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あなたが思う千葉じゃなくても

 このエッセイは私とみたかの小さなプリン屋さんとのコラボ企画「プリン屋さんとフランスかぶれ」用に書いた作品です。今回はふたり同じ「故郷」というテーマで書きました。


 故郷はどこかと尋ねられて「千葉です」と答えると、「都会のご出身なんですね」と言われることがある。

 そういう場合、話相手の考える千葉はたいてい「東京のベッドタウン・千葉」であり、東西に走る地下鉄や電車に乗っていればそのうち着くようなところだと想定している。

しかし、その人の思う千葉は「私の千葉」ではない。

 私が生まれて18歳まで過ごしたのは、九十九里浜に面した千葉県北東部の町だ。

 なんとなく地下鉄に乗っただけではこの町にはたどり着けない。

 これからそこへ向かうのだというしっかりとした意志を持って東京駅から特急電車に乗り込む必要がある。

 昼時の特急の座席でゆっくりと駅弁を食べ、読書をしてからひと眠りしたあたりで、間もなく到着のアナウンスが流れてくる。

 電車から降り立ったホームの空気は、夏なら東京のそれよりも乾いていて涼しく、冬は湿り気を帯びていて刺すような寒気ではない。たかだか100km程度の移動で気候がこうも違うのかといつも思う。

 私たちが駅に着くと、必ず父か母が車で待っていてくれる。

 車に乗り込み、小学生時代まで住んでいた家のあたりを通って実家に向かう。この町では車がないと生活は難しい。

 こどもの頃は、にぎやかだと思っていた駅前や銀座通り商店街は少し活気を失っているように見える。いや、もしかしたら昔からそんなに変わっていないのかもしれない。


変わってしまったのは自分の方なのかも。


東京に暮らすようになって初めて、自分は「私の千葉」出身なんだという意識を持った。

 近所のスーパーで買う刺身の価格と味への絶望。
(今まで自分がどんなに美味しい魚を食べてきたのか思い知った。)

 東京の友人たちに指摘されるちょっとした訛り。
(イントネーションの違いはもちろん、「じゃみる」や「青なじみ」が通じないなんて!)

 電車やバスが数分置きに発着することへの異常なまでの感謝。
(朝、電車を一本逃すことで遅刻が決定していた。)

 子供たちの通う学校のルール。
(2時間目と3時間目の間は業間休みでなくて中休みと言い、出席番号が生年月日順でなく50音順というのに驚いた。)

 こんなことに気づくたび、私は自分を育てた町のことをいちいち考えた。

 故郷での生活よりも東京暮らしの方がだいぶ長くなった今では、そういったこともなくなってしまったけれど。


 実家の家族とビールを飲みながら、湯引きをしたアンコウの刺身やいわしの卯の花漬け、海藻の煮凝りなどが並ぶ夕食を済ませ、息子たちと庭に出てみる。

「おかあさん、星がすごいよ。本当にきれい。」

 言われて見上げると、空には冗談のように多くの星がきらめいていた。

 ここに住んでいたころには見えていなかったその輝き。

「おかあさん、おじいちゃんたちと話す時、時々なんて言ってるかわかんなかった。」

 そうか、私の話す言葉は、ここに来ると知らず知らずのうちに18歳のあの頃に戻っているのか。

 「私の千葉」はあなたが思う千葉ではないかもしれない。

 そして私はそこが好きだ。


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