を知っているだろう…、隠しているのだろう…、裏で抜け駆けして儲けているのだろう…、という目があったからです、

ただ、私が巻き込まれなかったのは、債権者たちの中で彼からの被害額が一番大きい8千万円という大金だったからです。
(当時の私には被害の痛みはありませんでした)

大勢の債権者が彼の実家に訪れてきます。毎日、毎日が取り立ての日々でした。彼らは親に責任を取らせようと企てていたのです、
彼の祖父母は長時間籠城する債権者たちが入り込んでいた住まいで、三人が寄り添い抱き合っていました…。

当時は、このようなことが許されていたのです。警察は民事不介入、暴力団や取立人を規制する法律などありません。わずかに25年前の出来事でした。
私は彼を匿っていた関係上、余計な事はいえません…。

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おじいちゃんとおばあちやんはわたしが守るから

その時、中学1年生の愛音ちゃんが、
「おじいちゃんとおばあちゃんは、わたしが守るから…」と二人の正面に立ち両手を広げて二人を守るかのように、目を見開きながら取立人らを睨みつけました。もちろん、彼らはそれに対して何も言えず、捨てセリフを吐きながら引き揚げて行きました。

その時の愛音ちゃんの姿は、いまだに焼き付き、生涯忘れられない場面です。愛音ちゃんは、その時からおじいちゃん、おばあちゃんの世話をし続けていました。

それから数年後に、お父さんとお母さんと再会します。
お母さんとお父さんもその間、別々の場所で身を隠して生活していたため、三人の再会は愛音ちゃんにとって待ちわびた時でした。

その間、おじいちゃんは亡くなり、葬儀はおばあちゃんと愛音ちゃんの二人で行い、おばあちゃんも両親と一緒に生活をすることになりました。
(しかし、まだ父や母は隠れた生活を余儀なくされていました)

あれから25年の時が過ぎ、彼は法的な処理をすべて済ませて、母親孝行、娘孝行をするときがやっときました…。娘の晴れの結婚式、親にとってはそれがすべてでしょう。あとは娘の幸せを願うばかり、あとは何もいりません…。


病院の医師から全身癌を伝えられた愛音ちゃんは、
「何の手の打ちようがありませんが、今の進行を抑える事だけはできます。抗がん剤を打ちますか?」
「いえ、苦しみたくないので飲み薬でいいです。治る見込みがないのでしたら、痛み止めを下さい」
彼女は抗がん剤の苦しさと、何よりも大切な髪の毛がすべて抜け落ちてしまうことを嫌がっていました…。

そばで医師との話を聞いていた母親は言葉にはなりませんでした…。

仕事を途中で抜け出した父と母は病院の中で娘から次の言葉が出ました。
「お父さん、お母さん、今までありがとう。わたしからお願いがあります。それはね、わたしは死にませんから、今まで通りのお付き合いでお願いします。何も心配なく、無理をしないでほしい、慌てないで、騒がないで、今まで通り何もないのだから、何もないように付き合って欲しいの…。そしてね、絶対哀しい顔をしないで!それが私からのお願いよ!」

「…」

おかあさん、わたし死なないから

「せめて、他の医者を訪ねれば、何か良い方法があるかもしれないし…」と母は励まし続けましたが、
「自分のことはすべてわかるわ、もう随分と調べたし、みんなが無理だといっても治るかもしれないよ!」
と、優しく笑顔で逆に父と母を励まし、語り掛けました。

「…でもね、ひとつだけ残念なことはね、お父さんとお母さんの介護ができないことだわ。」
「そうだ、お父さん。お母さんはお父さんに依存しないと生きて行けない人だから、最後まで見届けてあげてね。」

私の親友は前頭部に神経が絡む脳動脈瘤を抱えていて、いつ破裂してもおかしくない状況のため、日々、覚悟をして生きています。
(手術した場合、必ず後遺症が残り、記憶障害の恐れもあり、手術を拒否しているのです)

夫がこの世から去ってしまったら、奥さんは生きて行けません。それぐらい深い愛情の持ち主でした。そのお母さんに、それでも生きていてほしい、自立してほしいという願いも込められていた言葉でした…。

愛音ちゃんの子どもの頃の夢は家族が三人で暮らすこと、おじいちゃん、おばあちゃんの面倒を見ること、そしてお父さんとお母さんの介護をすること、そのために介護士になりました。そして、やっと家族三人で暮らすことの夢は叶いました…。

娘の前では涙を堪えていた親友夫婦と私は、違う場所行き、三人で大泣きしました…。

人生には、どうしょうもないことがあるのですね…。

愛音ちゃんは別れ際に、私にこう告げました。
「おじさん、私は最後の最後までお父さんとお母さんの面倒を見て、守り続けるからね、だから心配しないでね…。大丈夫よ、わたしは死にませんから…」

彼女の覚悟の深さを感じました…。

人は、この話をどう受け取るのでしょう…。

私は、私の娘だったら何と答えるでしょうか?

気丈な愛音ちゃん、笑顔の似合う愛音ちゃん、彼女は自分の夢を果たすために最後のお仕事に取り掛かりました。何もいうことのできない、泣くこともできない大好きな、大好きな両親に恩返しをするために…。

私だったら、私の娘なら、もっと弱くていい、甘えていい、苦しい、といってもらい、一緒に苦しんでもいい、そう思いますが…。
でも、私が愛音ちゃんの立場なら同じことを想うかもしれません。


どちらをとっても互いが愛し合っているわけですから…。

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©NPО japan copyright association Hiroaki

そう、明日の話をしよう!

もう、25年近いでしょうか、毎年12月になると、私は親友の彼と1年に1回会うようにしています。それは、お互いが生きている証拠と、苦しかったあの時代の話と、まだ見ぬ未来の話です。しかし、今度、私はどんな顔をすればいいのか、悩んでいます…。

しかし、まだまだ当分、涙の嵐は止まりそうもありません…。
終わりというものはないのですからね。

平成最後の年のことでした、私と親友が苦しんできた平成にお別れを告げるとき、まだまだ何かが起こるのでしょうか…。

父が亡くなる前の言葉を想い出します。
「生きていられれば後は何もいらない、それだけでいいじゃあないか…。わずかでもいい、最後まで努力していればいい、全力であればいい。私は自分の父や母ともお別れができなかった。父や母はそれぞれ病気で亡くなった、それを聞いたとき、敵国に殺されたのではない、と自分を慰める事ができた…。」(昭和20年終戦前に祖母は満州でなくなりました)

そう、まだ諦めてはいけない…。
今は、まだ生きているのだから…。

そう、まだ何かあるかもしれない…。
私たちは、あまりにも、何も知らな過ぎるのだから…。

そう、明日の話をし続けよう。

奇跡は必ず起こるのだからね。
私にできること、私でもできること、それは奇跡を信じること。
私は、奇跡(希望)を届けよう、奇跡(希望)があることを伝えようと思いました。

そう、奇跡を信じてみました…が…。

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coucouです。ごきげんよう!

おかげさまでnoteはじめてからもうすぐ2か月目となります。また、今回で60作目の作品としてご紹介しました。またまた勝手に60回記念です。みなさんには読んでくれて、いつも感謝しています。

「天使の約束」は膨大なスペースの実話の記録となりました。キンドルの電子書籍「~たましいの場所~愛音」として発行しています。愛音ちゃんの壮絶な愛の物語、ぜひお読みください。

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~たましいの居場所~愛音


「おかあさん、わたし本当に死ぬの?」

「うん…」

違うよ、と嘘が言えない母。

「嘘みたいだね!」

わかっていて、明るく振る舞う娘。

「おかあさん、おかあさん、しあわせ?」

「うん…」

「わたしもしあわせよ!」

「でもね、わたしおとうさんとおかあさんのお見送りするつもりだったけど、見送られちゃうね、困ったなあ…。ごめんね!」

笑顔のまま話続ける娘の言葉…。(本文より)

「~たましいの居場所~愛音」私は泣きながらこの本をまとめました。しかし、もう一度読むことができません…。

この子の生きてきた証として。すべて実話です。私の人生でとても、とても大きな悲しみのひとつでした。もうすぐ11月3日で、2年目を迎えます。

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©NPО japan copyright association Hiroaki

追伸 本日でnoteの作品は、私の勝手な60回記念となりました。みなさまの応援には、もう、感謝しかありません。毎日、一話ずつ精魂込めてまとめています。明日からの61回目もどうかよろしくお願いしますね。

ありがとう、みんな!


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