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「は?」って聞き返さないでほしい、怖いから

 蝉がシャーシャーと鳴いている。まだまだ声量は小さく、穏やかで淡いそれは夏の知らせのようで心地が良い。いつもはイヤホンで耳を塞いでいるが、今日だけは外した。
 私は大学生の時、京都の御池通に面するマンションに住んでいた。御池通は京都市の中心であり、ビルが立ち並ぶ大通りだ。歩道は十二メートルも幅があり、その真ん中には大きなケヤキが等間隔で植えられている。アスファルトばかり敷き詰められている街なので、夏になると大量の脂蝉がケヤキを求めて密集する。結果、何層にも重なったジリジリという音が滅茶苦茶うるさい。それは隣にいる人の声もかき消されるほどで、歩行者は皆顔をしかめていた。
 でも、私はそんな蝉の声が好きだった。耳の許容量限界まで蝉の声で一杯になる、あの感覚が好きだった。窓を開けてその音を聴くと、身体に染み入った。松尾芭蕉も同じ気持ちだったのかなと思わずにはいられない。

 バス停に着くと、サラリーマンが二人先に並んでいた。一人は五十代くらいで、背が低くおなかがぽっこり出ている。もう一人は二十代だろうか、パリパリのスーツを着こなす、すらっとした好青年だった。彼らはどうやら上司と部下の関係らしく、会話が聞こえてくる。
「あの資料、もう作ったか?」
「えっと……?」
「は? 先週頼んだだろ。○○さんに渡すやつ」
「ああ、あれは確認してもらうために、昨日課長にメールでお送りしたはずですが」
「は? 来てねえよバカ。ちゃんと送ったのか? 送信ボックスみてみろ」
「はい……」
 部下は携帯を取り出し、急いで操作する。頑張れ、好青年。しかし、上司も上司だ。そんな言い方しなくてもいいのに。

 私は聞き返す際に使う一文字の中で、「は」が一番嫌いだ。「は」ってきついし怖い。他に「へ」とか「え」とか、「ん」があるけれど、これらはおとぼけのニュアンスだったり、純粋な疑問から沸き起こる感じがする。
 「へ? そうだっけ?」、「え? そうだっけ?」、「ん? そうだっけ?」こうして並べてみても、やはり相手を威圧する要素は含まれない。
 だが、「は」は相手を威圧し、非難しているように感じざるを得ない。「は? そうだっけ?」なんて言われたら、元の話題を忘れて意味も無く落ち込んでしまうこと必至だ。というか、こうやって字にしてみると、「は? (私はそうは思わないけれど)そうだっけ?」という意味があるように思える。若干否定の意味が強いのが「は」であり、そう考えると、他の一文字と差別化するために使い分けている人もいるのかもしれない。例えそうだとしても気に食わないので私には「は」を使わないでほしい。
 それに、「は」を使っている人の顔を見てみると、殆どが眉間に皺が寄っている。口も開いていて、呆れ半分嫌悪半分みたいな、あの顔が嫌いだ。他の一文字で聞き返した場合、大体は目が大きく開くのに、なぜ「は」だけは目にぐっと力が入るのか。研究者の方々にはこの謎について科学的に解明してほしい。
 ああ、そういえば「あ」も「は」に似ている。「あ」は不良が使うイメージで、「は」は今みたいに嫌な大人が使うイメージだ。実態は知らないが、とにかくどちらも良い印象は無い。
 なんにせよ、とりあえずこの「は」「あ」を日常的に使うことを条例かなにかで禁止にすべきだ。内閣には通勤費に税金をかける前に、よりよい社会を作るためにも早急に着手して頂けたらと存ずる。

 蝉が「は? は? は?」という鳴き声じゃなくて本当に良かった。もしそうだったら、私は夏が大嫌いになっていただろう。危ない危ない。
 地上に出られる期間が一週間しかない蝉が、その理不尽な生態を非難するために叫んでいると思うと、「は? 俺の命これだけ?」と鳴いたって文句は言えまい。私だって蝉に産まれたら「は?」と思うだろう。それなのに、ただシャーシャーと鳴くに留まる蝉はとてもスマートだ。自己犠牲の精神を持っている。私を不快にさせまいと、「は」を使わずに必死に鳴く蝉の声が、そしてその奥にある彼らの配慮が、殊更に染み入ってくる。

「やっぱり、課長に送ってますよ」
 部下は画面を上司に見せて、確認させる。それを見た上司は、すぐに自分の携帯を取り出した。
「……ほんとだ、きてるわ」
 は?


こんなところで使うお金があるなら美味しいコーヒーでも飲んでくださいね