続・座標軸 B型総理大臣 田中角栄編
田中角栄ほど評価の分かれる政治家も珍しいのではないか。私に言わせれば、典型的なB型的政治家ということになる。本人の血液型もB型である。(安倍晋三もB型だが、B型の総理大臣は少ない)ここで私のいう「B型的」というのは、「社会主義的」という言葉とほぼ同義だと思ってもらっていい。
1959(昭和39)年の東京オリンピックと1970(昭和45)年の大阪万博を成功裏に収めた日本に、試練が待っていた。1971年のニクソンショックと1973年のオイルショックという2つの外圧である。為替が変動相場制に移行し、原油が大幅に値上がりして、高度成長は突然終わりを告げた。田中角栄が総理大臣になったのはそんな1972(昭和47)年だった。
高度成長から取り残された地方への所得分配を考え、高速道路と新幹線で都市と地方を結ぼうとした。そしてそれを実行に移した。いわゆる大きな政府で、多くの人と多くのお金を動かして日本列島改造を考えた。田中角栄の回りには多くの人間とお金が集まり、金権政治と批判もされた。それ以外にも日中国交正常化をアメリカに先駆けて行ったり、石油のアメリカ依存度を減らそうとした。天皇への尊敬度もあまり大きくなかったと聞く。そんなB型政治家が、アメリカ(O型)から睨まれることとなり、その報復としてのロッキード事件で逮捕されることとなる。(個人的見解です)
自民党が社会主義的政策を行うなどと言うと、怪訝に思われる若い方もいらっしゃるかもしれない。しかし、いわゆる55年(1955(昭和30)年)体制の頃は当たり前だった。戦前のA型支配の失敗への反省から、A型は公職を追放され、B型の時代となった。O型はアメリカへの警戒から、少し用心された。ソ連、中国の台頭により、日本の社会主義化を恐れたアメリカもB型勢力が過激化しないよう、気を使っていたと思う。戦後の荒廃の時代は経済を立て直すために、社会主義的政策が意識的に取られたが、高度成長期に入ってからもそれは続いた。年功序列、終身雇用、横並び、護送船団、一億総中流・・・。日本的資本主義が花開いた。自民党左派である池田派(宏池会)、佐藤派(田中派と福田派に分裂)の天下が続き、政府の政策に社会党が注文をつけ、資本主義の行き過ぎを是正するという、持ちつ持たれつの状態が続いた。しかし、アメリカはそれをあまり快くは思っていなかった。いい加減に、本来の資本主義本来の競争原理を導入しろと要求し続けた。そのアメリカに田中角栄は喧嘩を売ったのである。
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