見出し画像

中国で危うく野宿しかけた話

昔を懐かしむ人を見ては「昔じゃなくて今が大事だろ!」と思っていたが、大人になった今ならわかる。だから僕は昔行った中国旅行の話をする。今回は7500字あるよ。

「マスクをかけぬ命知らず!」

日本にスペイン風邪が流行したのは、今からちょうど100年前である。

「流行性感冒」内務省衛生局著 (1922.3)

人類と感染症の戦いの歴史は長い。日本も例外ではない。100年前に日本で流行したスペイン風邪を諷刺するポスターがそれを物語る。それから100年後の日本では同じようなことが起きている。まるで100年前を見ているかのようだ。

「流行性感冒」内務省衛生局著 (1922.3)

公共交通機関でマスクしてない人を見かけると、浮き足立つようになったであろう。平安時代、好きな男性に素顔を見せるだけでも、顔から火が出るほど恥ずかしかった女性の気持ちが今ならわかる。それと似た感じだろうか。

今世界において諸地域では紛争があるものの、国際戦争がない時代を生きている。つい2年前までは。某ウィルスがこの2年のうちに世界を変えた。いや、変わった。

今になって思うのは、「学生時代、旅行に行っといてよかった」と、昔を懐かしむことも増えた。

「過去を振り返ることは死から遠ざけること」という文言を何かの本で読んだが、何の本だったか忘れた。私は常に前を向いて生きていたいのだが、過去を振り返って昔を懐かしむ体験もしたくなる。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』で風間くんが「懐かしいってそんなにいいものなのかなあ?」と言うシーンがある。大人になったからわかったことだが、「昔はよかったぞ」と言いたくなる体験や思い出がある。

前段が長くなったが、毎週月曜日にお届けしている「noruniruの頭の中」だが、今回は「昔行った中国旅行」の話をしようと思う。

中国旅行は千葉県の中華料理屋での密談で決まった

中国旅行は、大学卒業を間近に控える3月上旬のことだった。もう数年前のことだが今でも鮮明に覚えている。7泊8日の行程だ。そのとき行った友人は大学の同期で、同じ学問を修める者との2人旅行だった。仮にその名を「Aくん」としよう。

Aくんとは比較的家が近かったこともあり、大学の講義終わりに、Aくんと僕の中間地点にあたる、千葉県某所の中華料理屋でよくランチ(という名の密談)をしていた。そこで話題になるのは大体歴史の話か旅行の話か世界遺産の話になる。

「西太后は光緒帝の奥さんを井戸に投げ込んで〇す話」みたいなダークな世界史の話とか「エジプトに旅行に行ったらテロに巻き込まれて危うく死にかけた話」「イスラエルで写真撮っていたら軍事警察に職務質問された話」など、Aくんは海外旅行が好きで、いろんな国に旅行に行った話をよく聞かされていた。

僕はというと、海外旅行は高校生の時に行ったカナダと、大学に入ってから行ったインドネシア(この時もAくんと行った)。つまりAくんとは2回目の海外旅行である。

ある日、いつものように千葉県の中華料理屋の半個室にて、「卒業前にまたどっか行きたいな~。あ、中国行かない?」とAくんが急に提案してきた。「いいね、賛成」とふたつ返事で答えた僕。ものの数秒で中国行きが決まった。旅行に行くときはいつも突然決まる。悩んでいるだけ時間の無駄である。お金と時間さえあればいいのだから。

初めていく海外旅行なら通常はツアーで申し込むのだが、何回も中国に旅行してた友人は「航空券とホテルだけ押さえて、あとは自分たちで行きたいところ決めよう」というAくんの提案で、ツアーではなくフリーで行くことに。

北京市内を中心に観光することを決め、行程に関しては基本的にAくんに任せていたが、ここで一つ僕はわがままを言う。

「兵馬俑が観たい」

北京市内ではないことは知っていたが、まぁ、北京市内から2~3時間で行けるだろうと思っていた僕だったが

Aくん「兵馬俑って、北京市内から特急列車で5時間くらいかかるけどいいの?あまり向こうでゆっくりする時間ないかもよ?」

僕「ゑ…?」

僕は広大な中国を完全になめていた。北京市内から兵馬俑がある西安市まで特急列車で5時間。札幌~博多に相当する距離だ。

Googleマップ。北京市-西安市の距離を見よ。


北京市内のホテルですでに7泊の予約をしていたので、兵馬俑に行ったとしても日帰りになってしまう。それでも兵馬俑の観たさに勝てず、半ば強引に「日帰り兵馬俑」が決まった。それもあの千葉県の中華料理屋の密談にて決まった。この「日帰り兵馬俑」が後々トラブルに見舞われるのである。

ガスってる北京の空を見て「これが私のアナザースカイ」


行程を決め、いよいよ中国に行く日がやってきた。事前に何度も中国に旅行に行っているAくんから「中国に行く上での諸注意」についていろいろ聞いた。

  • 中国人は列に並ぶ習慣がないから、いきなり割り込まれても驚かないこと。

  • 中国人の接客、不愛想だけどそういう文化だから気にしないこと。
    →この点はロシアでも同じらしい。社会主義の国だからなのか。

  • 中国人は本当に優しくて温かい人が多いからそれを感じてほしい。

  • 値引き交渉するときは強気でいくこと。

  • 中国人は、日本語を話す日本人が近くにいると無言で近づいてくるけど驚かないこと。

出発は羽田空港の深夜便。日本を発つ前に、羽田空港内にて寿司を食す。そして、いよいよ中国へ。ときにAくんは言った。「何回も中国に行ってるけど友達と一緒に行くのは初めてだ」と。「そうだな、一緒に楽しもう」。そう心に思いつつ、約3時間のフライトで北京首都国際空港に到着した。

そこから電車に乗り、北京市内に向かう。

北京市内の路線図

北京市内の地下鉄は国営のため、運賃がとても安い。北京市内の移動なら大体1時間でどこでも行けるのでおススメだ。しかし、どの駅でもセキュリティーチェックが厳しい。手荷物検査まで行う徹底ぶりである。その点、社会主義の国だなと感じる瞬間である。

ホテルの最寄り駅に着いた時、久々に空を見上げたらめちゃめちゃガスっていた。初めての北京の空をみて「これが私のアナザースカイ」と、北京に降り立った僕が初めて発した言葉である。

旅行初日から白タクに乗ってしまい、ぼったくられる。

早朝に北京に着いた我々は、ホテルに荷物を預けた後、その足で万里の長城へと向かった。北京市内から長距離バスで1時間くらいだろうか。

中国は広大な土地とともにやることの規模が大きい。日本での観光は「まぁ、こんなもんだろうなぁ」と新鮮味がないのだけど、世界遺産に登録され、めちゃめちゃ有名であるはずの万里の長城だが、やはり目の当たりにするとその壮大さに圧倒される。これを造らせたあの秦の始皇帝が漫画『キングダム』の嬴政と同一なのが少々ありえない話に思えてくる。

3月の中国はめちゃめちゃ寒い。この日は確か氷点下だったと記憶している。だって、札幌より北緯にあるんだぜ…?それにこの吹きさらしだ。ゆっくり観光するどころか「寒い…寒い…寒い…」しか言ってなかった。オフシーズンに中国に行くときは、最前線に向かう兵士の気持ちで行かなければいけないTipsだと知る。

そうこうしているうちに夕方になってしまったし、今朝中国に着いたばっかだから今日はもうホテルに帰ろうと、万里の長城をあとにするのだが…

どうやって帰るん???


行きは長距離バスで来たが、帰りはどうするんだ…と思っていたら、帰りのことは2人とも考えていなかったのである。もちろん帰りのバスのチケットも取ってない。

「とりあえずどこかでバスを捕まえてせめて北京市内に行ければいいのだが…」そうAくんは言うのでそうするしかなかった。万里の長城から離れて少し歩いたが、あたりを見渡しても建物1つありゃしないじゃないか。初日から中国に取り残された日本人2人をどうかホテルまで届けてくれないか。ドン曇りの空が私を焦らせる。

しょうがない…流しのタクシー拾うか


苦肉の策だがそうするしかなかった。しかし、海外旅行で気をつけなければならないのが白タクの存在だ。

日本ではタクシー業を営む時は必ず「緑ナンバー」と決まっている。

一般旅客自動車運送事業を経営しようとする者は、国土交通大臣の許可を受けなければならない。
道路運送法第4条

「緑ナンバー」以外はというと自家用車として用いるときは「白ナンバー」となる。

国土交通省

つまり、白ナンバーでタクシー業を営むことは、日本では違法行為である。「白いナンバープレートのタクシー」、通称「白タク」というわけだ。海外では観光客を狙った「白タク」が横行しているのだ。「送迎サービス」という名目で運賃が運転手の言い値で決まってしまう。つまり「白タク」=ぼったくりと思ってもらってよい。あと流しのタクシーに「白タク」率が高い。

しかし背に腹はかえられぬ。「白タク」覚悟で流しのタクシーを拾おう。そう決めたのである。

事前に中国のタクシー料金を調べていた。目安だが10kmで36元(約620円)だそうだ。万里の長城から北京市内までは60kmあるので大体216元(約3720円)になる計算だ。こう思うと中国のタクシー料金って意外と安いのだ。

だが油断は禁物。「白タク」だからいくらぼったくられるかわからんぞ。そう思いながら、我々2人はようやくタクシーを捕まえることができた。案の定、「白タク」だった。

運転手に行き先を告げて、Aくんと一緒に拙い中国語で僕は言う。(中国語はめんどくさいので日本語表記にする)

僕「2人でいくらなんだ」

運転手「えーと…300元だな」

僕「ダメだ。200元でどうだ」

ここで事前にAくんから聞いた中国旅行の注意事項を思い出した。

値引き交渉するときは強気でいくこと。

この教えに則って、なんなら相場より安い値段で交渉してみることに。しかし…

運転手「200元!?そりゃ無理だよ」

僕「……2人で250元でどうだ」

運転手「……わかったよ。乗りな」

念を押すため

僕「本当に2人で250元だな???"2人で”だぞ???」

運転手は渋々とタクシーを走らせた。まぁ、250元で済むなら安いもんだな。と、窓の外を眺める。すっかり夜。今朝中国に到着したとは思えないドタバタ劇だったな。早くホテルに帰ってビール飲みてぇな。少しの安堵と夜の空気が僕を包み込んだ。

兵馬俑と大雁塔は古代中国から存在する、人類の叡智が詰まっている。

ほとんどの行程をAくんが計画してくれた中で、僕の唯一のわがまま、「兵馬俑が観たい」。そんな僕の無茶ぶりにAくんは応えてくれて、特急列車のチケットまで取ってくれた。いたりつくせりである。7泊分、北京市内のホテルで予約していたため、トンボ帰りせざるを得ない。現地で別でホテルを予約してもよかったが、二重に宿泊料金がかかるのと、それに伴う手続きのめんどくささで、結局日帰りということになった。

札幌〜博多間を日帰りという発想はまずないが、なんせ僕の「兵馬俑が観たい」わがままな故、現地で観光できる時間はたったの5時間だった。

万里の長城での「白タク」事件の翌日のことである。

始発の朝5:00頃の列車に乗る必要があったため、相当な早起きを強いられた。前日の夜に、ホテルのコンシェルジュにタクシーを手配するようにお願いしておいた。さすがにこれは「白タク」ではなくて安心した。

段取りよくことが運び、無事始発の特急列車に乗ることができた。ここから5時間の長旅である。

車内では「まだか…まだか…」と、早まる気持ちを抑えることができない。この5時間が長い。

兵馬俑がある西安市には10:30頃に到着した。

一大観光地ということもあって、駅前のロータリーには人だかりと夥しい数のタクシーが客待ちをしていた。待ち時間もなく、無事タクシーに乗り、兵馬俑へと向かう。かつての前漢、北周、隋、唐の都があった長安。つまり今の西安市だ。

北京とは一味違う趣き。のんびりとした「西安時間」が過ごせる観光地のはずなのだが、肝心の我々はというと兵馬俑と大雁塔しか観ていない。今思うともったいない時間の過ごし方をしたなと思いつつも、やはり目の前に広がる兵馬俑の感動は今も色褪せずに写真とともにその記憶が蘇る。

人類の歴史とその営みは世界のどの国よりも壮大で、優美で、叡智でできている。それが中国なのだと。そう反芻しながらじっくり兵馬俑を味わった。

兵馬俑を出て、またタクシーを拾って大雁塔に行くわけだが、ここでもまた「白タク」しか捕まらなかった。

今度はAくんが中国語で言う。

運転手「どこまで行くの?」

Aくん「大雁塔まで」

運転手「じゃあ、2人合わせて200元(約3500円)でどう?」

Aくん「だめ、120元(約1800円)」

運転手「……はい」

Aくん「2人で120元だからね???」

Aくんは念押しを怠らない。さすがだ。これ以上「白タク」にお金落とすのはもう御免だ。

時間に余裕がなかったため運転手に急ぐようにお願いをした。ありがたいことに大雁塔までは約40分で着いた。かの三蔵法師ゆかりの大慈恩寺。そこにあるのが大雁塔だ。

Aくんは大雁塔に来るのはもう3回目だと言うので、「君だけ塔に登ってきたら?」と言うので、1人で大雁塔を登ることに。

大雁塔の頂上まで登って、かつての都、長安だった地を臨んで、この塔は古代からずっとここに居続けていたんだなと改めて思う。

帰りの特急列車の時間も迫ってきたので「今度来た時はゆっくりしよう」と、Aくんと西安市に誓って5時間滞在した西安市を離れ帰路へ。

中国で危うく野宿しかけるところだった

なぜだ。どうしよう。なぜなんだ。頭の中は疑問符だらけだ。大雁塔からいざ帰りの特急列車に乗るべく、特急列車が乗れる最寄り駅に向かいたいのだが…

タクシーが拾えない


緊張感が身体中を走る。僕は僕で平静を装っていたが、Aくんは明らかに焦っている。そりゃそうだ。Aくんにとって「大事な友人と中国に来ている以上は、友人に安全にホテルに送り届けなきゃいけないのだから」と、後日そう語っていた。

タクシーに乗れない。。。街自体はタクシーで溢れているのに、どのタクシーにも乗れない。。。行き先の駅を言っても「ダメだ」と断れ続けて数台。乗車しようとタクシーの窓を叩くも乗車拒否されてしまう。。。

僕たちには時間がない。

ちなみに帰国後、中国人の友人にこの事を伝えたら「行き先によっては遠すぎて乗せてもらえないことがある。流しのタクシーならなおさらね」と教えてもらった。

だが日本人2人の我々はなぜタクシーに乗せてもらえないんだという怒りと焦りでいっぱいなのである。

Aくん「だめだ……。タクシー諦めて市内の地下鉄でとりあえず特急列車のある駅まで行こう」

旅の途中で行程が狂ったとしてもリカバリーできることがほとんどだが、今回は事情が違う。

もし最終列車を逃してしまったら、もしかして野宿?それは嫌だ。

今思えば、もし最終列車を逃したら最悪、西安市で急遽ホテルを探せばいいだけの話だが、幾分焦っていた我々は「その日にどうしてもホテルがある北京に帰らなければならない」としか考えていなかったのである。また改めて北京行きの特急列車のチケットを買い直すのも億劫すぎる。時として語学力の無さを痛感する。この旅でわかったのは「中国で英語はさほど通じない」ということだ。だから絶対に中国で野宿なんて考えられない。なんとしてでも北京に帰るのだ。

急遽、観光案内所に駆け寄ることに。拙い中国語と筆談で現況を話し、どうしても北京に帰りたいんだと伝える。それをどうにか汲み取ってくれたスタッフが「市内の地下鉄で特急列車のある駅まで行けますよ」と教えてくれた。

それしかない!!!

走った。観光地といえど、片田舎の西安市を走った。一縷の望みにかけて。走る。走る。走る。

なんとか市内の地下鉄に乗り込んだ我々は、ノロノロと走る電車に苛立ちもありながら、特急列車のある駅に向かう。まだか。まだか。

何とか特急列車のある最寄り駅まで着いた。

駅構内を走る。いよいよ時間がない。あまりにも広大な駅で道に迷うことは許されない。さもあらば、それは「中国での野宿」を意味する。時間のロスは許されない。

肩で息をするかのように走る我々の目の前に、銀縁のメガネをかけた青年の駅員がいた。藁にもすがる思いで持っていた特急列車のチケットを見せながら…


僕・Aくん「乗り場はどこだ!!!」



漫画かのように2人、同じセリフで問うた。チケットを見た駅員も、片言な中国語で話す日本人に驚いたことだろう。なぜならチケットに記されている発車時刻の10分前なのだから。

見せたチケットを確認した駅員は、小走りになって我々をチェックインのゲートまで案内してくれた。どうか、間に合ってくれ。

しばらく小走りし、駅員は電光掲示板に指を指しながら

「ここだ!」

と教えてくれた。

助かった……。

間に合った。肩で息をしている我々は深々と駅員にお礼を言う。先にチェックインのゲートに並んでいた中国人の先客は、ドタバタ劇を繰り広げて突如登場した怪奇な日本人2人を眺めて笑っていた。そんなことどうでもいい。我々は間に合ったのだ。中国で野宿せずに済んだ。それで良いのだ。

魂が抜けるぐらいの深い安堵の息を吐きながら、我々は帰りの特急列車の席に座る。終わったのだ。我々の戦いが終わったのだ。最前線から帰還する兵士のように。

ものすごく疲れがどっと押し寄せてきて、少し寝入ってしまった。目を開けて窓を見るともう北京の夜になっていた。

ただいま北京。私のアナザースカイ。僕は北京が好きだ。あとは北京でゆっくりしよう。

特急列車は北京市内に到着し、またタクシーでホテルに向かう。夜の北京の街を。冷たい風を頬に受けながら少し歩いてようやくホテルに着いた。

風呂を沸かし、ベッドに座るAくんに僕は言う。

「お疲れ様」

エピローグ 中国は本当にいいところだよ

7000字もある、中国旅行における日本人2人のドタバタコメディを。ここまで読んでいただいたことに感謝する。ここで、写真とともに中国のいいところを紹介して終わりにしよう。

夜の北京市内

北京の夜は眩しい。

頤和園

西太后が過ごした離宮だ。東京ドーム62個分の広さを誇る。とてもじゃないけど1日では回れない。しかしここで3時間ゆっくり過ごした。優雅だった。西太后が過ごした同じ地で。

天安門広場
紫禁城

歴代中国皇帝がすごした宮城。やっぱり北京といったらここ。

同上。珍妃井。
同上。キャプション。

前段にて「西太后は光緒帝の奥さんを井戸に投げ込んで〇す話」と書いたがそれがその井戸である。こんな小さい井戸にどうやって投げ込んだんだ…。

景山公園から臨む紫禁城
前門大街
同上
同上。ここでビャンビャン麺を食す。

前門大街とは、紫禁城近くにあるアーケードだ。日本にある中華街のようなところだ。時間的にも夕暮れ時だったので、少しノスタルジック気分を味わえた。

同上。西太后と宦官の銅像とともに。写真手前に写る筆者。

前門大街に西太后の銅像があったのでちょっとご挨拶を。

中国の日常
同上
同上
サソリをそのまま焼いた串焼き
2008北京オリンピックのメインスタジアム「鳥の巣スタジアム」
軍人が見つめるその先には

よかったらサポートもしていただければ嬉しいです!いただいたサポートは読書に充てたいと思います!