パルメニデス以前の哲学者たち⑤ クセノパネス(前6~5世紀)

クセノパネスは、今まで紹介したミレトス学派、ピュタゴラスと比べると若干(?)知名度は落ちる。哲学史の本によっては、全く紹介されていないこともある。
しかし彼をもってエレア派の祖とする説も一応あるにはあるので、簡単に語っておく。ミレトス学派やピュタゴラス同じく、イオニア地方の生まれである。

哲学の始まりは端的に「ミュートス(神話)からロゴス(原理)へ」と呼ばれる。これまで紹介した通り、タレスから始まる哲学者たちは、この世界の成り立ちを神々の仕業に求めるのではなく、アルケーをもって語ろうと試みた人たちである。
アルケーとはすなわち「存在」の根源であり、要するに哲学の一分野としての「存在論」に他ならない。万物の存在とは何か、私たちが今ここに在るということは如何なることか、というようなことを、まずアルケーの探究によって捉えようとしたのである。

存在論とはつまり、神話への挑戦であるとも言える。ここにクセノパネスの業績が見られる。彼は既存の神話を公然と批判した。

「エチオピア人は自分たちの神々が獅子鼻で色黒だと言う。トラキア人は碧眼で赤毛であると言う。・・・もし牛や馬やライオンに手があったならば、馬は馬に、牛は牛に似た神々の姿かたちを描くだろう。」

このようにして当時の人々が神を擬人化することを批判した。現代の私たちにとっては当たり前のように思えるが、同じような論争は近代に入ってからも見られるものであり、その意味において彼は偉大なる先駆者と言える。
しかし彼は、神の存在自体を否定したわけではない。どうやら万民に共有されるべき神の真の姿を模索していたようである。

「その姿においても思惟においても死すべきものどもにすこしも似ていない。」
「全体として見、全体として思惟し、全体として聞く。」
「常に同じところに留まっていて少しも動いていない。」

純粋な「一」なるもの、としての神を志向していたようである。
このような神の本性を探究する姿勢は、後のアリストテレスの「ニコマコス倫理学」に受け継がれている、と少しは思えなくもない。

この人については、もうこれ以上のことは分からんので終わる。
次回はヘラクレイトスについて語りたい。

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