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私はまだ家族の現実から逃げている

今日は朝から多摩方面に用があり、その後図書館で1冊の本を借りて自宅に戻った。
借りたのほ、5月31日に出版された、別居・離婚後の「共同親権」を考える-子どもと同居親の視点からという本である。
私は別居親の立場だが、同居親である妻の立場になって考えたいという思いと、GADHA代表の中川瑛さん(えいなかさん)が執筆した章があるとのことで、手に取った。

今日も妻と子どもに手紙を書いたのち、夕方にえいなかさんが執筆した第五章「加害者は変わることができるのか」を読んだ。
30分ほどで読み終えたのち、私は今よりもどん底に落ちていくのを感じた。
内容が悪いというわけではなく、本を読んでもっとリアルな現実に直面することができて、自分が苦しくなってしまったいう具合。
ネタバレにならない程度に、本から得たリアルと今の気持ちを書いていく。

離婚することが、今の妻にとってのケアになりうるのか?

この問いは私にとって、ずっと目をそらしたいものだった。
この問いに目を向けてしまうと、どんどん気持ちが落ちてしまい、本気で変わりたいと思って生きている私のアイデンティティが壊れてしまいそうな気がするから。
そして私は、離婚以外の選択肢によって妻をケアし幸せにすることができると信じているから。

ただ本を読んで、妻のリアルな現実に向き合うことで「離婚をすることが、今の妻にとってのケアになりうるのか?」という問いに対して、私はyesという考えを持つことができた。
持つことができたというより、持たざるにはいられなかった。

私にとって、子どもにとっても苦しい結果も見据えておくこと

別居親である私にとって、2人の子どもたちにとって、一番苦しい結果は私たち夫婦が離婚をしてしまうことである。
子どもたちにとっても、両親と仲良く楽しく暮らせるに越したことはない。
そのことは私が身をもって経験しており、よくわかっているつもりだ。

その一方で、モラハラの被害で苦しむ妻にとっては、離婚することこそが最も幸せな結果なのかもしれない。
私は今まで離婚することは「手段」であり「目的」にはなりえないとずっと思っていた。目的は、妻が家族が幸せになることだと思っていた。
だが、妻の立場に立ってみれば、私とはもう関わりたくない、怖いといった思いから、離婚することが目的であり、ゴールになりうるのかもしれない。

私が一番怖いのは、親と同じ人生を歩むこと

私は実父が離婚により子ども(私の兄)と会えなくなり、社会からも孤立し、ギャンブルとたばこに溺れ、借金を背負い、職を失い、若くして病気で亡くなる、私はそんな父のリアルを目の当たりにしてきたので、何としても親の敷いたレールを歩んではいけないという強い思いがある。
だから私も周りの人と同じ土俵で生きたいと思い、行政や福祉機関が敷いてくれた最低限の人生のレールを自分の意志で外れ、今日まで何とか一人で生き抜いてきた。

でも結局、私が変えられる世界には限りがあり、蛙の子は蛙になってしまうのが何よりも怖い。
私の人生までも、結局は毒親である父に支配されてしまうと思うと、私のアイデンティティが完全に崩壊してしまう気がするからだ。崩壊したときに、私はどうなってしまうのか、想像すらできず考えただけで怖くなってしまう。

そして何よりも、私の大切な子どもたちに、私のような苦しい思いだけはさせたくない。私の父と産みの母の負の遺伝子だけは、絶対に子どもたちには渡したくない。私の代で私が根絶させる。そう決めている。

今日も今日とて私は走る

夕方にこんな具合でリアルな現実に向き合い、気持ちがズドーンと落ちてしまった。久しぶりに声を上げて長い時間泣いてしまった。
今の私にはよくあることだが、こんな時にかぎって「とても走れる状況ではない」と自分に言い聞かせ、自分の殻にこもりがち。

でも今日は、夜に外で皇居に向かう私がいた。
こんな時こそ走れば、何か気持ちが楽になるかもしれない、新しい発見があるかもしれない、そんな気持ちになることができた。
本気で変わりたいという覚悟が、どん底に落ちた私を後押ししてくれたのだと思う。
今日は、LSDペースでゆっくり11kmのランニング。
日没から時間が経っている分、アスファルトの温度も下がり、気温以上の涼しさを感じる気持ちの良いランニングだった。
どんなに苦しくても、今日は今日とて私は走る。走れば何かが変わるはず。

今日の振り返り

禁酒生活も15日目に突入。
今日は遅い時間のランニングだったこともあり、夕食は軽めに済ます。
バナナ、はちみつinヨーグルト、抹茶プリン、こんにゃくゼリー、プロテイン飲料、納豆、その他おやつ

昨日、久しぶりに御徒町のサミットに行くと、なつかしいさつまいもチップスがあり購入した。
今は3歳半になる息子と、ママがお風呂に入っている間に、二人でこっそり食べていた思い出のチップス。(別に隠す意図はないが)
二人で顔を合わせ、同時に口にいれて食べているときの、息子のうれしそうな顔は忘れられない。
最愛の息子には、毎日何度も「大丈夫だからね」と声にだして気持ちを伝えている。また一緒においしいもの食べれるからね。絶対に大丈夫だからね。

今日は気持ちがまたどん底まで落ちてしまったけれど、たくさん泣いたので少し楽になった。
そして私は今日も、今の私にやれることは全力でやりきった。

最後に、今日も一人で子どもたちを見てくれている妻に、心から感謝を伝えさせてください。
本当にありがとう。


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