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音楽フェスへ行く覚悟、旅する覚悟

本当なら今週末はフジロックだったなぁ、と思うとなんともやりきれない気持ちになる。私の2020年の夏は音楽フェスに行かずにもうすぐ終わる。サマソニもないし、単独の誰かのライブもない。炎天下で誰かのライブを見ることをしていない。それなのに、今までなったことのない熱中症に初めてなった。そんな夏は初めてだ。意味がわからない。

先週末はライジングサンロックフェスティバルのYouTube配信があったので、それをチラチラと見た。
北海道でやる邦楽バンドのフェスなので行ったことはなかったが、個人的にはロッキンよりも行ってみたい雰囲気、フジロックに近い雰囲気は感じてはいた。
配信で面白かったのは、怒髪天の増子兄貴とBRAHMANのトシロウとぶーやんと三原ちゃんとフェスと経済の論文を書いたりしてる江頭満正先生の真夜中討論会。
そこでフェスの未来が語られていた。

江頭先生の話は興味深かった。
経済効果についての話で、地方創生の面から見て、地元のお祭りよりも音楽フェスの方が手っ取り早く開催できて即効性があり、ライジングサンロックフェスティバル(RSR)の場合は経済効果は200億円で、地元北海道に9割は落ちるとのこと。9割は言い過ぎだろうと思ったが。野外フェスは箱は要らないし長い歴史もなしでやれて、全国から客を引っ張って来れる。そしてリピーターが多い。
確かに私もフジロックに行く前は、アウトドアチェアやポンチョなどいつも何か新調しているし、電車やバスに乗り、新潟の美味しいものを食べて、フェスで散々飲み食いして、温泉入って寄り道して、新潟の美味しいものをまた食べてお土産を買って帰る。それを毎年。
主催側にチケット代は払っているがそれ以外に散財していると思う。ケチな私1人レベルでこれだから、日本で100個くらいやってるフェスが軒並み中止だと、この日本全国レベルの経済のダメージって凄いなぁと改めて思う。

次に江頭先生の見解として、フェスはアフターコロナの中でリスタートしやすいものだと言う。
江頭先生の面白いところは、いかにも大学の教授というルックスで、もう何年も何回もいろんなフェスに足を運んでいるところ。よく見ているなと感心できる先生だと思った。
フェスが再開させやすい理由として、フェスのイメージはモッシュでもみくちゃになっている密なシーンが思い浮かべられるが、あれは実は6分の1で、6分の5の人たちは離れた場所でのんびりと屋外でアウトドアチェアに座ってビールでも飲みながらのんびり音楽を聴いているから、ソーシャルディスタンスが保たれていると。だから、6分の1の人に少し我慢してもらえばフェスのリスタートは早い、との見解だった。
なるほどな。確かにな。
私ももう年齢的にしんどいので、ノリノリモッシュピットに飛び込むことも少ない。少ないけどあるのはあるけども。でも割と端の方で誰ともぶつからないところで音楽を楽しんでいることは多い。
だけど、飛び込みたい年頃ってあるし、私も20代の頃に、rage against the machine で雨に打たれてもみくちゃになってpeople of the sunで昇天したことはライブ人生最高の興奮だった。6分の1層のあれをなくすのかと思うと残念過ぎる。ライブハウスでハイスタ聴いてもみくちゃになって汗まみれになるとかももう厳しい。

トシロウは、フェスは、今後、演者も観客も覚悟を決めて行く場所になっていくと話していた。大量消費されるような音楽を目当てに聴きに来る人は減っていくだろう。でも、本当に音楽が必要で、音楽に救われる人が世の中には絶対いると自分は思っていて、そういう人たちのために、今はまだやろうとは思わないし誰も傷つけたくはないけど、いつかまた、赤信号を1人で渡る覚悟でやる、と話した。
まあ、さすがトシロウだ。

例えばガクトが悩んでいる時にブラマヨの笑いに命を救われたように、
例えばヒロトくんがダウンタウンの笑いで命を救われて「日曜日よりの使者」という曲を作り、そしてその歌で何人もの人の心が救われたように、何かで命が救われることはある。
旅にもそういう面がある。私も昔、旅をすることで、あの旅に命を救われたというか、生き返ったことがあった。トシロウの話を聞いてそう思った。
これからは、気楽に旅をしにくい世の中にはなるけど、覚悟を決めて行く。そうなるのだろう。私も、本当に音楽が必要で、また旅が必要な人間だと思う。
ソロキャンプをしてみたが、ソーシャルディスタンスをとって、密を避けて旅をすることも1人旅なら全然可能だった。確かにこのスタイルの国内旅なら今でも全然続けられる。
だけど、もっと遠い違う世界に飛び込みたいし、時には誰かと出会い、いっぱい話して、人の多いバルで出会った誰かと乾杯して飲んで食べて喋って笑って、ハグして。
いつかまた、人の温もりを感じながら異国を旅することを、覚悟を決めて、また飛び込みたい。
覚悟はしているから、あとはタイミングを待つだけ。
その時までミッシェルを時々聴きながら待とうと思う。

世界の終わりがそこで見てるよと
紅茶飲み干して君は静かに待つ
パンを焼きながら待ち焦がれている
やってくる時を待ち焦がれている




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