パルメニデス以前の哲学者たち⑥ ヘラクレイトス(前6~5世紀)

ここまで何人かの哲学者たちを見てきたが、ミレトス学派の三人は動的な世界観であり、ピュタゴラスは静的かつ調和の取れた世界観であった。
そして今回のヘラクレイトスは、ミレトス学派の動的な世界観を更に加速させて、かつ破壊的にした世界観を有している。

ヘラクレイトスの世界観を端的に表す言葉は「万物流転」である。これは彼自身の言葉ではないようであるが、彼の遺した言葉の段片を重ね合わせていけば、最終的にこの四文字に落ち着く。

「火は土の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる」
「人は、同じ川に二度入ることはできない」
「太陽は日ごとに新しい」
「我々は存在すると共に、存在しない」

これらの言葉は、極めて動的である。川云々のくだりは、まるで方丈記の元ネタのようである。
万物は常に破壊と創造を繰り返し、一瞬として同じ状態ではない。その一方で、これらの運動はカオスではなく、一定の秩序を持っている。

「この宇宙(kosmos)は(中略)永遠に生き続ける火として、決まった分量だけ燃え、決まった分量だけ消えながら、いつもあったし今もありこれからもあるだろう」

この「永遠に生き続ける火」こそがヘラクレイトスの世界観である。私たちが見ている火は、一瞬たりとも同じ形では有り得ず、常に変化しながら燃え続けている。一秒前の火と、今現在の火と、これから一秒後の火は、全て同じ火であると言えるし、全く異なる火であるとも言える。いずれにせよ、この燃え続ける火は、何らかの秩序をもって燃え続けている。
私たちの住む世界も同じように、常に万物が生成変化を繰り返しながら存在している。私たち自身の身体は、寝ている時であっても臓器は動いており、髪の毛や皮膚は常に新陳代謝を繰り返している。家の窓から外を眺めれば人や車が走って鳥が飛び、宇宙をみればどこかの空間で星が爆発したり新たな星が誕生したりしている。まさに万物は流転している。

このヘラクレイトスの世界観をもって、パルメニデス以前の哲学は総括される。現代の私たちが、彼らの思想を概観して、その内容に関して特に驚くべき理由はない。何故ならば、彼らの思想は人間としての感覚を起点として、そこからの延長線上にあるからである。
例えばミレトス学派の唱えるアルケーの概念は、自分たちの身の回りをつぶさに観察した結果として生じたものである。人類はいつまでも神話の世界を生きているわけにはいかない。文明の発展に伴って、自然学へと移行するのは当然の成り行きである。
ピュタゴラスの唱える数的世界観の概念は、別に自慢するわけでもないし、この人類史上に名を残す偉人と自分を同列に語るつもりもないが、私自身も高校生の頃は、数学や物理学など授業で学ぶうちに、このような算式や法則性が宇宙を構成しており、これをもって神と言うのではないか?と考えたりしていたものである。
そしてヘラクレイトスの万物流転に関しては、誰もが納得するであろう。確かに私たちが感覚するこの世界は、常に流転している。

このような流れに対して、思い切り右ストレートのパンチを浴びせて粉々に打ち砕いた、空気を読まない男。それがパルメニデスである。
次回より、(たぶん)数回に分けて彼の思想を概観してみたい。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。