Noriko1208

ドイツで副鼻腔癌ステージ3/4 放射線治療、抗がん剤、胃ろう。仕事も解雇され、シングル…

Noriko1208

ドイツで副鼻腔癌ステージ3/4 放射線治療、抗がん剤、胃ろう。仕事も解雇され、シングルママ、絶望の中、FBライブ配信を始め、7か月後に癌サバイバーへ。医者も驚く回復力。思考の癖を意識➔俯瞰視➔口から発する言葉をポジティブに変え、楽しい事をすると、いかに身体に良いか、体験ス一トリー

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FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに最終章

おわりに 14日間ライブ配信のお講座で知り合った銀座の漢方の成尾成晃先生が、日本の夜中にもかかわらず、私の話を聞いてくださった。私は癌になった根本的な原因がわかった。私は離婚後、度重なる裁判でドイツ人が嫌いになり、日本に帰りたくても娘を連れて帰れない、ドイツという国が大嫌いに近いほど嫌いだった。娘が大きくなるまでの我慢と自分に言い聞かせていた。なりなり先生(成尾先生のニックネーム)は、「そこです」とズバリ指摘された。嫌いな環境に長年いるということだった。『なるほど』とすべて

    • FBライブを"ポチッ"から癌サバイバ一に 第15話

      寛解 治療から約半年が過ぎたため、再度、細胞をとり、癌が残っているかを検査することになった。CTとMTI検査もすることになった。全身麻酔をし1泊入院した。 1週間後、良い結果であることを祈り、全てを委ね、病院に向かった。そういえば、放射線治療の最後の日、「マスクはもう処分していいですか」、と聞いたとき「半年は保管していくように」と言われたことを思い出した。この結果次第で、『あの過酷な治療が始まるかもしれないのか!絶対にない!信じよう』と、思った。結果はCTとMRI検査も転移

      • FBライブ"をポチッ"から癌サバイバーに 第14話

        ライブ配信 上岡良子さんの先生でもある池田秀樹さんの14days チャンレンジに参加した。毎日、公開でFBライブ配信をしなければならず、課題は1日前に出された。 課題は、例えば "XXXを打ち勝つ法"、"XXX っていいの?"、"XXXはOOOと思っている?"、"サクセススト-リ一"、"Big Why (使命)のスト一リ一"、"ヒーロ-ズ ジャ-二-"、"勇気のストーリー"など、自己体験をテーマに合わせて話すのである。そして必ずライブの日時の告知をしなければならなかった。

        • FB ライブを"ポチッ"から癌サバイバ一に 第13話

          クリスマス 2020年も過ぎ去ろうとしていた。 よくめまいを起こした。血液検査の結果、医師はナトリウム不足を指摘。胃ろうから水分を摂取するときに塩分の錠剤を入れた。塩は良くないと先入観があったが、大切な栄養で良質の塩は大事だと気づかされた。 携帯でネットを観る時間が増えた。上岡良子さんという女性主催の"Womens サミット" という宣伝が目に留まった。数人の女性が登壇し、スピ-チをするようだった。FBが大嫌いだった私、普通ならば絶対にしないが、なぜかポチッと参加をタップ

        FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに最終章

          FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第12話

          絶望とドイツの手厚い社会保障 娘が身体に悪いソーセ-ジをよく食べている姿をみて、早く食事を作ってあげないと切実に思った。そして私の頭には食べ物のことばかりだった、あれも、これも食べたい~。Youtoubeでたくさん料理番組と食べ歩きを観た。ゆっくりだが買い物にも歩いて行けるようになった。11月のドイツは気温が4度から10度、雨も多く、曇り空の毎日。冬時間にも変わり早く暗くなる。重い買い物袋を何度も降ろし、休憩しながら家路についた。冷たい空気に触れ、月を眺め、また歩けることが

          FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第12話

          FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第11話

          お水を1滴 口から飲むことができ感激 最後の放射線治療日。小さいお子さんをもつ美人女医さんは私に、 「もうあなたには、ここでは会いたくない」 「ええ、私も先生に、ここでは2度と会いたくないです」 素敵なお別れの言葉に涙がこぼれた。 治療は木曜日に終わった、激痛は続いたものの、週明けの月曜日には少し良くなり、1週間後は、さらに良くなった。過酷な治療をなんとか生き抜いた、治療が終わった安堵。喉の痛みも喉のただれも日に日に少しずつ良くなってきた。人間の治癒力は、改めてすご

          FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第11話

          FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第4話

          準備 皮下ポ-ト8月13日からの放射線、14日から抗がん剤治療と知らされた。月から木までは通院での放射線照射、金から日までは抗がん剤投与入院。金曜日は放射線と抗がん剤治療が重なった。 兄が「食事ができるときにいっぱい食べって」送金してくれた。兄の気持ちに心から感謝。フランスに住んでいる姉もパ一トナ一と車で来て、壊れているタンスやトイレの便座のふたもなおしてくれ、お庭の芝刈りもしてくれ、本当に助かった。神戸にいる80歳の一人で住んでいる母には心配するので伝えなかった。この30

          FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第4話

          FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第10話

          クライマックス喉が激痛で唾液を飲み込めず、ティッシュに出していた。ごみ箱はティッシュでいっぱいどころか、床に散乱していた。ちょっと動くだけで吐き気。嘔吐は続いた。私の病気のことを何も知らない母から電話がある度に、気丈に会話をした。母は父を亡くしたばかりの81歳の一人暮らし。何度言っても時差のことをわかってくれないのか、わかろうとしないのか(電話がある度に、今そっち何時?と聞くので時差があることはわかっているよう)、私の病気のことを知ったら夜中でもガンガン電話をかけてくる、まし

          FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第10話

          FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第9話

          輸血 日に3-4回吐き気止めを飲んでいたが、身体をちょっとでも動かすと嘔吐。つねにティッシュとビニール袋を側においていたが、それでも間に合わず寝間着や布団を汚してしまった。 娘も心配し私のところに来たが、娘の前でも激しく嘔吐してしまい、こんな姿を見せたくなく悲しかった。 胃瘻で栄養をとっている間は、Youtobeでいろいろなお料理番組(Acquapazzaの日高良実さんの番組は初回から視聴)、食べ歩きを観まくった。食べ歩きは、出身地の神戸、大阪、京都まで征服した。懐かしい

          FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第9話

          FB"ライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第8話

          Wig ウィッグ会社まではタクシーを使って通勤した。オフィスではできる限り、普通に行動しようと頑張った。しかし、昼休みには胃瘻で栄養を取らなければならなかった。受付の女性も、私の変容を見て、「大丈夫ですか」と声をかけた。 上司に「機敏ではない」と言われ解雇の書類を渡された。「何とか続けることはできないでしょうか・・・」独り言のような言葉だった。シングルマザ-になり、この10年、何度も転職をし、いろいろなポジションに就いた。この経験が活かされた願ってもない転職先で、やりがいの

          FB"ライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第8話

          FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第7話

          胃ろう金曜日から日曜日にかけて、抗がん剤投与のために入院した。病室は8畳から10畳ぐらい、2人部屋。週によっては、1人の時もあった。カ-テンで区切られてもおらず、トイレにシャワ一がついており、隣のお部屋の方と共同使用。Wifi付き。スリッパ、パジャマなどは自由。 毎週、同室になった人は違った。ある週、同室になった女性は、放射線治療で喉が真っ赤、ただれていて、とても痛そうだった。私の喉は看護婦さんから言われたとおり、放射線治療が始まったときから、喉に毎日朝晩、クリ-ムを塗った

          FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第7話

          FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第6話

          ドイツのパートナーとしての患者と医師関係 病棟に"パ一トナ一としての患者と医師関係"というパンフレットがあった。その中に患者の権利として要求できること: 理解するまでの説明、助言/セカンドオピニオン/適切で質の高いケア/患者本人が決定/守秘/医師の自由選択/カルテの閲覧/治療ミスの際の損害賠償と証拠提示 と記載されている。 訴訟社会のドイツ。医師も患者もサインをし、治療が始まる。 放射線照射は6回を終え、週末の抗がん剤2ク一ル目の金曜日の早朝、まだ電車で病院に行くこ

          FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第6話

          FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第5話

          主治医 フライッシュマン先生放射線照射第1日目: 待合室には、まるでスポーツジムに来ているかのような筋肉質男性や普通の女性。痩せこけた男性はベッドごとの移動で待っていた。名前を呼ばれ、カ一ドを渡す。着替え室で上半身を脱ぎ、タオルでおおい、もう一枚のタオルを台に敷き、横たわった。2人の女性が位置は正しいか確認しながら、マスクをカチッカチッと顔に止める音がする。身体は動かさないこと、何かあればカメラで見ているので、手を挙げるようにと言い、分厚い扉を閉めた。懐かしい80年代のポップ

          FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第5話

          FBライブを"ポチッ”から癌サバイバーに 第3話

          マスク先日の若い女医さんは、毎週火曜日に新患者の治療方法を医師が集まって話し合うので、その後に治療方法が伝えられると言った。 フランクフルト大学病院はマイン側沿いにあり、腫瘍学のある病棟の1階、2階は婦人科系で、生後まもない赤ちゃんと幸せそうなカップルがいた。4階の廊下に飾られている白黒の放射線治療のカプセルのような写真や白黒の写真はすべてグロテスクに映った 。 若い先生が私を呼んだ。放射線照射33回、7回の抗がん剤投与、同時進行の治療。何十枚かの治療の説明書が渡され、副

          FBライブを"ポチッ”から癌サバイバーに 第3話

          FBライブを"ポチッ”から癌サバイバーに 第2話

          恐るべきドイツの新幹線、ドイチェバ一ン 「えっ!がん!!どういうことですか??」 「悪性の腫瘍です」 が``~ん。そんな馬鹿な。私の家系に癌になった人はいない、病気になるとすぐに病院に行くし、定期健診ではいつもお医者さんに健康だと褒められていた。癌のはずはない!あの若いお医者さんは、間違っている。とりあえず検査結果を待とう。 新しい職場までは、片道通勤時間が30分以内。仕事も今までの色々な部署での経験も活かされ、充実していた。この仕事は辞めたくない。癌のはずはない!

          FBライブを"ポチッ”から癌サバイバーに 第2話

          FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第1話

          診断大恋愛で結婚した元主人と、3歳と5歳の娘が泣き叫ぶ前で、取っ組み合いの喧嘩のあと、新居に向かった。涙でフロントガラスが見えない、『結婚って、こんなもんなんや。。。』 小さい娘が雪のふるなか、本を重たそうに運んでくれた。3人での新生活が始まった。2011年2月11日、ドイツ、フランクフルト。 10年後は、私は安定した仕事に就いていて、新しいパ一トナ一もいる、そんな自分を夢みて10年間必死に頑張ってきた。 子供が小さく、親戚も家族もいないこの土地でシングルマザ一として、

          FBライブを"ポチッ"から癌サバイバーに 第1話