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アザラシさん
2021年7月30日 07:13
メリッソスの生まれはエレアではなく、イオニア地方のサモス島である。サモスの政治家・軍人として、アテナイとの戦いで勝利を収めたなどの逸話が残っている。メリッソスはまた哲学者として、パルメニデスの思想を承継しているので、エレア学派の一人とされている。その思想内容は、全体としてはパルメニデスと大きくかけ離れているものではない。主な違いを探すとすれば、まずパルメニデスは自身の思想を叙事詩の形式で、
2021年7月29日 07:23
エレアとは、イオニア人によって建設された南イタリアの植民都市である。ここで生まれ育ったパルメニデスを中心とする一派を、エレア学派という。パルメニデスについて語るときりがないので、前回で一区切りとして、今回はパルメニデスの弟子であるゼノンを取り上げる。哲学史上において有名なゼノンは、二人いる。今回のゼノンと、もう一人は後の時代、ストア派の創始者となるゼノンである。この二人を区別するために、それ
2021年7月28日 07:04
あるものは、① 生成されず② 生滅もせず③ 運動変化もしないということになると、演繹的に一つの結論が導き出される。それは、あるものは「一」であるということである。生成変化しないのであるから、時の経過という概念とは切り離された存在であり、永遠にある。そして、運動しないのであるから、常にそこに留まっている。そうなると、あるものが複数存在するということは論理的に有り得ず、た
2021年7月27日 07:21
あるものは消滅するのか?あるものが生成するということは、一つのルートが考えられる。あるものからの消滅:ある→あらぬこれは「あらぬ→ある」の生成が有り得ないのと同様である。つまり「あらぬ」ことが理性をもって想定しえない以上、あるものがあらぬものになることはない。そうなると、あるものが運動変化することも否定される。運動変化は、次の二つのパターンが考えられる。① あるものから、別
2021年7月26日 08:28
あるものは生成するのか?あるものが生成するということは、二つのルートが考えられる。① あらぬものからの生成:あらぬ→ある② あるものからの生成:ある→あるまず①について検証する。前回申し上げた通り、あらぬものとは、私たちの観念をもって思い懐くことすら叶わぬ、絶対的な無である。私たちが思い懐くことの出来る無とは、有の対極としての概念であって、概念として存在するものであるから、厳密には
2021年7月25日 07:20
あるものはある、あらぬものはあらぬ。まず「ある」「あらぬ」とはどういうことか。先に「あらぬ」から検証した方が分かり易い。以下は私個人の足りない頭による理解である。パルメニデスの真意を本当に正しく理解しているのかどうかは保証できない。あらぬとは「無」である。究極の無、絶対的な無である。ここで何故「究極」「絶対的」と表現したかと言うと、通常私たちが思い浮かべる無とは、「有」の対義語であ
2021年7月24日 07:25
あるものはある。あらぬものはあらぬ。ヘラクレイトスは、万物が破壊的に生成消滅すると言った。つまり、生成:あらぬ→ある消滅:ある→あらぬあるいは、変化:ある→あるというようなことが、この世界では刻々と起こっている、と言う。実際のところ、これは滑稽無形な論ではなく、まさしく私たちが日常感じている感覚である。草木が種子から芽を出して大きく成長したり、川の水が流れたり、火が灯った
2021年7月23日 07:31
ヘラクレイトスの万物流転説は、非常に分かり易い。何故ならば、私たちはそれを感覚的に、経験的に理解し得るからである。人は同じ川に二度入ることはできない。いや全くその通りだ。川の水の流れは絶えることはない。ついさっき見ていた川と、今見ている川は全く別物である。その視界に入っている水は全て入れ替わっているのだから。このような、感覚や経験を通じて得る世界観をバッサリと否定したのが、パルメニデスである
2021年7月22日 07:37
ここまで何人かの哲学者たちを見てきたが、ミレトス学派の三人は動的な世界観であり、ピュタゴラスは静的かつ調和の取れた世界観であった。そして今回のヘラクレイトスは、ミレトス学派の動的な世界観を更に加速させて、かつ破壊的にした世界観を有している。ヘラクレイトスの世界観を端的に表す言葉は「万物流転」である。これは彼自身の言葉ではないようであるが、彼の遺した言葉の段片を重ね合わせていけば、最終的にこの
2021年7月21日 07:17
クセノパネスは、今まで紹介したミレトス学派、ピュタゴラスと比べると若干(?)知名度は落ちる。哲学史の本によっては、全く紹介されていないこともある。しかし彼をもってエレア派の祖とする説も一応あるにはあるので、簡単に語っておく。ミレトス学派やピュタゴラス同じく、イオニア地方の生まれである。哲学の始まりは端的に「ミュートス(神話)からロゴス(原理)へ」と呼ばれる。これまで紹介した通り、タレスから始
2021年7月20日 07:26
ピュタゴラスはミレトスに近いサモス島にて生まれた。よって前回まで紹介したミレトス学派の自然学には通じていたものと推測される。やがてピュタゴラスは地元の圧政から逃るために、南イタリアのクロトンに移住し、そこでピュタゴラス教団を設立する。ピュタゴラス教団は極めて閉鎖的な団体であり、具体的にどのような教団であったのかは謎が多い。またピュタゴラス自身の著作がないので、これから記す内容は果たしてピュタ
2021年7月19日 07:14
ミレトス学派の最後を締めくくるのは、アナクシメネスである。タレスは、万物のアルケーは水である、と言った。しかし火の熱であったり、乾燥した空気であったり、水では説明の付かない現象がこの世界には有り得る。そこでアナクシマンドロスは、ト・アペイロン(無限定なもの)がアルケーであるとした。これでタレスの説の欠点は解決し得るのだが、しかしト・アペイロンとは如何なるものであるか。これは私たちの感覚や経験を
2021年7月18日 08:20
タレスの後に続く哲学者は、アナクシマンドロスとアナクシメネスである。タレスを含めたこの三人は、いずれもミレトスの人であるため、合わせてミレトス学派と称される。アナクシマンドロスは、タレスの弟子である。生前は多くの著作を遺したと言われているが、現在はほぼ消失されており、段片的な記録が残るのみである。その僅かな記録によれば、彼は万物のアルケーは「ト・アペイロン(無限定なもの)」だと主張した。師匠
2021年7月17日 07:11
タレスは、イオニア地方のミレトスという都市で生まれ育った。哲学は、アテナイではなく、この地において始まった。ここで紹介するパルメニデス以前の哲学者たちは、全てイオニア地方の人たちである。イオニア地方とは、今で言うトルコの一部であり、エーゲ海に面した交通の要所で、当時最先端の文化水準であったバビロニアやエジプト等との交易が盛んであった。そのような様々な民族が交流する港町において、各民族の内輪