10/8_カウンセリングの記録と振り返り+養育里親の母の教え
今日もまず最初に、今日嬉しさや安心感を感じたことを3点あげることから始めていく。
カウンセリングがうまくいき、スッキリした気持ちで終えたこと
1日中自宅外にいたけれど、ほとんどイライラすることなく過ごすことができたこと
私がこれまで頼っていた理屈や倫理の正体を知ることのできる本に出会えたこと(※本のリンクは最下部に記載)
今日はトラウマケアと愛着障害の克服を目的とした心理カウンセリングの日。今回から埼玉にあるカウンセリングルームで受けることにしていたので、早朝7時半には自宅を出る。
昨晩は26時に睡眠薬を飲んで、寝付けたのが27時すぎ。
昨晩から睡眠薬を半分に減らすことになったものの、朝でも薬の作用が残っているのか、電車に座ってもとにかく眠くて眠くてしかたがない。
とりあえず今日のカウンセリングで話をしたテーマと概要を振り返っていくことにする。
モラハラ加害者であることと、自身の被害者性の間の葛藤
私は妻に対してモラハラ言動をして傷つけてしまった「加害者」であると同時に、自信も原家族の中で虐待やネグレクトを受けた「被害者」である。
ゆえに私がモラハラ言動をしてしまった原因を考えるにあたっては、どうしても自身が持つ被害者性とぶつかってしまう。
でも普通に育った人にはその被害者性は理解し難いものだし、それをモラハラ言動の言い訳に使ってしまうと、余計に批判されてしまう。
私が抱える被害者性がモラハラ言動の原因であることは事実だけれども、それをそのまま持ち出すのではなく、自分でどう受け止めて、今後どう乗り越えていくかという文脈で語ることが重要なのだと思っている。
この被害者性を克服するための大きな一歩として、次項に上げる母親の話が出てくる。
実の母親に会うこと
ちょうど1週間後に、生まれて初めて私を産んだ母親に会うことになっているが、カウンセラーは誰か近親者と一緒に行った方がいいという。万が一取り乱すような状況になった場合を考えてのことだろう。
ただ現実にはそんな人はいないわけなので、とりあえず母の自宅に伺ってみることにする。母の側が誰かしら同席者を立てる分には構わない。
会って話をする中でどうしても苦しくなってしまった場合には、その時点で切り上げて帰るくらいの気持ちで行った方が良いとのアドバイスもあった。
自分が先に信頼をし、人と信頼関係を構築すること
私はいわゆる愛着障害のような特性を持っているので、人を信頼するということができずに生きてきた。
これまではそんな私でも何とかやり過ごしていたけれど、30歳半ばの会社員として、家族を持った身として、そんな私のままやり過ごすには限界が生じていた。
一方で周りの人が私を信頼してくれるのを待つというのはそれはそれでツライもの。それに人を信頼できないような私を信頼してくれる人なんていない。だから、どんな人であれまず私から信頼してみるということを徹底していこうと考えている。
自分から積極的に心を開いて、相手の懐にまずは入ってみることからトライしてみたい。
加害者が本質的に「反省した」とはどのようなものか
私の場合、妻に対してモラハラ言動を繰り返してしまったわけだが、その言動に対して、本質的に反省をしたとはどのような状況なのだろうか。
刑務所と同じように、毎日規則正しい生活の中で奉仕活動をしたり、ひたすら反省文を書いたりするようなことも反省ではあるが、私はもっと本質的なモノがあると思っている。
それは、なぜモラハラ言動をしてしまったのか、その原因をきちんと特定し根っこの部分の治療をすること。私の場合だと、以下のような具合だろう。
※岡本茂樹著「凶悪犯罪者こそ更生します」より抜粋
過去の蓋を開け、これまでに起きた過去の事実を明らかにする
心の奥底にある否定的感情(過去の傷つきなど)を確認する
その否定的感情をカウンセリング等を通して吐き出す
自己理解(気づき)が生まれ、心に変容が起きてくる
被害者に対する罪の意識が芽生え、深まっていく
私の場合、④が進み、⑤も徐々に深まっていっている状態だと思っている。
苦しいときには③に戻り、③→④→⑤を繰り返すことで、いわゆる更生が進んでいくのだと思う。
カウンセラーとの距離がぐっと近くなったような気がする
久しぶりにカウンセリングルームで対面でカウンセリングを受けたけれど、今日はなんだかリラックスすることができて、終わった後に感じていたモヤモヤ感もなかった。
カウンセラーがこれまでとは違った、なんだか信頼できる味方のような感覚を覚えた。これも私から信頼しようと思ってカウンセリングに臨んだ成果なのだろうか。
里親の母の教え①:人に頼れるということも自立の証
私には高校時代にお世話になった里親の父母がいる。少し前にその里親の母に言われたのが「人に頼れることも自立の証」ということ。
その言葉を聞いてから、それまではずっと「もっと我慢しなければならない」「弱音を吐くなんて甘えは許されない」といった観念にとらわれていたことに気づいた。
人に頼れるというのは、自分から心を開き相手を信じるということ。
私から相手を信頼すれば、きっと相手も心を開いてくれるということ。
だから私のような人間でも人に頼ったり、時には甘えたり、わがままの一つでも言っていいんだと感じた。
里親の母の教え②:自分を追い込みすぎると、相手も苦しくなる
これは一昨日、今の私を木の上から見て、そう言ってくれた。
今の私は、自身が抱える愛着やトラウマの問題を何とか乗り越えなければならないという強い思いから、もっと頑張らなければならない、精神的に苦しくても我慢しなければならないといった具合に、自分を追い込んでしまっている。
一方で私のこの言動は、相手にとっても苦しくなる可能性をはらんでいるということを教えてくれた。
その意味するところを自宅に帰る途中で、頭の中で絵にしてイメージを膨らませていた。その絵を書き起こしてみた。
現状(As is)では、私が何とかしなくてはとひとりで車輪を強く動かしているため、夫婦という車(家族)は前に進まず、その場をグルグルと回っている。
しかし本来の姿(To be)は、夫と妻の両方の車輪が阿吽の呼吸で動くことで車はしっかりと前に進む。
つまり、私が強い思いから頑張りすぎても車は前に進まないので、少しギアを落として、妻の車輪のペースに合わせていくことも重要だということ。
決して私が一生懸命に取り組むことは悪いことではない。でも私には妻がいて夫婦という両輪で生きている。だから自分だけで進むのではなく、相手の状況にも配慮しながらうまく調整していくことが大切だということを認識することができた。
7月9日から始めた断酒生活も今日で92日目
里親の母の言葉を借りれば、断酒し続けるのもいいけれど、たまには息抜き程度に飲むことは、相手にとってもプラスになるのかもしれない。
今日は疲労回復のため終日ランニングOFF
天気予報どおり、今日は一日雨だったので完全OFFとした。
最後に感謝の気持ちを
今日も子どもたちを育ててくれて、本当にありがとう。
私も少しづつだけれども、日々正しく学びながらじっくりと前に向いて歩いていきます。
↓ 冒頭の嬉しかったことで触れた本
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