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あの子が辞めたのは自分のせい? フラットな組織の時代に上司は「別れ」とどう向き合うか

誰もが一つの会社、チームに留まり続けるのが当たり前ではなくなった今、編集者として、自分が育てるライターとの「別れ」にどう向き合うか、考えた。

育ててあげられなかった、自分のせい

 僕は編集者として、ライターの育成にも携わっている。もちろん、全員に腕を磨いて、いつまでも編集チームに力を貸してほしい、たとえ、チームを離れることになったとしても、その磨いた腕でこれからも思う存分、活躍してほしいと思っている。

 しかし、かならずしも、全員とそんな間柄になれるわけではない。どうしても、彼、彼女の力を十分に引き出してあげられないまま、どちらかが(多くの場合はライターのほうが)チームを去ることになってしまうことはあるし、また決して少なくない。

 特に、相手が若い、20代の駆け出しともなれば、なおさら難しい。まだ、打ち込める仕事や自信の持てるスキルに出会えないうちは、いろんなことがゆるぎやすく、それに、実はいろんな仕事を試してキャリアを模索している最中、という人も多いだろう。

 そう頭では分かっていても――。やはり、ライターがチームから離れてしまうのは、彼、彼女らを育てる立場にある編集者としてはつらい出来事。

 「育てる者」と「育てられる者」という役割で、もう少し一般的に「上司」と「部下」という言葉を使うと、上司としては「部下を育てることができなかった」という敗北感を味わいがちでもある。

 「あの子が辞めたのは、育ててあげられなかった自分のせい」――?

敗北感を味わうのは、昭和的発想のなごり?

 だが、最近は、考えをあらためるようになった。実際は、そこまで自分を追い込まなくてもいいじゃないか、と。

 もしかすると、ライターが辞めてしまった責任を自分一人で抱え込もうとするのは、どこか「昭和」を引きずってしまっているのかもしれない。

 平成から令和に元号が変わろうという現在、終身雇用や年功序列といった就労スタイルは、昭和時代の遺物になりつつある。ただでさえ、若者にかぎらず、誰かが一つの会社、チームに留まり続けると考えるほうが難しい。

 従来は会社のヒエラルキー的なピラミッドの中で、上司は部下を引き上げるべき者だったが、今はピラミッドではなくフラットな組織の中で、出会いとタイミングでプロジェクトが立ち上がる。たくさんの選択肢の中で、個人が自分仕様にキャリアをつくっていく時代だ。

 そんな時代にあって、「チーム」とはプロジェクトプロジェクトが成立するというのは、ある意味「めぐり合わせ」でしかない。ならば、プロジェクトごとに人が集まり、目的を達成して、あるいは未達だったとしても、いつかは人が離れていくのは当たり前のこと。

 そういう前提に立てば、人が辞めてしまった責任を自分一人で抱え込もうとしてしまううちは、「人を囲い込もう」とする昭和的発想が、自分の中のどこかに残っているのかもしれない。

やれることは少ない。だが「第三の道」もある

 もちろん、人が辞めてしまったことが「自分のせいだ」「もっとしてあげられることがあった」と思われるうちは、きっと自分に多少の責任があるのだろう。そうならないよう、努めるべきだ。

 だが、そうではなく、「自分は常に最善を尽くしてきた」と思えるなら、それ以上、やるべきことは残されていないし、やれることもそう多くはない。

 誰かが辞めてしまいそうになったとき、私たちはよく、「それは仕事が楽しくないからだ」「どうすれば、彼、彼女の仕事を楽しいものにできるだろう」と、考えてしまう。これも間違いだ。

 僕らはとかく「楽しい仕事」を求めがちだが、そんなものは存在しない。実際に仕事を楽しんでいる人というのはいるが、それはその仕事に対する本人の捉え方の問題。「楽しい仕事」なんて存在せず、「仕事を楽しむ人がいる」だけである。

 誤解をおそれずに言ってしまえば、自分に合った仕事を模索する中で、「やっぱり、この仕事、ライターは私の仕事ではなかった」と捉えるのは、上司や編集者の問題ではない。完全にその人、本人の問題だ。

 では、私たち、育てる者にできることと言えば――全力を尽くして人を育てる、それでもダメだったら、快く送り出すことくらい。育てる側も育てられる側も、お互いに責任を押しつけたり、相手を嫌な気分にさせるような不義理はせず、最低限の努力をしたうえでの決断であれば、別れもさわやかに受け入れられるはずだ。

 そして、先述したように、チームとはプロジェクト、プロジェクトとはめぐり合わせ。だとすれば、たとえ一度は不本意なかたちで別れたとしても、まためぐり合うかもしれない。一緒に働く、働かない、そのどちらでもない「第三の道」を探ってもいいし、いつだってドアは開けておけばいい

 どんなに好きでライターになった人でも、しんどい場面に直面することはある。それをライターが乗り越えられるように、僕としてはこれからも全力を尽くしていくが、努力の結果、ほかに道を求める人は、いさぎよい気持ちで送り出してあげられればと思っている。

編集者/Livit代表 岡徳之
2009年慶應義塾大学経済学部を卒業後、PR会社に入社。2011年に独立し、ライターとしてのキャリアを歩み始める。その後、記事執筆の分野をビジネス、テクノロジー、マーケティングへと広げ、企業のオウンドメディア運営にも従事。2013年シンガポールに進出。事業拡大にともない、専属ライターの採用、海外在住ライターのネットワーキングを開始。2015年オランダに進出。現在はアムステルダムを拠点に活動。これまで「東洋経済オンライン」や「NewsPicks」など有力メディア約30媒体で連載を担当。共著に『ミレニアル・Z世代の「新」価値観』。
執筆協力:山本直子
フリーランスライター。慶應義塾大学文学部卒業後、シンクタンクで証券アナリストとして勤務。その後、日本、中国、マレーシア、シンガポールで経済記者を経て、2004年よりオランダ在住。現在はオランダの生活・経済情報やヨーロッパのITトレンドを雑誌やネットで紹介するほか、北ブラバント州政府のアドバイザーとして、日本とオランダの企業を結ぶ仲介役を務める。

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