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「鶏のから揚げ」の「鶏の」の補足、必要?

 居酒屋に行くと必ずあるメニュー、鶏のから揚げ。いつも思うのだが、「鶏のから揚げ」の「鶏の」は要らない。絶対要らない。「から揚げ」の時点で鶏だから。タコとか軟骨の時だけそうやって説明すればいい。万人の共通認識でからあげのデフォルトは鶏であるため、「鶏の」などという二重説明を省くべきだ。ロハスでSDGsな現代社会では、無駄なインクを使っている余裕はない。「この『から揚げ』とは何のから揚げだ」と愚問を口にする愚か者は捨て置けばいい。そのような輩は酒を飲む年齢になっても「から揚げ」に関する常識を身に着けられなかったはみ出し者だ。
 そもそも、から揚げ弁当と言えば絶対に鶏のから揚げだと分かる(主張する)くせに、いざソロだと「鶏の」という枕詞を添えられないと表舞台に立てないから揚げの臆病さに辟易する。お前のことはみんなが認めている。だからそんな保険は捨ててしまえ!
 まあ「大方鶏だってわかっているけれど、一応書いていないと不安になる」という気持ちも分からなくもない。しかし、メニューに「から揚げ」とだけ書いていて、鶏以外のから揚げを出す意地悪な居酒屋は無い。大丈夫だ。私と居酒屋を信じて、から揚げを声高々に注文してほしい。それは絶対に鶏なのだから。

 もちろん例外もある。例えばサバ料理専門店にある「から揚げ」はきっと、サバのから揚げだ。とはいえ、恐らくメニューには「サバのから揚げ」と書いてあるだろうし、そんな店に入店する時点で「どんな料理もサバなんだろうな。だってサバ料理専門店なんだし」という心づもりで入るべきだ。店は「サバ料理専門店」と暖簾に表記することで、から揚げが鶏ではなくサバであることを前もって標榜している。だから鶏を期待して「から揚げ」を注文することは、明らかに店のルールに反しているのだ。
 異色なコンセプトを持つ店の変則的な法則は、前もって対処することによって自衛できる。従って、例外が「鶏のから揚げ」の正当性を示す証拠にはならない。あくまでも私は、なんてことのない居酒屋の「鶏のから揚げ」に異を唱えているだけだ。
 やっぱり、「から揚げ」で十分だよ。余った「とりの」はオリンピックの前にでも置いておこう。

 話は変わるが、もも肉が安かったので今日の晩飯はから揚げだ。どうせ食べるのは私一人なのだし、大きめにして思い切りかぶりつこう。齧った時にじゅわりと出る肉汁を想像するだけで食欲が出る。
 とりあえずメインは決まった。副菜はどうしようか。そういえば里芋が冷蔵庫にあったはず。里芋の煮っころがしでも作ろう。
 私はほとんど毎日自炊をしているわけだが、この里芋の煮っころがしが一番の得意料理だ。甘辛いおつゆがたっぷりとしゅんでいて、歯触りはとろとろ。噛まなくても溶けてゆく里芋が最高に美味しい。すべての人間に食べてほしい。さすれば、小さな戦争くらいなら止められる気がする。
 そうと決まれば、早速作業に移ろう。随分と炭水化物の多い献立になるが、一応作り置きしたキャベツと玉ねぎのマリネがあるから、それでなんとかカバーできるはず。そう誤魔化し、里芋をきれいに洗った。

 あれ、そういえば煮っころがすものって里芋以外にあるのかな。あんまりないよな。あったとしてもジャガイモくらいか。でもそれなら「ジャガイモの煮っころがし」と言うし、もはや煮っころがしの時点で「里芋」の意味を実質的に有している気がする。
 だのに、私は自信満々に「里芋の煮っころがし」と各人に話してきた。これでは、「鶏のから揚げ」批判をした私が二重規範、いわゆるダブスタみたいじゃないか。一貫性が無さすぎる。折角納得しながらここまで読んでくれた方の肩を落とすような真似はしたくない。どちらかの論を捨てなければ。くそ、どうすればいいんだ。
 なんてことの無い平日の夜、里芋の煮っころがしと鶏のから揚げの作りかけを前に、私は苦悶した。

 

 

 

 

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