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ドキュメント立山縦走⑤【剱御前のトイレ】

別山を登って下った先に剱御前小舎が見え、前日にきつね肉うどんを食べたトイレも見えた。
そしてそのトイレの前で、後続している私を心配して見てくれていた命の恩人くんが大きく手を振っていた姿が見えて、感動の思いが押し寄せてくる。

朝7時過ぎに山小屋を出発し、8時に登り始め、一ノ越を越えて11時に雄山に到着。もうここでかなり疲れて山登りの厳しさに打ちのめされそうになっていたが、11時半頃に剱岳ツルギくんと向かい合ってお弁当を食べ、12時過ぎてから大雨がやってきて、氷河を見て凍え、寒さのあまりに恐ろしいほどの腹痛に襲われながら、別山で土砂降りの中、道を間違えて自ら崖に登って下りれなくなり途方に暮れた先の命の恩人くんの登場。ともにファイト一発で岩や川を越え、辿り着いた剱御前15時半。8時間半のドラマチック立山縦走。

書いてしまうとたったこれだけのことだが、様々なドラマがあった。


これは感動するよ、さあ、恩人くんの元へ。
わーい!
手を叩いて祝ってくれ、恩人くんが「こっちが女子トイレで中に台があるから荷物を置いて着替えとかできますよ」と教えてくれた。
私は、心ここにあらずな「はーい」という返事だけをして女子トイレに飛び込む。
ここのトイレは前日も来たし、ここはよく知っている。
それに、それどころじゃない。
わーい!と喜びを分かち合う?
着替え?

そんなことよりも!!
まずトイレであります!!
お腹、痛痛痛痛痛痛…!!

女子トイレの中に入り、台の上にリュックを投げた。
ああ、落ち着いて、落ち着いて。
落ち着くために、まずズボンではなく、敢えてレインウェアの上着から脱ぐ。これは焦っている時に、余裕を取り戻すためにやる私の行動パターンだ。
するとベニヤ板一枚向こうの男子トイレから
「雨止みそうですねー」「剱岳、明日無理かなあ」などと、恩人くんと誰かが話をしている。
ちょいちょいちょいちょいー!
おしゃべりはトイレの外でしておくれ、頼む。
私は、これから大きい方をぶっ放すので、ベニヤ板一枚向こう側で立ち話をされると心置きなくできないじゃないの。
ああ。
他人にどう思われてもいいと生きている私だが、恩人くんとはすでに知り合ってしまったからもう他人じゃない。
恥ずかしい。
どうしよう。
リュックの横にぶら下がっていたsnow peakのチタンのマグカップを発見。
これを使うか。

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(このチタンシングルマグ450は、直火にかけられるしDoleの缶詰の蓋にシンデレラフィットするからおすすめ。持ち手のカバーが燃えたおかげでいい感じに青く変色してるところがお気に入りです。)


マグカップを持って意を決してトイレの個室に入る。
皆さんが今想像したような使い方ではないことを先にお伝えしておく。さすがにそういう使い方はしない。(どういう使い方かはご想像にお任せします。)
ずぶ濡れの脚と一体化したコンプレッションタイツを少しずつ力ずくで脱ぎ下ろす。
さあ、作戦開始。
意を決して、すごくバタバタしてみる。
壁にぶつかってみたり、足を踏み鳴らしてみたり、「寒っ」と言ってみたり。
そしてsnow peakのマグカップをカンカンと壁やカラビナにぶつけてみたりする。カンカンカン、バタン、ドタバタ。
一体何をしているかというと、
トイレで着替えと荷物の整理をしている想定の音出しである。そしてベニヤの向こうの2人に「隣の女子トイレで女性がトイレではなく着替えをしている」という勘違いを脳内で起こさせ、油断した隙に大きい方を出すという知能作戦だ。我ながら天才的に高度なテクニックである。
ガチャガチャやっているうちに、功を奏したのか、1人が男子トイレから出て行ったっぽかった。きっと出て行ったのは恩人くんのはずだと信じて、悩みのタネのお腹でうずくものを下界へと解き放つ…。
音姫もない、水洗でもないボットントイレだったから諸々、隠しようがなかったが、何とかヤバイ音は隠せたような気がしている。解き放っている間もスノピのマグカップを鳴らしたから多分完璧である。スノピのマグカップは噂通り万能である、キャンパーがみなこぞって薦めるはずだ。熊鈴まで使うと注目を引きすぎるからかえって逆効果になるから、スノピのマグカップの音がちょうど良かった。
ふぅー。
感動の波が押し寄せる。
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何とか無事間に合って、お腹の痛みは消えてなくなった。
ささっと濡れた服を脱いでダウンを着込み、お役御免のマグカップをしまい、女子トイレの外へ出た。
男子トイレから恩人くんじゃない方の見知らぬイケメン男性が出てきて、いきなり「こんにちは」と言ってきた。
爽やかに話しかけてきたから、私のしたことは恐らくバレていない。
セーフ!
空を見に外に出ていた恩人くんが戻ってきて、心置きなく3人で雨宿りしながらお喋りをすることにした。
恩人くんとその男性は室堂行きのバスで出会い、2人とも今日の目的地が剣沢キャンプ場で、テント泊をして剱岳に明日登る予定だったらしく、意気投合しつつバスを降りて別れ今この剱御前のトイレで再会したらしい。
命の恩人くんは、関東から剱岳を登るためにやってきたが、靴下と靴がびちゃびちゃで、寝袋も濡れてしまい、荷物をとことんまでウルトラライトにしたせいで(テントと食料も入れて7kgらしい!)、替えの靴下や着替えもなく、どうしようか悩んでいた。
もう1人のめちゃくちゃ外向的に話しかけてくるコミュ力が半端ないお兄さんも、悪天候の中、雷鳥坂を2時間登って剱御前のトイレで雨宿りを1時間半ほどして、すっかりツルギアタックの気持ちが萎えているようだった。
前日にここで出会った北海道から来たお兄さんもそうだったが、このトイレで雨宿りをしながら降る雨を見ていると心が折れてしまうらしい。コンディションが悪いと諦めた方がいい、剱岳とはそういう山なのだろう。
前日と同じように、私は今日も別の相手に、自分は雷鳥荘に泊まるということ、温泉もあって布団で寝れることを説明し、今日も男たちを翻弄させた。
「えー、一緒に山小屋に行こうかな。」とコミュ力兄さんが揺れ始める。
「晩ご飯もついてるし温泉も最高やし」と私が言うと、「一緒にごはん食べたいなぁ」とコミュ力兄さんが言い、恩人くんも「温泉かぁ…」と遠い目で呟いている。
ここ、雨の日の剱御前のトイレ前では、私の誘惑の威力は計り知れないらしく、男どもはみな揺れる。私と一緒に来たがる。私を選びたがる。魔性の女だから仕方ない。
剱御前小舎前のトイレはイケメン出没スポットであり、魔性の女出没スポットだから要注意だ。(注:書くのは自由)

コミュ力兄さんが雷鳥荘をスマホで調べ始めた。
恩人くんも心が揺れている。
私の誘惑に勝てないのか、布団や温泉、ご飯への誘惑に勝てないのか。ここではあえてスルーを。
魅惑の魔性の女ファムファタルは、雨が小降りになって来たタイミングでサクッとお喋りを切り上げて、
「では、私はもう下りますね。お2人とも気をつけて!3時間後には私は温泉に入ってまーす!」と言い残して雷鳥沢へと下り始めた。
うひゃぁ。もうすぐ16時に近づくやん!
ここから下るのは昨日は2時間以上はかかった。晩ご飯が遅くなっちゃうなぁ、と急ぎ足で下りる。
そういえば腹ペコだ。悩みのタネを下界へと解き放ったおかげで今度は自分が腹ペコに気づく。行動食用の、のりまきMIXを取り出しつまみながら少し早足で下りる。

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(剱岳越しののりまきMIX。たべっこどうぶつ、こつぶっこ、ビスコのチョコ味、メープル味のナッツ、クランベリーなどなど混ぜてます。)


しばらくして「おーーい!」と後ろから声がした。
振り向くとコミュ力お兄さんと命の恩人くんが笑いながら手を振り、こっちへと下りてきていた。
「お供しまーーす!!」と2人が揃って言って、思わず笑った。
今夜は賑やかに祝杯だなぁ。
命の恩人くんにはお礼にビールをおごろう。ついでにコミュ力兄さんにもおごってあげてもいい。今宵は無礼講じゃ。
私も笑って、ようやく心を込めて「はーーい!」と大きく手を振った。
下りるごとに、いつの間にか空は晴れていき、3人で仲良く我らの山小屋、雷鳥荘へと向かった。

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(私の歩いた立山連峰が右から左までと私の故郷雷鳥沢キャンプ場まで全部写っているし、命の恩人くんとコミュ力兄さんが小さく写っているお気に入りのパノラマ写真)



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