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277-2.19歳で銀行強盗、40歳で弁護士に「人生は一度過っても逆転できる」

みなさん、coucouさんです。ごきげんよう!
本年の4月1日で9か月目の270日連続投稿記念。作品数295作品目。あと4か月でようやく1年です。(2日早いけれど、間違えて投稿してしまいました…。でも前記念で読んでね!)

どうして、続いているの?って!

それはね、読んでくれる人がいるからさ!
他のnote記事のみんなも同じ、読んでくれる人たちに励まされてるから続けられるんだよ!だからね、読んでくれる人に感謝しているんだ。

だって、こんなに嬉しいことはないもの。
だから、少しでもcoucouさんのメッセージが役に立ってほしいと願い続けている。

えっ?

役に立たない…。

ごめんなさい、さらに精進します。

おつきあいくださいね。

さて、最近こんな話に出くわしましたのでご紹介。

19歳で銀行強盗、40歳で弁護士に「人生は一度過っても逆転できる」


コンビニと銀行を連続強盗

1999年(平成11年)5月のある日、ヴァンスマレンはBBガンを持ってコンビニで強盗を働いた後、そのまま次は銀行へ向かい、窓口でカネを出せと要求した。

当時、借金返済に追われていた彼は、それが簡単にお金を手に入れて人生の軌道修正ができる手段だと、馬鹿な考えを持っていた、と当時を振り返る。

刑務所に入ってからも最初は荒れていたと、ヴァンスマレンはいう。

だが、彼は、
「でもすぐに心を入れかえました。静かに刑期を務めている人たちと時間を過ごすようになり、そのうちの一人が弁護士だったのです。私の中に種が植えられたのは、このときです」

2005年(平成17年)に彼は出所しその後、短大に入学し、そこから西ミシガン大学へ編入した。この頃に、彼は恋をして妻のデーナと出会った。2人には現在、10歳と6歳になる息子がいる。

だが、のど元過ぎれは熱さ忘れるではないが、またしてもアルコールに溺れた…

すべてが順調のように思えたが、ヴァンスマレンはある日、不安に襲われて沈みこんでいる自分に気づいた。

「刑務所にいた長い間ずっと、私は乗り越えられる、私の人生は普通に戻れる、と自分に言い聞かせていました。でも出所しても、私はいつも何かにおびえてビクビクしていました」

当時、仕事が決まらないこともストレスになっていた。
求人に応募しても、重罪歴の有無にチェックを入れる必要があるからだ。

「結婚して父親になったのに、落伍者になるのかと心配でたまらなくなり、また酒に溺れていきました」という。

ようやく目覚めたのは2012年(平成24年)のこと。
自らアルコール依存症の更生施設に入り、それが彼の運命の分かれ道となる。

「突然、すべてがはっきり見えるようになり、自分がどんな人間になりたいのかわかったのです」と語る。

事件を起こして刑務所に入ったという体験が法の「過った側」に立った経験も役立つことを知った。

2015年(平成27年)に修士号を取得後、
ウェイン州立大学のロースクールへ進学した。

かつて刑務所に入っていた自分が、「法の番人」を目指す人々に囲まれるのは、不思議な気分だったという。もちろん、奇異だったはずだ。本来でいえばまったくあり得ない、奇跡に近い。

「法の『過った側』に立った経験は、その人に重くのしかかる。だから私のような人間も、司法システムに必要だと強く感じました」という。

ヴァンスマレンは2018年(平成30年)に司法試験を合格した後、ミシガン州司法委員会による適性検査を受けた。
かなりの長期間にわたった同検査をパスした。これも奇跡に近い。ようやく弁護士資格を得た。

彼は、あるNPOの顧問弁護士を引き受けた。ゆくゆくは家族法を専門にしたいらしい。彼は、「労働者階級の助けになりたいと思っています」という。

そして、最後に彼はこう付け加えた。

「ネットで検索すると、前科者が成功している例はあまり見つかりませんでした。私は注目を浴びるのが好きではありません。でも、努力すれば法廷で『反対側』に立つこともできると誰かを鼓舞できるなら、自分の経験を語ることに価値はあると思います」

Cathy Freeより引用。

そして、彼は20年の時を経て同じ法廷に(左)。

宣誓式を終えたヴァンスマレンを祝福するスミス判事(右)Photo: Courtesy of Dana M. VanSumeren

あの日、彼は1999年(平成11年)春、米ミシガン州の裁判所で、当時19歳だった。ロバート・ヴァンスマレンは緊張した面持ちで、マイケル・スミス判事の前に立っていた。
そして、この日、スミス判事はヴァンスマレンに対し、強盗罪で禁錮6年を言い渡した。

「人生が終わったと思いました」
、とヴァンスマレンは当時を振り返る。
「目の前が真っ暗になり、どうやって生きていけばいいのかわからなくなりました」

その日から20年後の2019年(平成31年・令和元年)11月22日、40歳になったヴァンスマレンは再び同じ法廷で、スミス判事の前に立っていたのだ。
これだけでも驚きの対面だ。

だが今度は、判決を言い渡されるのではない。
晴れて弁護士資格を取得したヴァンスマレンが、
判事の前で宣誓を行った。

ヴァンスマレンは刑期を終えた後、大学を経てロースクールへ進学した。そして今、新人弁護士として、かつて自分が悪事を働いた地域に貢献したいと期待を膨らませている。

アメリカでは弁護士資格を取得した後、裁判官の前で右手をあげ、憲法を順守すると誓う。ミシガン州の司法試験に初挑戦で合格したヴァンスマレンは、その宣誓式をスミス判事に依頼した。

「判事が応じてくれるかわかりませんでしたが、頼んでみる価値はあると思いました」

依頼を受けたスミスは驚いたが、同時にうれしかったと語る。

「彼には本当に頭が下がりますよ。自分の人生を変えたのですから。このような逆転劇は、めったにありません」

家族や友人らに見守られたヴァンスマレンの厳粛な宣誓式が終わると、スミスは彼と固く握手を交わし、いつもの威厳ある判事らしからぬ大声で、法廷に来ていた人々にこう呼びかけた。

「ここにいる皆さんにお願いしたい。どうぞ(裁判所だからといって)遠慮せず、彼に拍手を送ってください」

彼は親から18歳で両親に捨てられた…。

ヴァンスマレンの人生が“負のスパイラル”に陥りはじめたのは、18歳のときだった。離婚した両親が家を出ていき、独りで生きていくことを余儀なくされた。彼は人間不信となり、どんどんとおかしくなっていったのだ。

住むところもなく、行き場もなく、友人や親戚宅を転々とし、ソファや公園で寝る生活が何ヵ月も続いたという。そして、1999年春ごろには、森の中や墓地の木の下で夜を過ごす日も多くなっていた。まるでホームレスのようだ。

「いま思えば、誰かに助けを求めるべきでした。何をやって生きていきたいのか、なんの計画もなかった。そもそも両親と将来について語り合ったことがほとんどありませんでした」

見捨てられた痛みから逃れるため、ヴァンスマレンはアルコールとドラッグに走った。ほどなくして万引きなどの軽犯罪に手を染めはじめ、さらに危険な道へと進んでいった。彼の人生は負の方向に転がっていく…。
そう、もう、誰にも止めることができない…。

だが、彼は恋した。
現在の妻、デナーの存在が彼の人生を救う。
彼は、更生を誓う!
自分にも愛するものができたからだ!

親に捨てられ一人ぼっちで生きてきた彼。
もう、誰も信じることのできなかったヴァンスマレン。

そしてさらに愛が増える。
それが二人の子どもたちの存在だった。

ヴァンスマレンは、もうどんな苦しみが襲い掛かってきても、かけがえのない、大切で、愛する者たちを守ることが彼を支え続けた。

さらに、前代未聞の犯罪者が弁護士となるのだから、世間は驚いた…。
だけど、ヴァンスマレンは犯罪を犯した者の気持ち、事情、原因などを共感できる世界でただ一人の弁護士かもしれない。


40歳で弁護士になったヴァンスマレン。妻デーナと2人の息子と一緒にPhoto: Courtesy of Dana M. VanSumeren


coucouさんです。みんなお元気ですか?

本日は、誤って投稿してしまいました。毎日、次の日の準備をしていたら、4月1日のcoucouさんの勝手な記念日特集記事を出してしまいました。
まだまだ、伝えたい部分があったのですが、修正および消すことができず、このような形となりました。

勝手なお詫びと、ここまで読んでいただいたみなさまには心から感謝申し上げます。

 note記事の家族のみんな、
本日も読んでくれて、心から感謝申し上げます。


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