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135.決して泣いてはならない、悲しい顔をしてはならない、苦しい顔などもしていけないんだよ!

その幸せに疑いを持つ

最近の私は〈幸せ自慢〉する人に疑いを持つようになりました。

その理由は、本当にその人は本人がいうように幸せなのだろうか?という疑いです。別に、その人が幸せならそれで良いことですし、その人が不幸だとしてもそれも悪いことではないからです。

ただ、自分の幸せや不幸を人に押し付け、何よりも人を利用しないでほしいからです。利用というのは、人(私)を使って、自分は〈幸せなんだ!〉という思い込みのための自慢話の道具にしないでほしいということなのです。


意外と、幸せは、幸せだと無理やり自分に言い聞かせる人の共通点は、他人にいうことにより、自分の幸せを再確認したり、相手の反応を確認したり、自分は人より幸せなんだという上から目線(自慢目線)が多く、本当の幸せは自分の心の中にひっそりと大切にしておけば良いことで、あえて、自慢すべきことではないからです。


知識や学問などもこれに似ているようですが、それも上から目線(自慢目線)となってしまいます。

また、他人の事だけではなく、自分自身の幸せや不幸についても疑いを持つ必要があります。

ただ、ここでみなさんに確認します。

私は人の幸せを否定しているわけではありません。

その人が心から、または表面的だけでも幸せを感じているのならそれも幸せな事ですから何も問題はありません。不幸なども同じです。「あなたはそんなに不幸ではない」といっても、自分が心から不幸だと思っている人にはそのような言葉は無意味だからです。


ただ、私は、幸せも不幸もすべては自分が勝手に作り出している幻想にすぎないものだと信じていますので、少しばかり自分に疑いがあっても良いのではないか、と考えているだけです。

「幸せ自慢」の人たちが幸せならばそれで構いませんし、逆に不幸であってもかまいません。

ただ、その人たちの共通点は、その幸せな言葉とは裏腹に、一瞬ですが、寂しそうな表情が垣間見る、本当の幸せな人はそんな表情など見せないのではないか、と思うのです。

その不幸に疑いを持つ

最近〈不幸自慢〉する人たちにもわずかながらですが疑いを持つようになりました。その人はその言葉通りに本当に不幸なのだろうか?という疑問です。

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©NPО japan copyright association Hiroaki

私の場合、とても苦しい日々が続きました。それはあまりにも苦しすぎたためなのか、言葉にすることが出来ませんでした。変な異常性格者のせいか、その苦しさを見せることは恥ずべきこと、伝えたり見せるべきではないという思いが子どもながら芽生えていたような気がします。

苦しいということを人に見せれば、相手を苦しめてしまうのではないか、という幻想の中で生き続けていました。また、決して幸せにはなってはならない、私の真の友人は不幸でいること、不幸こそが私の心の支えであり、神でもあったからです。


常に、耐える、常に我慢し続ける、それが与えられた使命でもあり、決して泣いてはならない、悲しい顔をしてはならない、苦しい顔など他でもない、という異常な性格者でした。

本当はあまりにも苦しすぎて言葉に出せなかったというのも本音です。

しかし、その苦しさに疑いを持つようになると、後にそれが一種の幻想だということがわかるまでに数十年という歳月が必要でした。


私は、私の不幸に対して疑いを持つようになりました。

それは、本当に不幸だったのかどうか?という見直しでした。

私は子どものころから、幸せになってはいけない、なろうとしてはならない、不幸とともに生きることだと自分に言い聞かせて生きて来ました。少しでも幸せな気分を味わうだけで罪悪感を持ち、自分を責めて責め続けてきたのです。   

それも一種の快感ですからまさに異常性格者ですね。

このような異常性格者の私がこれだけいうのですから間違いはありません。

〈不幸自慢〉する人たちの共通点は、他人との共感を求めることによって同情を必要とする、慰めが目的でありながら、結果、あなたよりも自分はましなのだという欺瞞に満ちています。


その欺瞞とは、子どもたちが試験前に昨晩は何もできなかったとか、今日は駄目だったとか、不幸自慢競争をするように自分を隠すことです。それと似たようなものが不幸自慢です。

また、病院に入院すれば「同病相憐れむ」ではありませんが、互いの病気自慢が始まります。お互いが自分の方がましだと信じながら話、自分より相手の病気が軽いとショックを覚えたりする反面、自分の病気の方が酷ければ喜んでしまうという珍現象自慢が起こります。

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©NPО japan copyright association Hiroaki

こんな話もあります。

「お酒は人を駄目にする」と自分の今までの人生を卑下し、人にこうだったのだと自分の不幸な人生を話しているのにもかかわらず、現在もお酒を飲み続けているとい人がいます。確かにお酒で人生を不幸にしたかもしれないが、そのお酒で幸せな思いもしてきたわけですから、本当は病気をしなければ悪いことではないかもしれません。


また、私は離婚したから不幸で、あのときに別れなければ幸せになっていたかもしれない。私は結婚相手に恵まれず、現在まで独身で不幸だ、結婚していれば幸せな家庭が出来ていた、という幻想も同じことかもしれません。

もしかすると、離婚したことで幸せになり、独身でいたことが幸せだったかもしれません。現在、567で世界中が騒がれていますが、たくさんの人々は呼吸をし、食事をして生きています。

もちろん、残念ながらこの世を去る方々もいますが、もし、これが567ではなく、我が日本の場合、関東大震災(恐れあり)によって多大な災害、被害の状況が襲ってきていたら、それどころではないことがわかります。また、第三次世界大戦(恐れあり)でも始まれば、そんなところではないはずです。

まだまだ我が国は幸せのような気がしませんか?

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coucouです、みなさまごきげんよう!

幸せと、不幸せって何でしょうね!

生涯ひとりで暮らしていても幸せな人がいます。

結婚して幸せな人もいれば、不幸な人もいます。

離婚して不幸な人もいれば、それでも幸せな人がいます。

子どもに恵まれなくても幸せな人もいれば、いないということで不幸に思う人もいます。

お金があって幸せな人もいて、不幸な人もいます。お金がなくても幸せな人がいれば、不幸な人がいます。

幸せと、不幸って何でしょうね!

こうなると、その人の思い方、考え方がすべてを決定してしまうようですね。

ならば、なんでも幸せだと思うことだけで運命って変わるのかもしれません。


では、また、あしたね。

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