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単一民族国家の私たちへ


皆さんこんにちは。


本日は、「GO」についての感想を書きたいと思います。


この映画では、"在日(朝鮮人・韓国人)"である主人公、杉原(窪塚洋介)の葛藤や苦悩が描かれています。


柴咲コウが絶世の美女すぎて、それだけで見る価値のある映画です...



私は今回の作品で、日本における"民族の理解"や"差別"について興味を持ったので、これらに関連する記事を書いていこうと思います。


最近は"性"に関する記事、今回は"民族"と、社会に明確な答えが存在していない題材をメインに記事を書いています。それらの理解には、私の中でも未知な部分が多く、至らない解釈が記事に含まれているかとは思いますが、一個人の意見として読んでいただけますと幸いです。



どうやって日本に来たの?


まず我々の祖先はどのような過程を経て日本に辿り着いたのでしょうか?


少し歴史を振り返ってみようと思います。


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4万~3万年前頃は、海面が今より80メートルほど低かったため、今よりも陸地が広がっていました。


お恥ずかしい話ですが、


小学生の頃、社会の授業で「昔、日本列島は大陸と陸続きでした。」と先生が言っていたので、日本列島は大陸と "くっついていた" という固定概念を持っていました。


しかし実際、現在の"本州"や"九州"は"約4万年前から陸続きではなく、大陸の間には "海" が広がっていた"という点に衝撃を受けました。


陸続きだったのは、"北海道ルート"だけだったのですね...



つまり、対馬ルートや沖縄ルートから日本を目指すのであれば、"航海"して辿り着く必要があったということです。


今のような航海技術もなければ、島があることさえもわからない状態で、よく海へ乗り出すことができるなと思いました...


我々の祖先は幾多の試練を乗り越えて、日本に辿り着いたのでしょう。





単一民族国家とは


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大前提ですが、


「国内に居住する全ての人間が単一民族に属するという、厳密な意味での単一民族国家は世界に存在しません。」


しかし、同一民族の割合が全人口の大多数(約95%以上)を占める国家は、


日本、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、イエメン、アイスランド、ポルトガル


などが挙げられるそうです。




日本の少数民族


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日本の少数民族は、"アイヌ民族""在日朝鮮人・中国人"などです。

アイヌ民族は、"北海道ルート"を介して、日本に渡来した先住民。
(北海道のみならず、北は樺太、北東の千島列島、南は本州北部にまたがる地域に居住していた民族)



しかし、日本の歴史を振り返ると、少数民族への政府や社会の対応はかなり否定的です。



例えば、2020年、麻生太郎副総理兼財務相はこのような発言を残しています。↓

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「2000年にわたって同じ民族が、同じ言語で、同じ一つの王朝を保ち続けている国など世界中に日本しかない。」




本当にそうでしょうか?




現在、"アイヌ民族"は日本の少数民族であると認められていますが、朝鮮系日本人は少数民族とは認められず、帰化すれば"日本民族"であることが当然視されています。



"帰化"という選択肢を簡単に口にする人がいますが、その審査や決定権は日本側にあり、個人の国籍選択権とは逆です。
また、"帰化"したからと言って、差別が無くなるとは到底考えにくい。



・政府からの差別

日本はアイヌを少数民族と認めてはいるものの、これまで日本政府が実施した"同化政策"には、全くと言っていいほどアイヌの "民族性" を尊重していないことが見て取れました。


同化政策の内容としては、"アイヌ語"や、彼ら独自の"生活習慣"を禁止するもので、伝統的に発展させてきた固有の文化ではなく、日本の文化を強制させるものでした。


・社会からの差別

加えて、政府がアイヌを少数民族と認めても、就職・結婚・進学・居住などの社会的差別があったことも事実です。(在日の方々も同様)


上記のような例はほんの一部にすぎません。




また、麻生太郎副総理兼財務相の発言は、アイヌ民族などの少数民族を考慮していないと言えます。




なぜ我々は"民族の差別や闘争"を繰り返すのでしょうか?





映画で印象に残っているシーンがあります。(※ネタばれ)

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「どうして何の疑問もなく俺のこと在日なんて呼べんだよ。俺はときどきお前ら日本人をどいつもこいつもぶっ○したくなる。おめぇら俺が怖いんだろ。名前つけなきゃ不安でしょうがねぇんだろ。なぁ。じゃあ俺はライオンな。ライオンは自分のことライオンだなんて思ってねぇからな。おめえらが勝手につけた名前じゃねぇか。調子こいて近づいてみろ。頸動脈に飛びついて噛み○してやんぞ。名前なんて何だっていいんだよ。マムシでもサソリでも。エイリアンでもいいよ。だけど俺は自分のことエイリアンだと思ってねぇからな。俺は在日でもエイリアンでもねぇんだよ。俺は俺なんだよ。




"在日"と言われている人は、生まれたときから自身を"在日"だとは思っていません。




"在日"であることは、社会や周囲から一方的につけられた呼び名です。





民族や国籍で他人をひとくくりにし、差別するほど人間は異なった生き物なのでしょうか?

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私(達)は誰?


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私は日本人です。両親も日本人です。



しかし、自身が"日本民族"であると自覚したことはありませんでした。



それは、周りのみんなが日本人だったからでしょう。



当たり前のことすぎて、自身の民族性 (Ethnicity) を考える余地もありませんでした。



このような環境は、下記のような日本特有の価値観形成を促しているのではないでしょうか?



日本人という互いの常識を「暗黙の了解」で共有できる極めて"同質性"の高い社会で生きてきた結果、それとは対極の"異質性"(他民族・他国籍)に対し、極端に反応するようになった。





また、民族の話から少し脱線しますが、上記に関連した実体験を話したいと思います。



私は現在、国際色豊かな会社に勤務しています。

オフィスには、当たり前のように外国籍の方がたくさんいます。



しかし、オフィス内には、それらの同僚に対し、「外人」というワードを使用する日本人がたくさんいます。



この「外人」という言葉の意味を皆さんは考えたことがあるでしょうか?



「あぁ、"外の人"みたいな意味だから使っちゃいけないんでしょ。」と理解している人が多いのでは。



あながち間違いではないですが、広辞苑には下記のように意味が記載されています。


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①仲間以外の人。疎遠な人。
②敵視すべき人。

③外国人。異人。



英語には"Foreigner(=外国人)"という言葉がありますが、"外人"は、≒"Alien(エーリアン)"という意味合いがかなり強いように思います。



このような差別的なワードが社会に浸透している。



また、それを悪気もなく使っている人がたくさんいる。ということです。



人を識別するために用いている何気ない言葉が、日本人をより単一民族意識の高い種族に促しているのではないでしょうか?




日本人って個人主義?


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日本人は、"集団主義"で、周囲との""を大切にするイメージが世界的に浸透しているように思います。



私も社会人になるまではそのような印象を持っていました。



しかし最近、「日本人は"個人主義"という言葉の方が似合っているのではないか?」と思うようになりました。



"残業"を例にとって考えてみたいと思います。



日本は、比較的に残業時間が長い国と認知されていますよね。



残業する理由は単純で、時間内に仕事が終わらないからです。



それでは、「なぜ時間内に仕事が終わらないのでしょう?」



日本人特有とも考えられる、2つの理由から考察したいと思います。↓


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・理由1:「自分にしかできない」思考

私が日本のチームで仕事をする中、"個々の仕事には互いに口をはさまない"ような風潮があると感じました。


「これは、●●の仕事。」と責任分界点を区切っている人が多いのだと思います。


このような風潮は結果として、「この仕事は自分しかできない」≒「他人に助けを求めない」「他人に迷惑をかけない」という考えに辿り着く原因ではないでしょうか?


「自分にしかできない。」という考え方は、結果的に、チームへの情報共有や、情報の引継ぎを蔑ろにし、自身が会社において"唯一無二"という存在価値(エゴ)を作り上げるための個人主義な思想と言えるでしょう。



・理由2:「人に迷惑をかけたくない」思想

一見するとチームを尊重する"集団主義"的な言葉だと理解できます。


しかし、実際は「助け合わない社会」「それぞれがそれぞれのことを解決しないといけない社会」を象徴する個人主義な考えであると言えると思います。


このように、一見"集団主義"な社会が、実は"個人主義"な社会であったという可能性は十分にあり得ると思います。



日本人の"横並び"という理解には、


チームや組織が一丸となって足並みを揃える"集団主義"な考えよりも



各自が遅れを取らないよう、全体との足並みを揃えなければならないという"個人主義"な考え方が本質的にあると思うのです。



最後に


私たち日本人は、私たちが思っている以上に、"単一民族意識"を持った、個人主義思想の強い人間なのかもしれません。



これは、日本人に限った話ではないでしょう。




しかし、日本で他人をひとまとめにし差別が続いている歴史は否定できません。




「私は差別をしていないから関係ない。」と問題から目を逸らし続けることでは、日本で起こる"差別"の解決には何の進歩ももたらしません。





私たちは、他人の"国籍"や"民族性"を見る前に、一人の対等な人間として向き合うべきです。




もし、あなたが"アメリカ"にネガティブな印象を持っていても、その印象を"アメリカ人"に当てはめることは間違っています。





国籍や民族で人を分別することは、その人の本質を知らないことと同然です。




もっと互いを理解し、愛し合う社会ができれば、日本はもっと誇れる国になるのではないでしょうか?



おんぶ



LOVE AND PEACE !!!










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