だいじょうぶ (鎌田 實・水谷 修)
現代社会の貧しさや哀しさを憂える二人が交わした往復書簡と対談をまとめた本です。
そのうちのお一人は鎌田實氏。長野県の諏訪中央病院にて、患者の心のケアも含めた地域一体医療に長年携わっています。
もう一人は水谷修氏。「夜回り先生」として有名です。若者の非行防止や薬物汚染の拡大防止のためのパトロールやメール・電話での相談に献身的に取組んでいます。
お二人が本書で語られている数々のエピソードは、日本および海外の社会的弱者の哀しい現状を披瀝しています。と同時に、そういった荒んだ社会の中でも、本当に温かな優しさをもって真っ当に生きている人々の姿も伝えています。
水谷氏は、人としての優しさを追求していきます。
たとえば、モノの背後にある「人の営み」を慮った水谷氏の言葉です。
また、人を傷つける言葉が氾濫している現在を憂えて、こうも語っています。
他方、鎌田氏の強い憤りは、小泉政権以降の社会システムにも向かいます。鎌田氏は、「一億総中流意識」だった中流の厚みのある資本主義社会を評価していました。
この点について、水谷氏も新自由主義的な思想には批判的です。
鎌田氏・水谷氏お二人とも、今の社会、特に子どもや若者を取り巻く社会の厳しさに大変な憂慮を抱いています。さらに、水谷氏は、子どもたちを追い込む大人たちもまた、社会の被害者なのだと思い始めたとのことです。
しかし、お二人ともまだ今を見限ってはいません。鎌田氏はこう言います、「だいじょうぶ、まだ遅くない」。水谷氏もこう語ります、「だいじょうぶ、まだ優しさは残っている」
「だいじょうぶ」「いいんだよ」という言葉でどれだけの人々がホッと救われるのか・・・、自分自身の日頃の姿勢を省みるとてもよい機会となった本でした。
(注:本投稿は2009年の再録ですが、2022年の今、状況はさらに悪化している中で、「だいじょうぶ、まだ遅くない」「だいじょうぶ、まだ優しさは残っている」と言い続けられるでしょうか。
わずかな希望を持ち続けたいと思いますが、とはいえ、今、転舵できないと・・・。なぜ他責による苦しみの中にある人が、その責を自ら被り続けることを受け入れるのでしょう。被害者同士の牽制や足の引っ張り合いは全く無意味なのに。)
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