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ドキュメント立山縦走④【別山〜剱御前】

この④は、いよいよ立山縦走のクライマックスに入るのだが、もうここから写真はない。
大雨でカメラもiPhoneもリュックの中に仕舞い込んで、レインウェアもびしょびしょになり、フードと帽子の重ねかぶりも意味をなさないくらい髪の毛もべちゃべちゃである。私のお腹は緊急事態でギュルンギュルン言うてるし、いつ何が出てもおかしくない状態で、恐るべきラスボスの別山の登りに挑むこととなった。
山の用語を知らない素人なので、言葉だけでの表現が難しく、ここからは写真の代わりに、少しでも読んでくださる方に臨場感をお届けしたいため、割と絵心のある私の直筆の落書きで補足説明をしていくことにする。

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別山を登り始めるが、尾根の少し下の山の横っ腹にしがみついて歩いていくような感じで、頂上を歩くわけではなさそうなことが分かった。

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(まだ余裕がいささかあり、脚が上がっている。)

黄色い矢印に沿って進んでいくと、左斜め上を指している矢印を発見。
はて?

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(絵では真っ直ぐの道になっているみたいに描いてあるが、本当は、どこが道か分からないくらい雨で水が溜まっているし岩がゴツゴツしている。)

駅でも時々斜め上を指す矢印で上の階に行くのかそのまま左に進むのか分からない時がある。山でも戸惑って立ち止まってしまった。はてさて。
先を進むが、岩をかなりまたがないと行けないため、この先はやはり行き止まりのような気がした。行き止まりの先を覗くと小さい川になっていて、これは違うなと思った。

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となると、進むべきは上か。
左上を見上げると、少し上の方、マンションで考えると2階〜3階辺りの高さにある岩のくぼみの所に黄色いマークが見える。なるほど。ボルダリングのように岩の凹凸があって、そこに足を置いてよじ登って行けそうに見えたので登ることにした。
大雨で土がぬかるみ、岩を手で掴むと岩が動く。足を置くのも怖い。顔面に雨が打ちつける。両手に持っていたポールが邪魔になり、リュックに引っ掛けてがっちり手で岩を掴んでよじ登ることにした。途中まではちょうどいい場所に岩があったから、ここが登る道だと信じて登った。
というかよじ登ったし、這い上がった。

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(絵のサイズ感は無視して、切迫感と緊張感だけを感じて欲しい。この時がこの日1番の降水量だ。)

しかし、3分の2くらい上がったところで岩が小さくなり掴む場所も足を置く場所もなくなってきた。ルートを考え直そうかと少し下りたりしてはまた少し登る。ここや、という道が見つからない。岩のくぼんでいるところまでもう少しなのに進めない。草だか根だか分からないものを掴んでみる。岩よりもこちらの方が安定が良かった。どんどん雨が強くなり泥も上から流れてきて、登ることも下りることもできなくなってしまった。
どうしよう。
どうしよう。
これ、違うんじゃないか、もしや。
お昼前に私を抜いて進んでいったたくさんの高齢の方々がこんな所をよじ登れるだろうか。どう考えてもおかしい。
突然、本気のロッククライミングなんて危険すぎるよなぁ。
もう一度上を見た。
あぁ。
まさか!
なんてこと…。
黄色いサインはただの苔だった。

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視力2.0の私が見間違えるなんて。
雨と霧で視界不良とは言え、自分の視力を過信していた。
下りようとしたら岩が動いてぬかるみで滑った。
ヤバイ!これ、滑落事故するやつ。
無理や。
ここを下りるのは無理や。
これは本気で危ないんじゃないか。
焦るな、焦るな、焦るな、のりまきさん。
こういう時に焦る人がきっと転落するんだ。
平常心。
平常心さえ保てれば生存確率は上がるはず。
は!
なんと。
お腹の痛さは全くなくなっていることになぜか今気づく。
人は死を間近に感じるような状況では便意はなくなるということに気づいた。
遭難した人とか監禁された人とかはトイレどうしてるのかな?とそういう映画を見ている時によく疑問に思っていたが、きっと人間は生死に関わる状況に置かれると、トイレどころじゃなくなり尿意も便意も吹っ飛ぶのだなぁという学びを得た。こんな学びは一生得られない人生で良いのだが、また一つ賢くなった。もしも万が一、どこかでエレベーターに閉じ込められたとしても、少し安心材料ができた。
おかげで少しずつ平常心が戻る。
下手に動くと危険だから雨が止むまでしがみついていようか。雨が止むのか知らんけど。
誰かが来るまで待とうか。でも、誰も来る気配がない。
何時だろう。
うっすらと暗い気がする。腕時計を見る余裕もない。
誰か…。
誰か来てよーーーーーー、涙。

登山届を出してはきたけど、家族の誰にも言わずに立山に来たからきっと探してもらえない。私が行方不明になっても捜査依頼はされない。
ちょうど一年前に剱岳で滑落死した女の子がいたけど無謀な女性だと言われてかわいそうだった。私もそう言われるんだろうか。無謀なんて言葉で片付けないで。
なんて思う気弱モードと平常心キープモードが拮抗する。

あ!

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(絵のサイズ感と遠近感はここでも無視して。少しでも遠さを表すためにノートを足したが、本当はもっと遠い。)

少し離れた場所に1人の細身の人がこちらに向かって歩いてきている!相手も私に気がついていて早歩きで近づいてくる。リュックやポールを投げ捨てて駆け寄ってくれた。息を切らしながら真下に来てくれたお兄さんが悲壮な顔をして私を見上げている。

私は思わずこう聞いた。
「あのー、この道、合ってます?」

合ってるわけないし。なんだそのセリフ。
我ながら呆れた。
お兄さんが「大丈夫ですか?!」とか「気をつけて」と励ましてくれているのに、なんだそのセリフは、馬鹿野郎。
もう一人の私はそう叱り付けていたが、お兄さんは
「多分、そこは道じゃないです」というようなことを優しく言い、私は「えー!じゃあ、道どこなんですかねえ?」と二つの意味で上から言った。
お兄さんは私のあまりに間抜けな発言に安心し表情も少し緩み、「見てきますー」と言い、私が行き止まりだと判断した場所を進み、「こっちですね」と言った。
「あーそっちかー。矢印が斜め上を向いてたから、つい」
と言った。
私の平常心はなかなかパーフェクトにキープできていた。
後でお兄さんに聞いたが、
遠くから人が見えた時、自分も誰もいなくて心細かったから安心したが、登ったり下りたりして最終的に止まったし、あんな所にいるなんて相当ヤバい事態なのではないかと思い、胸につけていたGoProを停止させて救助に向かおうとしたらしい。怪我をしていないかとか色々心配しながら駆け寄ったらどう見ても道じゃない崖をよじ登っている人が「この道合ってます?」と普通に聞いてくるから、お兄さんもいい意味で驚いたことだろうと思う。

お兄さんは「下りて来れますかー?」と言い、登って助けに来てくれそうになるが、
「そこにいてください、自分で頑張って下りてみます!」と私は力強く返事した。 
お兄さんに登らせるのも危険だし、2人で危険なことになるより安全な場所で受け止めてもらう方が2人にとっていいはずだ。なんて、生意気にも冷静に頭が回り始める。
1人きりでは下りられそうもない崖も、下に誰かがいてくれるだけで頑張れるもんだ。
私より華奢なお兄さんだが、きっと滑り落ちても体で止めてくれるはず、と信じて下りることにした。
登った体勢で下りて行くより、顔を前に向けてお尻で下りて行こうと思い、ゆっくりと恐々と体勢を変えた。ポールが邪魔になり下に投げて、お兄さんが下にいてくれるから少なくとも転落死はしない、と思い安心してお尻でズルズル滑りながら下りた。

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(絵を描くのに少し疲れてきて命の恩人くんの描写が雑になったのは許してほしい。)

何とか下まで滑りつつ下りて、命の恩人のお兄さんが手を差し伸べてくれ立ち上がった。
今そう書いて泣きそうになった。
本当にいい人だった。
ありがとう。
その後、土砂降りなのにわざわざ私のために自分の携帯をリュックから出して、今いる位置を見せて安心させてくれたり、岩をまたいで先を進む時も川(だと思っていたが雨で増水して川のように流れているだけだった)を進む時も手を差し伸べて引っ張り上げてくれた。私の泥と水でビチャビチャな手袋とお兄さんの性能の良さそうな手袋とでがっちりと握り合った。まるで一昔前のリポビタンDのCM、「ファイトーいっぱーつ!」だった。

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(フードも帽子も外し、私の顔に力が宿っている所に注目してほしい。あと命の恩人くんもイケメンに描いた。)

お兄さんは、「この道を越えればもう安心ですよ」などと声をかけて少し前を歩いてくれた。
いい男だ。
彼も少し疲労が出ていたのか、足元がよろついてこけそうになることが何度かあり、
「大丈夫?足元、気ぃつけて」と今度は私がお兄さんに声をかける。
誰が誰に言うてんねんと思われてもおかしくないセリフを言う私。もうすっかり平常心、通常運転だ。

この話を友達にしたら、「この道、合ってます?」と「大丈夫?足元、気ぃつけて」の2つのセリフに、これこそがのりまきだという人間性が表れている、と呆れられた。
私からすれば、危機的状況でも相手を焦らさないために平常心を保って安心をさせたかったのと、思いやりからの発言なのだが、友達いわく、どこへ行ってもドジで重大なヘマをやらかしながら、張本人はおとぼけをかまして、いつも誰かに助けられる。そしてすぐにそのヘマを忘れていつもの偉そうな調子に戻る人間だとのこと。
友達のそのジャッジは非常に不本意だ。命の恩人のお兄さんの意見も聞きたいところだが、まあいい。
その後もお兄さんは「心配だから」と言ってずっと気にかけてくれて、後ろを気にしながら歩いてくれていた。私はと言うと、雨がマシになってきたから剱岳が見えるんじゃないか?なんてことを考えながら、「もう大丈夫やから先に行っていいですよ」とお兄さんに伝えてマイペースに歩いていた。さすがに自分でもはた迷惑で身勝手なお騒がせ女だと思う。
15時半、剱御前小舎が見えてきた。
どうやら私は、何とか無事に立山を縦走するということをやり遂げたようだった。
トイレが見えてきた途端に便意が蘇ってきた。
うぅ。まさに人体の不思議だ。
トイレの前で、命の恩人のお兄さんがこっちに向かって、大きく手を振っていた。
まさに感動のフィナーレだ。
最後は小走りで剱御前(トイレ)に向かった。


感動に浸りたいところだが、もう少しだけ、続く…。


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