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ダラムサラ、最後のティータイム【インド#30】

日本に帰ると決めてからの私は、久しぶりにいつもの私だった。


さっさと手際良く2日後の日本行きの飛行機を予約し、ダラムサラから下界に降りる最短ルートを調べ、体の負担が少ない横になれる寝台タイプの夜行バスを予約した。日本の自宅のガスの開栓の手配やWi-Fiの手配など、全ての手配をすごいスピードでやり遂げて、そのタイミングで生理が来た。
人体の不思議。

少しメンタルも落ち着いたが、いつものPMSと明らかに違うのはこの厄介な咳である。
山を降りて高山病が治まったとしても、おそらく咳は別の原因からきている。この長く続いている厄介な咳が、食欲を失わさせ、安眠を妨げ、体力を奪っていっていることは間違いなかった。
この咳をどうにかしないことには、旅は続けられないと思ったし、チベットの医者に聞くとやはり喘息だろうと言われたので、日本に帰って病院に行った方がいいと思った。そう決めると心なしか、少し体も楽になった。


晴れやかな気持ちで友達のしめちゃんにまた電話をかけたら、「別人みたいに元気やな。帰っといで。楽しまれへん旅をしててもしゃあないし、また治ってから続けたらええやん。」と言ってくれた。ポン子さんたちにも報告したら、みんな体調を気遣ってくれて、優しかった。

ダラムサラの山から空港のあるデリーに降りるためには、また大移動の連続となる。
また胃をシェイクされたりするかも知れないから、力を少しでもつけねば、と頑張ってバナナを食べた。

何も見ないまま去ることになったダラムサラの町を惜しんで、少し歩くことにし、マクロードガンジの通りを散歩していたら、「のりまきさん!」と声をかけられた。
さっきのルンタのお姉さんだった。
「日本に帰ることにしたんです」と私が伝えると、元気になっている私を見て少し驚きつつも、「お茶でもしませんか?」と誘っていただき、お姉さんと一緒にいた、日本人のプロのフットボーラーの男性と3人でお茶をした。

この時のお茶の時間は、いろんな話ができて、とても楽しかった。
お姉さんは、毎年半年くらいダラムサラのマクロードガンジに来て生活をしていると言う。
ルンタレストランでタダでお手伝いをして、その代わりに、1日3食のごはんを食べさせてもらっているとのことで、面白いライフスタイルだと思った。
彼女は私のように、これまでいろんな場所を旅してきた中で、移動に疲れ、このマクロードガンジが1番自分にとって居心地がいい場所だと感じたので、旅をするのをやめて、日本に半年、マクロードガンジに半年という生活に変えたらしい。
マクロードガンジの何がそんなに良かったのかを私が尋ねると、「自然の山の中で、狭くコンパクトにまとまっていて何でもあるから」とお姉さんは言っていたが、私が聞いていて面白いなあと思ったのが、「マジョリティがない町だから」というもの。
ここはインドにある町なのに、インド人もいてチベット人もたくさんいる。
ダライラマが、チベットからヒマラヤ山脈を越えてこの地に亡命してきて、その後、多くのチベット人たちもダライラマの住むこの町で暮らし始めた。
一方でいろんな国のツーリストもいる。
見た目にもバラエティに富んでいて、自分がマジョリティでもマイノリティでもなくいられるのがいい、というようなことを言っていて、興味深かった。

もう1人のフットボーラーの日本人の彼も、かなりユニークな人だった。
サッカーで食べていくために、アルゼンチンに単身でつてもなく乗り込んだ話、お尻のポケットにスペイン語の辞書を突っ込んでアルゼンチンの夜のクラブに通い、そこで生きたスペイン語を習得した話など。
今は、インドでプロになりたくてチームを探しにきているとのこと。面白い成り行きだった。
そんな彼は、熊野古道と四国のお遍路、東北のみちのくトレイルを歩き終えていて、スペインのカミーノも歩きたいと思っていると言うので、私も過去に歩いたスペインのカミーノの話をしたり、熊野古道の話をして盛り上がった。

しかし、出会う人出会う人、面白い旅人が多い。

フットボーラーの彼の視点も好きだった。
ダラムサラで、チベット人が抗議運動のデモをしていた時に、そこで商売をしている1人のインド人が、デモをしているチベット人に水を飲ませてあげているのを見たらしい。その時のインド人がすごく印象的で、チベット人を受け入れているのはこの人だけなのか、それともインド人はみんな受け入れているのか、そうでもないのか、もう少しこの町にいて、もっと知りたくなったと話していた。

お姉さんいわく、インド人にも貧しい人がたくさんいるのに、チベット難民だけ難民支援といって世界中から優遇されているのを面白く思わないインド人もいるけど、ダライラマやチベット文化の魅力のおかげでこの町に世界中からツーリストが集まり、観光業も成り立っているからインド人が潤っているという面もある、と言う。なるほどなと思った。

私は旅をしている人からしか聞けない話、語れない話を聞いたり話したりするのが好きだ。

「ダラムサラには日本人に似たチベットの人の顔が多いけど、ここからさらに北のカシミールに行くとまた少し違ってきて、中国ぽい顔もあれば、時々肌が白くて青い瞳のロシアっぽい顔の人もいたりする。同じインドなのに不思議だなあと思ったのよね。」とお姉さんが話していた。
その話を聞いた時に、陸路で国境を越えたり、大陸が繋がっていることをこの目で実感できる旅が、私は好きだったことを思い出した。

思えば、最近は体調を崩してばかりで、あちこちの町で療養の連続で、そういったことに目を向ける余裕が、ここのところなかった。
旅を続けるために療養するのではなく、療養するために旅をしているような状況で、改めて、これでは今していることが私のしたい旅だとは言えないと思った。

ヒンディー語を勉強しているお姉さんが、こんな話をしてくれた。

「明日」はヒンディー語で「カル」って言うけど、「昨日」も「カル」だって本に書かれていて、ミスプリントだと思って出版社に言おうと思ったら、実は正しかったのよ。
「明日」も「昨日」も「カル」、綴りも一緒。
この二つが同じ単語ってありえないでしょう?インド人に聞いたら、「一緒に違いないね。一緒であるべきだ。」って言ったの。
一緒なわけないよね。

ルンタのお姉さん

これについても3人で話し合った。
言葉を作った時に、絶対に、その二つは混乱するから別の言葉にすべきところを、何らかの意味があって同じ言葉なんだろうと私は思った。

私たちにとっての時間の流れは、「昨日」の次に「今日」が来て、その先に「明日」がある矢印で表されるような連続したものだと思う。
だけど、インドの人たちにとっては、真ん中に「今日」があって、今日じゃない日という意味で、「今日」の外側に「昨日」と「明日」があるのかも。だから今日じゃないという意味では同じなのかも。だとしたら面白いよねインド人。

私の考えた説をそう話すと2人は、「きっと、そうだね!」と納得し、結局、過去も未来も同じ扱いをするインド人には敵わないな、という結論となった。

こういう話ができたのが、とても楽しかった。


ダラムサラの町は2回目ではあるが、ほとんど何も見ないまま、何時間もチベットのエナジーが湧くお茶を飲みながら、この人たちと話せたことで、もういいなと納得できた。

この時間がなければ、きっともっと、しょんぼり帰国することになったと思う。
諦めて、白旗を上げて帰国するという後ろめたさも感じたかも知れないけど、別に何にも負けてはいないし、帰国するのは誰にとってもどうでもいいことなので、後ろめたさなど不要だったのだ。

2人と最後に色々な旅の話ができて、笑顔になれたことは大きい。
最後の方は、2人から、「今ののりまきさん見てたら、帰国しなくてもいけそう。帰るのやめたら?」と言ってもらえるぐらい元気になれた。
特にお姉さんには、会えて良かったと心の底から思っていたのだが、別れ際、お姉さんはこう言った。
「お願い、ハグさせて!ありがとう、のりまきさんに出会えて、なんか、本当に良かった。」
そっくりそのまま同じ言葉を私からも返した。きつくハグしてくれた細いお姉さんの体から、いっぱいエナジーをもらった。
このタイミングこそ泣くところだろうと自分でも思ったが、まったく涙は出なかった。
私の涙腺は、すっかり通常運転に戻ったらしい。
私のメンタルが安定したのも嬉しくて、笑顔で別れた。

その帰り道に、チベタンレストランでチキンモモをテイクアウトして、4つだけ何とか部屋でゆっくり食べた。洗濯する気力がなくてずっと同じ靴下を履いていたので、もう帰るだけだというのに靴下を2足買い足す元気もあった。新しい靴下を履いて日本に帰りたかった。
シャワーも浴びられた。とても気持ちが良かった。

しんどい昨日までの日々も、治ると信じて待つ明日も、旅を終えてからの未来の不安も、どちらも一緒で、今日じゃない日なのだ。今日を楽しめるようになるために私は帰る。

翌朝、霧雨だったけれど、少し体調もマシだったので、ダライラマテンプルに行ったり、山道を少し散歩した。しかし、やはり疲れてしまいフラフラになってしまったので、短距離なのに莫大な金額を支払って、ホテルの玄関までタクシーを呼ぶというこれまでの私ではありえない選択をし、ローカルのバス停に向かってもらった。そして、ダラムサラに別れを告げた。

エルビスの靴下、両方右用だった…
前に来た時はなかったロープウェイ
昨年できたらしい。
ダライラマが奥で暮らしておられる。
マニ。回しまくって祈りを。
巨大マニ。
ブラッドとシュアに別れを告げた。
ついていく。
以前も来たチベット人のハンディクラフトストア。
前に買った布で自分で作ったお気に入りのパスポートケース。それと同じ柄のペットボトルホルダーを買い足し。
右だけ無くしてたアームカバーも同じものを買い足し。左2右1になった。



さて。
デリーへ。
日本へ帰るぞ。
長い帰路の旅が始まった。

パターンコートまでローカルバスで6時間かけて進み、
そこから9時間の夜行バスへ乗り込む。
前向きに横になれる寝台もあるバス。
横になれるだけで充分楽。熟睡できた。



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