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73.ちいさなおうちは、街が大っ嫌い。本当は、静かなところが大好きです、でも、時の流れは冷酷な場合があるのですね…。

The little house(ちいさなおうち)

「むかしむかし、ずっといなかの しずかなところに ちいさなおうちが ありました。それは、ちいさいきれいなうちでした。しっかり じょうぶに たてられていました。このじょうぶないえをたてたひとはいいました。
『どんなにたくさん おかねをくれるといわれても、まごの まごの そのまた まごのときまで、このいえは、きっとりっぱに たっているだろう』     ※引用原文のまま

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「ちいさなおうち」の作者アトリエでのバージニア・リー・バートン


このような、出だしから始まる素敵な絵本がありましたのでご紹介します。

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ちいさいおうち (岩波の子どもの本) ハードカバー – 1954/4/15
バージニア・リー・バートン (著, イラスト), 石井 桃子 (翻訳)より


その絵本は、初めからから終わりまで、ただ、ずっとちいさいおうちが、絵の中心に描かれていて、ちいさいおうちは、何も変わらないのです。
ちいさなおうちは丘の上にあり、まわりの景色を眺めてしあわせに暮らします。

「あさになると、おひさまが のぼります。
ゆうがたになると、おひさまがしずみます。
きょうがすぎると、またつぎのひがきました…」※引用原文のまま

ちいさなおうちは何も変わらなにのですが、やがて周りの景色・風景がどんどん変わっていくんですね。

このちいさなおうちは、擬人化して描かれています。

ちいさなおうちは、遠くに見える灯のあるところを想像していました。
そこはどんなに素晴らしい所なのでしょうか?
夜空の月明りも美しいのですが、遠くに見える街の灯も美しく見えます。
ちいさなおうちの小さな憧れでもありました。
はじめ、いなかのしずかな場所に建てられたちいさいおうちは、太陽や月や木や花や鳥たちと春夏秋冬、自然をいっぱい感じてしあわせに暮らしていました。

誰もが幼い時に見たことのある美しい自然を、ちいさなおうちは春、夏、秋、冬のあいだ、暑さ、寒さ、強い風や雨などが描く、壮大なスクリーンに感動しながら時を過ごしていきました。


しかし・・・

時の流れは、冷酷で残酷な場合があります。
ちいさなおうちのそばに道が開発され、木々は伐採されてしまい、山は削られ、次々と新しいおうちが建てられていきました。
やがて、自然は失われてゆき、辺りはどんどん街になってゆき、自動車や地下鉄が走り、ちいさいおうちの周りは、高いビルがいくつも建ってゆきます。

ちいさなおうちは街がきらい

もう、大好きな鳥たちやお花さんたちとのお話しもできなくなりました…。
土地の開発は、ちいさなおうちの身体を引き裂くかのように壊していきました。

ちいさなおうちの周りには、たくさんの家が建ちはじめ、やがて大きな建物に囲まれてしまい、夜は月の明かりも見えなくなり、季節も感じなくなってゆきました。

それでもちいさなおうちは、誰がどんなにお金を出しても買うことのできない家だったので、壊されずにひっそりとビルの谷間で暮らしています。
遠くにあった街の灯は、とても近くになって昼も夜も感じなくなりました…。

ちいさなおうちの前には電車が走るようになり、おうちの上には高架線ができ、毎日が騒音に囲まれた生活となりました。さらに、ちいさなおうちの地下には地下鉄が走るようになりました…。

ちいさいおうちは、街がきらいになりました。

ちいさいおうちは昔のように、太陽や月や木や花や鳥たちといっしょに暮らしたいという思いだけがつのってゆきます。


そして、ちいさなおうちは、「ぺんきははげ、まどはこわれ、よろいどはななめにさがっていきました。ちいさなおうちはみすぼらしくなってしまったのです」※引用原文のまま


悲しみに暮れていたちいさなおうちは、ずうっと昔の自然が美しかった頃を想いだし、夢にました。もう一度、あの頃に戻りたい、と考えていたのかもしれません。

ある日、ちいさなおうちをじっと見つめる男のひとと女のひとがいました。
「そのひとは このいえを たてたひとの まごのまごの そのまた まごにあたるひとでした。おんなのひとはいいました。あのいえは、おばあさんが ちいさいときにすんでいた家にそっくりです。でも そのいえは ずっといなかにあって、おかには ひなぎくがさき りんごの木もうわっていました。けれど、しらべてみると、そのちいさなおうちは、やはり、おばあさんがすんでいたいえだったのです。」※引用原文のまま

 
そこでお孫さんたちは建築屋さんにお願いして、遠くまでトレーラーで家を牽引し、初めて建てられたときと同じような自然に囲まれたいなかに、ちいさないえを移動したのです。

「ちいさなおうちは もう二どと まちへ いきたいとはおもわないでしょう…。」※引用原文のまま

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 ヴァ―ジニア・リー・バリントン20歳の頃のダンス衣装


この作品は、ヴァ―ジニア・リー・バリントン「The little house(ちいさなおうち)」(岩波書店 石井桃子訳)というタイトルの絵本です(1943年、75年前)。
ご存知の方も多いかと思いますが、本年は、ヴァ―ジニアがこの世を去ってから53年となりましたが、このnoteで紹介させていただくことにしました。
※原文を掲載する絵本にしては文章量があるため要約しましたが、原文のまま引用し、それ以外は絵本を見た私の勝手な妄想もあります。

作者ヴァージニアは、1909年にボストンで生まれ、父はマサチューセッツ工科大学の初代学長でした。母はイギリス出身の詩人で、父より20歳以上年下の二度目の妻でした。


二人は結婚後、アメリカの北東部の寒い気候が身体に悪いと考え、子どもたちとともに西海岸のカルフォルニア州のカーメルに移住しました。
しかし、母親は24歳年下の若者と恋に落ち、家族を捨てていなくなります。
父親だけでは子どもの面倒を見られず、ヴァージニアは別の家に預けられたまま高校に入り、奨学金をもらい美術大学に入学します。
在学中に絵やダンスを習い、ニューヨークでダンサーになっていた姉に憧れていましたが、父の介護のためにそれらを断念して、好きな絵を描き続けました。

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家の壁に描いた絵を二人の子どもたちに優しく語りかける母バートン(息子アリスとマイク)


この「ちいさなおうち」は、第二次世界大戦中の厳しい灯火管制がしかれていた時に描かれたものです。何もない大自然の中で、遠くに見える街の灯に憧れ、夢見ていたちいさなおうちそのものでした。


人間の真の幸福は、自然と調和して暮らすことだという考え方がこの本にはありますが、絵本には車や機械もいとおしく描かれています。1943年、アメリカ合衆国でその年に出版された最も優れた子ども向け絵本に授与されるコルデコット賞を受賞しています。

「ちいさなおうち」のイラストは、私が大好きな絵のひとつです。
こんな絵を描いてみたいと、若い頃から憧れていましたが、実際にはなかなか描けませんでした。

現代の子どもたちが描く絵にも山があり、丘があり、木々があり、鳥がいて動物がいますね。家には玄関があり道も描きます。そして空には必ず青空と太陽です。不思議です。ヴァージニアの影響もあるのかもしれません。

1962年に発表した最後の作品「せいめいのれきし」(福音館 むらなかはなこ訳)でヴァージニアは、「さあ、このあとは、あなたのおはなしです。主人公はあなたです」と、未来に生きる子どもたちへメッセージを遺しています。そして、その6年後の1968年に59歳の若さで人生を終えました(本年で53年目)。

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「せいめいのれきし」バージニア・リー・バートン著 いしいももこ訳 まなべまこと監修 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1964/12/15)より

未来に生きるこどもたちへのメッセージ

さあ、このあとは、あなたがたの おはなしです。
その主人公は、あなたがたです。
ぶたいのよういは、できました。
時は、いま。
場所は、あなたのいるところ。
いますぎていく一秒一秒が、はてしない時のくさりの輪です。
いきものの演ずる劇は、たえることなくつづき、
いつも新しく、いつもうつりかわって、わたしたちをおどろかせます。
                   「せいめいのれきし」より

参考文献:『ヴァージニア・リー・バートン 「ちいさいおうち」の作者の素顔』(バーバラ・エルマン 宮城正枝訳/岩波書店・2004年)より

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coucouです。ごきげんよう!

9月の終わりに、私の父や母が住んでいた家を引き渡し、解体されることになりました。私と弟が社会に出るまでお世話になり、父や母は60年以上お世話になった家です。

約3か月かけて父や母のすべての荷物を処分し、家具や電化製品なども処分、もちろん、私物なども。

何もなくなった家の中はとても広く感じ、改めて部屋に寝転んで天井を眺めていたら子どものときを想い出しました。

今の私からすると、天井はとても低く見えるのですが、子どもの時見た天井は空に届くように、とても高く感じました。室内を見渡すと60年分の匂いと、汚れと傷跡が見えます。何もない台所やお風呂場、ベッドや布団もなくなった部屋。

家は家だけで存在しているのではなく、家具やテーブル、椅子や小物たちが一緒に同居して、父や母がいて、私たち兄弟がいて成り立っていたはずなのに、家の存在感がそこには在りました。

その存在感は子どもの頃の鮮明な記憶を呼び覚まします。

バートンのように、わたしたちのおうちも、街から離れて静かな場所に移動できれば良いのに…。

でも、現実はそれができません。

私には父や母の「ありがとう」という言葉と、「さよなら」と語り掛けるおうちの声が聞こえるような気がします。

この私たち兄弟のおうちは、バートンが二人の子どもたちに室内に描いた絵を見せてくれたように、父や母が描いた優しい一枚の絵のような気がします。

私にはこのおうちの最後の姿を見ることができません…。


みんな、今日も読んでくれて、ありがとう!









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