(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)
中国唐代に呉兢が編纂したとされる第2代皇帝太宗の言行録です。
古来から「帝王学の教科書」とされてきた書物とのことですが、なにぶん文庫本でも800ページ近い大著なので、まずは一通り訳文に目を通すことを目標に手に取ってみました。
「貞観政要序」には、イントロダクションとしてこう記されています。
さて、それでは本編の中からの覚えの記録です。
まずは、1400年経ても変わらぬ官僚の姿。巻一政体第二から。
いずこも同じ景色ですが、今の官僚はさらに一歩進んで(退いて)、諫めるどころか権力者の意を「忖度」し、行政の礎石たる文書自体を改竄したり紛失したりもしているようです。
そして、それと対をなす皇帝(大宗)の姿勢。
巻二任賢第三から。諫言をもって帝に仕えた魏微を失っての詔の一節です。
こういった度量のあるリーダーの姿も見なくなって久しいです。
さて、以降も、こういった太宗の政治姿勢に関する臣下とのやり取りが細かく列挙されているのですが、この諫言の主として最も多く登場するのは、太宗と対立した皇太子建成の臣下であった魏微です。
彼の「太宗が有終の美を飾れない理由十条」は本書のエッセンスを語りつくりしていると言えるでしょう。
少々長くなりますが、その冒頭を書き留めておきます。
貞観政要の記述には在位末期での綻びもいくつか記されているとはいえ、太宗の治世は “貞観の治” と称されました。
もちろん、美化されたところも多々あろうかと思いますが、それを差し引いても、後世において理想の政治を行ったと評された太宗の政務に向かう姿勢は見事だと思います。