パルメニデス以後のエレア学派⑥ エレアのゼノン(前5世紀)

エレアとは、イオニア人によって建設された南イタリアの植民都市である。ここで生まれ育ったパルメニデスを中心とする一派を、エレア学派という。
パルメニデスについて語るときりがないので、前回で一区切りとして、今回はパルメニデスの弟子であるゼノンを取り上げる。

哲学史上において有名なゼノンは、二人いる。今回のゼノンと、もう一人は後の時代、ストア派の創始者となるゼノンである。この二人を区別するために、それぞれの生まれ故郷を付けて、エレアのゼノン、キュニコスのゼノンと言われる。

エレアのゼノン(以下「ゼノン」)は、師匠であるパルメニデスの説が余りにも高度過ぎて誰にも理解されず、非難轟々であることに憤慨し、師匠を擁護するために数多くのパラドックス(逆説、背理法)を用いた。
これらのパラドックスはいずれも、私たちの日常感覚をもって解き明かそうとすれば、必ずどこかで「あれ?」となってしまうものである。つまり私たちの日常感覚は、この世界のありのままの事実を認識しているように見えるが、実は誤っているのだ、ということをゼノンは示そうとしたのである。

では、ゼノンのパラドックスの中でも最も有名な、アキレスと亀について述べてみたい。

① 俊足のアキレスが、鈍足の亀と駆けっこ競争をする。
② あらかじめハンデとして、亀はアキレスより前の場所からスタートする。
③ よーいドン、でスタートする。
④ アキレスが、亀のスタート場所に到達する。
⑤ 上記④のとき、亀は少しだけ前に進んでいる。
⑥ アキレスが、上記⑤の場所に到達する。
⑦ 上記⑥のとき、亀はもう少しだけ前に進んでいる。
⑧ 以下、延々とループ。アキレスはいつまでも亀に追い付けない。

これを数学的に解明しようとすると、どうやら無限ループに陥ってしまうのは確かなようで、但しどこかの時点で(理論上は)アキレスと亀の距離の差は収束して追い付く、ということになるようではある。
しかし、そこまで真剣に考えねばならないほど、この問題は複雑極まりないのである。
私たちは、安易に「いや、普通に考えてアキレスはあっという間に亀を追い越すでしょう」と思いがちであるが、実はそれほど話は単純ではない。

ついでにもう一つ紹介しよう。「止まっている矢」と言われるものである。

① 弓で矢を飛ばす。
② 矢は放物線を描いて飛ぶ。
③ どこかの瞬間にカメラで写真を取れば、その矢は止まっている。
④ どの瞬間でカメラを取っても、同様である。
⑤ つまり矢は飛んでいるように見えて、実は止まっている。
⑥ すなわち万物は動いておらず、止まっている。

これらのパラドックスは、現代の数学レベルによれば、誤りであることは証明されるようではある(私はそこまで数学に詳しくないので理解することはできない)。
なので、パラドックス自体は、もはや歴史的な意義しか持たないと言える。
いずれにせよ、パルメニデスが人類に問うた問題を、その時代のあだ花で終わらせようとせず、より発展させようとしたことは大きな意義があろう。

次回は、エレア学派の流れで最後にもう一人だけ紹介しておくべき、メリッソスについて簡単に述べたい。

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