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133.私は自分がとても不幸だと信じて生きて来たので、幸せな人を見るととても羨ましく感じるんだ。

幸せ自慢

私のまわりには幸せな人かたくさんいますが、同時に不幸な人もいます。
私は自分がとても不幸だと信じて生きて来たので、幸せな人を見るととても羨ましく感じます。

しかし、不幸だと思える自分も好きなのですからおかしなものですね。

この二つの現象を「幸せ病」と「不幸病」に分けて考え見ると、あることに気が付きました。それは、幸せだ、幸せだと思う人ほど不幸で、不幸だと思う人が幸せに見えてしまうことですね。

私の知人に二人の「幸せな人」がいます。

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©NPО japan copyright association Hiroaki

その一人は、私の前でいつも〈幸せ自慢〉をする人でした。今まで失敗という失敗はしなかった。自分の人生はまるで計画通りで、何の悔いもない。子どもも一流の会社に就職し、素敵な女性と巡り合い、可愛いらしい孫も生まれた。

会社も順調に伸ばすことができ、何よりも老後の資金もちゃんと確保した。愛する妻もいるし、外には女友達も数名いる、私の人生は何の曇りもなく順調な人生だった。後の老後は妻とともに楽しみながら老いていけばいい、といいます(67歳)。


二人目の知人は、飲食店のチェーン店を経営をしている社長で、現在従業員二〇〇名、年商六億円。この567の中でも順調に業績を伸ばし続け現在に至っている。長い人生の中で何も苦労したことがないということはないが、何度も大病を繰り返し、大手術をしながらも無事に生還し、まさに自分の人生は奇跡だと言い続けている(七七歳)。

二人息子がいるがそれぞれ独立して小さいながらも会社を経営し、孫も生まれた。もう、思い残すことはない、という口癖です。


三人目の知人は父母、兄弟を含めて特段の病気もなく、医者知らずで、とても元気で明るい家庭の持ち主で、娘に三人目の孫が生まれて、とても幸せな日々が続いているという。長年苦労し続けてきたせいなのか、七〇歳になった現在、とても幸せな時間を味わっているという。彼は一〇年前に妻が死別し、最近になって再婚して、さらに幸せがバージョンアップしたといいます。

この三人の共通は、いつも「幸せだ!」と口癖のように私の前で〈幸せ自慢〉をします。人の幸せの話は素敵なものですが、会うたびに同じ〈幸せ自慢〉ばかりの相手にはほどほど疲れてしまいます。

私はへそ曲がりの天邪鬼なのかも知れませんが、〈幸せ自慢〉を聞くたびに、私は不幸になっていくのを感じます。

また、その反面、〈不幸自慢〉をする人もたくさんいますね。特にこの567において、この〈不幸自慢〉が増え続けているような気がします。


彼らは、私を見つけるとまるで得意気となって、現在の不幸を自慢します。

「このままでは生きていけない!」

「これからどう生きていったらわからない!」

「仕事がうまくいかない!」

「売り上げがない!」

「人件費が払えない!」

「支払いができない!」

「生活が苦しい!」

「妻と別れた!」

「夫と合わない!」

「妻が浮気をした!」

「医者通いが続く」

「病気が治らない!」

「結婚相手が見つからない!」

「老後のお金がない!」

「何よりも毎日が不安だ!」、

このように答えのない〈不幸自慢〉話が続く。私は、少しばかり異常なのかもしれませんが、私はさらに不幸になっていく感じがします。


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©NPО japan copyright association Hiroaki

不幸自慢

そこで、私は、私を少しばかり疑ってみることにしました。


それは、どうして私に〈幸せ自慢〉や〈不幸自慢〉をするのだろうか、と
私の前だけではなくて、彼らは、他の人の前でも同じような自慢話をしているのでしょうか?それとも私にだけ特別に信頼して話をしてくれているのでしょうか?これは信頼関係の証なのでしょうか?

どちらにしろ、私は深い不幸感に襲われてしまいます。

昔、私が学生の頃に次のようなことがあったことを思い出しました。
それは、学校帰りのバスが到着すると生徒はみな駅に向かいます。私は駅で友達と待ち合わせしていると、友人たちが話しかけて来ます。

その内容は人それぞれ違いますが、私に対して哲学や思想、宗教の話をする人、家族や兄弟の話をする人。友だちや彼女の話をする人、喧嘩の話をする人、遊ぶことばかりの話をする人、真剣な悩みを話す人、失恋の話や、デートの話と様々なのですが、よく考えてみるとなぜそんな話を私に聞かせるのだろう、と不思議に感じるのです。


なぜなら、私はそのような話など求めていないからです。
また、よく考えてみればすべて自慢話なのではないか、と思えるのです。

これは私の性格に問題があるのでしょうか?

だから、真剣に考えてしまいました。私の性格は少しばかり異常で、相手に合わせすぎてしまうのか、八方美人という言葉がありますが、私の場合は一六方美人、いや、三二方美人のせいかもしれません。

例えば、誰も喧嘩の嫌いな人には喧嘩の話などしませんし、政治の嫌いな人には政治の政の字も出ないはずです。しかし、私は喧嘩好きの、女好きの、遊び好きに見られていたのかもしれない、その人から見れば同族に近かったのでしょうね。

しかし、話し終わった相手はみな満足げな顔をしてその場を立ち去りますが、残された私には深い不快感(不幸感)だけが残されてしまいました。

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coucouです、みなさん、ごきげんよう!

私はあなたの一体何?

私はあなたの聞き役なの?

私はあなたの自慢の受け皿。

世の中には「傾聴」なる言葉がありますが、このおしごとに携わっている方々には改めて敬服致します。人の幸せ自慢も、人の不幸自慢を聞くのはとても大変なことです。

相手も変な人ですが、私も自分が変なのかもしれません…。

みなさんは、どうですか?


また、あしたね!



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