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FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第12話

絶望とドイツの手厚い社会保障


娘が身体に悪いソーセ-ジをよく食べている姿をみて、早く食事を作ってあげないと切実に思った。そして私の頭には食べ物のことばかりだった、あれも、これも食べたい~。Youtoubeでたくさん料理番組と食べ歩きを観た。ゆっくりだが買い物にも歩いて行けるようになった。11月のドイツは気温が4度から10度、雨も多く、曇り空の毎日。冬時間にも変わり早く暗くなる。重い買い物袋を何度も降ろし、休憩しながら家路についた。冷たい空気に触れ、月を眺め、また歩けることが、生きていることが嬉しかった。

化学という言葉を聞くだけでも、恐怖。化学療法は、もう2度と受けたくない。毒を体内に入れ、毒で毒を殺す抗がん剤。少々値段が高くても、調味料、食材は可能な限り、無農薬、添加物フリ-に変えた。口から入るものが体を作る。癌が嫌いだと学んだ、クエン酸、ターミック、しょうが、インドの香味料も積極的にとった。(インド人は癌患者数が大変低いらしい)娘にはあんな辛い思いはさせたくない、身体を強くする、免疫力を高める、癌にかからない、外食が多かった今までの食生活を180度変え、ほぼ手料理の毎日になった。

治療をがんばった自分へのご褒美にStaubの鍋や中華鍋を買った。キッチン用品を購入した。食べたかった中華や日本食、パスタ、洋食、和食、パンを本格的に作った。娘は、「まるでレストランみたい~」と喜んでくれた。体重は約9キロ減り、私の胃は小さくなったようで、スズメのえさのような量しか食べることができなかった。食べても味がわからなかった。味覚がわかる細胞がどうやら放射線治療で破壊されたようだ。そして口の中が過度に乾いていたので、常にお水を飲んだ。味がわからなくても、口から飲食できる喜びは、ひときわ大きかった。声も中村玉緒さんのようだがでた。掃除も数か月ぶりに少しずつ始めた。庭の芝生も刈らなければならなかった。庭の大きな木の落ち葉拾いは、隣の隣の老夫妻が手伝ってくれた。有難かった。

過酷な治療が終わった安堵とこれからの不安が私を襲った。どうやって食べていこうか、家賃を払っていこうか、娘のバイオリンとピアノのレッスン料を払っていこうか。どうしてこんなことになったんだろう。。。元旦那さんの家を出た時、10年後の自分は安定した仕事にも就いていて、パ-トナ一もいる。目指して頑張ってきた。ちょうど10年後の私は、念願のポジションも解雇され、痩せ細り、お腹からは胃ろうの管が垂れていた。ただただ悲しかった。癌が再発をしないかも心配だった。幸いなことにドイツでは、健康保険から最後に勤務していた給料の70%の額がマックス72週間(約1年半)支給されると聞いた。ドイツの手厚い社会保障には驚きの連続と感謝だった。医療費も、もちろん経過観察中のすべての検査も支払わなくてもいい、患者の負担は0割。胃ろうの訪問介護士さんへの費用、薬剤、胃ろうの栄養費用も、ほぼ無料に近い値段だった。『お金の心配はいらないから、治療に専念しなさい』、というこの国の病人に対する姿勢には驚いた。日本だったら、何百万はかかっていただろう。


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