見出し画像

FBライブを"ポチッ"から癌サバイバ一に 第15話

寛解

治療から約半年が過ぎたため、再度、細胞をとり、癌が残っているかを検査することになった。CTとMTI検査もすることになった。全身麻酔をし1泊入院した。
1週間後、良い結果であることを祈り、全てを委ね、病院に向かった。そういえば、放射線治療の最後の日、「マスクはもう処分していいですか」、と聞いたとき「半年は保管していくように」と言われたことを思い出した。この結果次第で、『あの過酷な治療が始まるかもしれないのか!絶対にない!信じよう』と、思った。結果はCTとMRI検査も転移なし。癌は消失とは、先生は言わなかったが、とても小さくなったと。治療は成功したようだ。これからの5年間は6-8週間ごとの検査を1年ほどし、その後、3-4か月に1回、そして半年に1回、だんだん、検査間隔を広げるとのことだった。すべての治療は、以前と同じ無料だった。安堵感と嬉しさ、ただただ感謝だった。

胃ろうが取れる日が来た!手術日前に麻酔科の先生と話し、麻酔をしてもらうため、サインもした。
胃ろうが炎症を起こしたようで、ヘルパ一さんの消毒の時に激痛があった。ヘルパ一さんは、始めは痛みを信じてくれなかった。クリ-ムを塗布したが、体を横にすることができず、胃ろうが取れるのは本当に嬉しかった。これでお風呂にはいれる!シャワ-の時は、水がかからないとように大きい透明のガーゼを貼っていた。これも、もうすぐ必要ではなくなる!

胃ろうをとる日はライブ配信をしなければならず、告知した時間に戻れるか心配だった。頭の中はライブ配信の内容のことでいっぱいだった。手術室に行くと、担当医師は私の胃ろうをつけた先生だったようで、私のことを覚えていると言った。ここまではいいのだが、いきなり、

「麻酔なしでやってみましょう」

「えっ!!!」

『麻酔をするということでサインもしたのに、なんで?!?』

しかし、麻酔をすると確かに、数時間は様子をみるために、病院にいなければならない。ライブ配信の時間まで家に帰れるかわからない。。。

「はい。。」

と答えてしまった。後悔遅し。。先生は部分麻酔のスプレ-を私の喉にした。カメラが先についているホースを喉から入れながら、モニターを観ていた。胃ろうが見つからないかのように、

「あれっ?あれっ?」と先生はホースを回転さす。

「うっうっ~~!!」

死ぬかと思った瞬間、アシスタントの先生がぎゅっと私の手を握った、同時に胃ろうをカットしたようだ。

『終わった一』

ライブ配信の時間に間に合わなければ!私のライブを待っている人がいる!ライブに取りつかれていたかのように、急いで家路についた。

お腹には穴が開いていた。先生は明日からシャワ-もお風呂も可能と言ったが、とてもじゃないが信じられない。ガーゼを貼り、約8か月ぶりのお風呂はそれでも最高だった。感謝!

抗がん剤治療を受けた腫瘍内科でも検査をした。先生は私に素晴らしい回復力!といってガッツポ-ズをした。

心配していた娘に結果を伝え、涙、涙、抱き合って喜んだ。下の娘は私の好きなバニラのタルテを焼いてくれた。闘病中は一緒に戦ってくれて、本当にありがとう。

残っていた胃ろうの栄養食、8箱ともお別れの日。未使用なので必要な方に利用して頂きたかったが、法律で認められていないということで処分。

思えば、胃ろうをしながら、早くまた食べれるようになりたいと願いながらYoutoubeでお料理、食べ歩き番組を観まくった。味がわからなくても、自分の口から食べることができるって、これほどにも幸せなことかと改めて思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?